2011年05月16日(月) 00時01分00秒
soulsearchinの投稿
◎ジョー・サンプル・クレオール・ジョー・バンド(パート2)
テーマ:ライヴ評・レポート
◎ ジョー・サンプル・クレオール・ジョー・バンド(パート2)
【Creole Joe’s Band: Happy Happy Dance Music】
ザディコ。
今回のジョー・サンプルのバンドは、彼が12年ほど構想をあたためてきた企画。彼のルーツであるルイジアナ、ニューオーリンズの音楽クレオール・サウンド、ザディコをプレイするバンドだ。
クレオールは、ルイジアナ、ニューオーリンズを中心とした地域に生きるブラックとヨーロッパ系(特にスペイン、フランス)とのミックスによる人たちの総称。広い意味では、ミックス(混血)を指すが、狭義では「ルイジアナ・クレオール」と呼ばれるほど、その地域に密着し、独特の文化や音楽を持つ。その代表的音楽が「ザディコ」と呼ばれる。(ほかにもハイチ・クレオールなども多い)
「ザディコ」は、もともとフランス語のザリコzaricô(さやまめ)が訛った言葉だという。1920年代からルイジアナのクレオール・コミュニティーで流行し始めた元々は「ララ」と呼ばれた音楽だった。ジョーもそのあたりをステージで解説していた。
ジョー(1939年生まれ)によれば、ザディコは自分が生まれた頃からすでにあって、子供の頃から当たり前のようになじんでいた。自分のルーツでもある、だから、いつかこのザディコ・バンド、クレオール・バンドをやりたいと思っていた、という。
今回ギターで参加したニューオーリンズ在住の山岸潤史によれば、「ジョーとは、もう20年以上面識はあったけど、10年くらい前かなあ、ジョーが僕を探していると連絡をもらった。そのとき、一緒にレコーディングをしたいと言って、すぐにはスケジュールの関係でできなかったんだけど、それが今回のこのザディコのプロジェクトだったんだ。で、今回ライヴをやるというので、今回はスケジュールがあって、一緒にやることになった」という。
リハーサルは、3日間メンバーが集まってヒューストンにある「テキサス・サザーン・ユニヴァーシティー」のリハーサル・ルームで行った。「まあ、でも、ずっと何か食べたり、食事しっぱなしだったけどね(笑)」と山岸潤史さんが言う。この大学は、クルセイダーズのメンバーが出たことで「クルセイダーズ大学」と呼ばれているらしい。
今回驚いたのは、ジョー自身がアコーディオンを一生懸命プレイしていること。通常のエレキ・ピアノのところに座り、アコーディオンを必死にプレイするが、その姿が実にかわいい。そして、CJとジョーが立ち上がり、アコーディオン・バトルを繰り広げる場面もあり、お互いが思い切り楽しんでいるようで、見ててもハッピーになる。
同時に、山岸潤史とレイ・パーカーのギター・バトルもあって、これもおもしろい。楽器でまさに楽しむ、遊ぶ、そして、ザディコのリズムで踊るパーティー・バンドの真髄だ。
カルチャー。
メンバー紹介のところで、ジョーは言った。「この僕の横にいる紳士の父、クリフトン・シェニエーは、僕が子供のころ、最初にとりこになったアコーディオンの音楽をやっていた。僕が6歳か7歳の頃だった。彼はキング・オブ・ザディコだった。ところで、みんなはザディコって呼ぶけど、僕たちは昔こうした音楽を『ララ』と呼んでいた。初めてこうして『ララ・バンド』の音楽を、ララ・ミュージシャンたちによって日本に紹介できて嬉しい」
ジョーは、このザディコのバンドをずっとやりたいと思っていた。通常のソロ活動、クルセイダーズとしての活動とはまったく違うタイプのバンド活動だ。12年かけてやったこのプロジェクトは彼にとってのドリーム・プロジェクトだったのだろう。ライヴ後も、ジョーは事のほかごきげんでハッピーだった。そのハッピーさは、観客にも確実に伝わる。
CJは初日は金色のスーツで登場した。その派手っぷりがあまりにおもしろかったので彼に尋ねた。「何色くらい持ってるのですか」「何色もあるよ。毎日違う色でできるぞ」「どこで作ったんですか」「ニューオーリンズだ」「けっこう高いんですか」「いや、そんなに高くない。ソー・ソー(まあまあ)だ」「500ドルくらい?」「そんなにしない。200ドルちょいじゃないか。まあ、日本で作ったら500くらいするのかもしれないがな(笑)」
