2011年05月11日(水) 00時01分00秒
soulsearchinの投稿
● シギディー・アブドゥラー(SOSバンドのプロデューサー)62歳で死去
テーマ:訃報関連
● シギディー・アブドゥラー(SOSバンドのプロデューサー)62歳で死去
【Sigidi Abdullah Dies At 62】
訃報。
SOSバンドの「テイク・ユア・タイム」などの大ヒットを作曲、プロデュースしてきたプロデューサー、シギディー・アブドゥラーが、2011年5月8日(日曜)、ロスアンジェルスで死去した。62歳だった。昨年夏に手術を受けていた。病名などは、不明。親しい音楽関係者、友人が明らかにした。
シギディーは、SOSの最初の1-2枚目のアルバムや、70年代に大ヒットしたブラックバーズの「ウォーキング・イン・リズム」のコーラス、ドナルド・バードの「クワイエット・ストーム」での人気曲「シンク・トワイス」、「ファーリン・ライク・ドミノス」などにかかわってきた。
シギディーは、SOSバンドについて、1990年代に来日したこともあるという。グループ・メンバーではないため、ステージには立っていないが、スタッフの一員として来日したそうだ。
Sigidi Abdullah (1948-2011)
+++++
接点。
個人的に驚いたことに、シギディーは先月横浜で死去したソウル・シンガー、カルヴィン・ヤングブラッドと親しかったようで、カルヴィンのアトランタでの葬儀をオルガナイズしていた。また、フェイスブックのシギディーのページのプロフィール写真にカルヴィンの写真を掲げている。これには驚いた。そこまで親しかったのか。シギディーは一時期アトランタに住んでいたこともあり、SOSの創始者ジェイソン・ブライアントは現在、横浜に住んでいる。カルヴィンとシギディーがどのように接点を持ったのか、今となっては知る由もないが、いずれわかることもあるだろう。
SOSバンドは、「テイク・ユア・タイム」以降、当時DJとして耳タコになるほどかけ、また、デビュー作から何枚かアルバムのライナーノーツも書いたので、ひじょうに思い入れがある。現在、タブー・レコードの作品は日本でCDがないが、いずれCD化されるときには、詳しいことが書けるかと思う。SOSが1987年に来日したときには、ラウーフと当時のリードシンガーだったペニー・フォードにインタヴューしたが、シギディーが来日したのは、1990年代らしい。
+++++
評伝。
シギディーは、1948年10月11日、シカゴ生まれ。シギディーは、身長190センチを超える長身で大変インパクトがあるという。アトランタ、ロスアンジェルスを本拠にしていた。最初は、ソングライターとして活動、ドナルド・バードと知り合い、1970年代中期に彼がてがけるブラックバーズのプロジェクトにかかわった。シギディーが20代半ばの時期だ。
彼の父がジャズ・ミュージシャンだったことから、ファミリーには音楽があふれ、家族の仲間などから楽器をやって音楽をやったらどうかと勧められた。当初はピアノをやり始めたが、ハイスクールの音楽の授業で当時の先生から、「君は背が高い(190センチ=6フィート以上)あるから、君にぴったりの楽器がる」とアップライト・ベースを勧められたという。ハイスクールのタレント・ショーで友人のグループに誘われ、マイルス・デイヴィスの「ソー・ホワット」と「カインダ・ブルー」をプレイしたという。そのとき、ひじょうにいいリアクションを得たので、音楽の道に進むことを決意した。
ロスに移りハイスクールをいくつか転校するうちに、音楽関係の事務所で楽譜をスタジオに持っていったりする雑用を始め、そのうちに多くの音楽関係者と知り合うようになった。ロスで友人たちとヴォーカル・グループを結成し、ハーヴィー・フークワのオーディションなども受けたが、メンバーがヴェトナム戦争に徴兵され自然解散。シギディーは、ニューヨークへ移住。その後、またロスに戻り、再度グループを結成。コンジュアー(Conjure)というグループで、MGM/サンフラワーからシングルが出た。
その後、フォンスとラリー・マイゼルと知り合い、その線からドナルド・バード人脈とつながり、バードがてがけたブラックバーズ、ボビー・ハンフリー、ジョニー・ハモンド・スミスなどと知り合う。そして、バード、マイゼル兄弟と、