彼に名前の正しい発音は尋ねた。「おお、それは発音する人間がどこの人間かによるな。(笑) ヨーロッパの連中は、シェニエー(ル)[エにアクセントで最後のルは聴こえるか聴こえないくらい]、アメリカ人は、シェニアー(ル)かな。北部と南部のアメリカ人の違い?北部ははっきり、シェニアー、南部は(口をもごもごさせて、シェ(ニ)ア、(ちょっと口をまるめる感じ)だ。(笑))」
ジョーは明らかにこの自分のルーツ、カルチャーを誇りに思っている。そして、その他の国々のカルチャーにも敬意を表す。金曜日に出演したNHK-BSの『エルムンド』でも、『Hold on to your culture』(あなたのカルチャーを手離さないように)という言葉を選んで語っていた。
トゥートゥー。
昨日のブログでご紹介した「マイ・トゥー・トゥー」、読者の花田さんから昨年のデニース・ラセールのライヴでもやっていて、そこでも客席に歌わせてました、と情報をいただきました。ありがとうございます。そうでした。やってましたね。
2010年11月23日(火)
デニース・ラサールのサザンな香り
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10714901393.html
■ ライヴは火曜から木曜までブルーノート東京
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
初日ライヴ評(セットリスト、メンバー表)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110515.html
■ ジョー・サンプル過去記事は多数
2009年11月01日(日)
ジョー・サンプル・ライヴ、解説付きで音楽を楽しむ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10377956943.html
(過去記事一覧も)
ENT>LIVE>Sample, Joe & Creole Joe Band
2011-
【Creole Joe’s Band: Happy Happy Dance Music】
ザディコ。
今回のジョー・サンプルのバンドは、彼が12年ほど構想をあたためてきた企画。彼のルーツであるルイジアナ、ニューオーリンズの音楽クレオール・サウンド、ザディコをプレイするバンドだ。
クレオールは、ルイジアナ、ニューオーリンズを中心とした地域に生きるブラックとヨーロッパ系(特にスペイン、フランス)とのミックスによる人たちの総称。広い意味では、ミックス(混血)を指すが、狭義では「ルイジアナ・クレオール」と呼ばれるほど、その地域に密着し、独特の文化や音楽を持つ。その代表的音楽が「ザディコ」と呼ばれる。(ほかにもハイチ・クレオールなども多い)
「ザディコ」は、もともとフランス語のザリコzaricô(さやまめ)が訛った言葉だという。1920年代からルイジアナのクレオール・コミュニティーで流行し始めた元々は「ララ」と呼ばれた音楽だった。ジョーもそのあたりをステージで解説していた。
ジョー(1939年生まれ)によれば、ザディコは自分が生まれた頃からすでにあって、子供の頃から当たり前のようになじんでいた。自分のルーツでもある、だから、いつかこのザディコ・バンド、クレオール・バンドをやりたいと思っていた、という。
今回ギターで参加したニューオーリンズ在住の山岸潤史によれば、「ジョーとは、もう20年以上面識はあったけど、10年くらい前かなあ、ジョーが僕を探していると連絡をもらった。そのとき、一緒にレコーディングをしたいと言って、すぐにはスケジュールの関係でできなかったんだけど、それが今回のこのザディコのプロジェクトだったんだ。で、今回ライヴをやるというので、今回はスケジュールがあって、一緒にやることになった」という。
リハーサルは、3日間メンバーが集まってヒューストンにある「テキサス・サザーン・ユニヴァーシティー」のリハーサル・ルームで行った。「まあ、でも、ずっと何か食べたり、食事しっぱなしだったけどね(笑)」と山岸潤史さんが言う。この大学は、クルセイダーズのメンバーが出たことで「クルセイダーズ大学」と呼ばれているらしい。
今回驚いたのは、ジョー自身がアコーディオンを一生懸命プレイしていること。通常のエレキ・ピアノのところに座り、アコーディオンを必死にプレイするが、その姿が実にかわいい。そして、CJとジョーが立ち上がり、アコーディオン・バトルを繰り広げる場面もあり、お互いが思い切り楽しんでいるようで、見ててもハッピーになる。
同時に、山岸潤史とレイ・パーカーのギター・バトルもあって、これもおもしろい。楽器でまさに楽しむ、遊ぶ、そして、ザディコのリズムで踊るパーティー・バンドの真髄だ。
カルチャー。
メンバー紹介のところで、ジョーは言った。「この僕の横にいる紳士の父、クリフトン・シェニエーは、僕が子供のころ、最初にとりこになったアコーディオンの音楽をやっていた。僕が6歳か7歳の頃だった。彼はキング・オブ・ザディコだった。ところで、みんなはザディコって呼ぶけど、僕たちは昔こうした音楽を『ララ』と呼んでいた。初めてこうして『ララ・バンド』の音楽を、ララ・ミュージシャンたちによって日本に紹介できて嬉しい」
ジョーは、このザディコのバンドをずっとやりたいと思っていた。通常のソロ活動、クルセイダーズとしての活動とはまったく違うタイプのバンド活動だ。12年かけてやったこのプロジェクトは彼にとってのドリーム・プロジェクトだったのだろう。ライヴ後も、ジョーは事のほかごきげんでハッピーだった。そのハッピーさは、観客にも確実に伝わる。
CJは初日は金色のスーツで登場した。その派手っぷりがあまりにおもしろかったので彼に尋ねた。「何色くらい持ってるのですか」「何色もあるよ。毎日違う色でできるぞ」「どこで作ったんですか」「ニューオーリンズだ」「けっこう高いんですか」「いや、そんなに高くない。ソー・ソー(まあまあ)だ」「500ドルくらい?」「そんなにしない。200ドルちょいじゃないか。まあ、日本で作ったら500くらいするのかもしれないがな(笑)」
彼に名前の正しい発音は尋ねた。「おお、それは発音する人間がどこの人間かによるな。(笑) ヨーロッパの連中は、シェニエー(ル)[エにアクセントで最後のルは聴こえるか聴こえないくらい]、アメリカ人は、シェニアー(ル)かな。北部と南部のアメリカ人の違い?北部ははっきり、シェニアー、南部は(口をもごもごさせて、シェ(ニ)ア、(ちょっと口をまるめる感じ)だ。(笑))」
ジョーは明らかにこの自分のルーツ、カルチャーを誇りに思っている。そして、その他の国々のカルチャーにも敬意を表す。金曜日に出演したNHK-BSの『エルムンド』でも、『Hold on to your culture』(あなたのカルチャーを手離さないように)という言葉を選んで語っていた。
トゥートゥー。
昨日のブログでご紹介した「マイ・トゥー・トゥー」、読者の花田さんから昨年のデニース・ラセールのライヴでもやっていて、そこでも客席に歌わせてました、と情報をいただきました。ありがとうございます。そうでした。やってましたね。
2010年11月23日(火)
デニース・ラサールのサザンな香り
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10714901393.html
■ ライヴは火曜から木曜までブルーノート東京
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
初日ライヴ評(セットリスト、メンバー表)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110515.html
■ ジョー・サンプル過去記事は多数
2009年11月01日(日)
ジョー・サンプル・ライヴ、解説付きで音楽を楽しむ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10377956943.html
(過去記事一覧も)
ENT>LIVE>Sample, Joe & Creole Joe Band
2011-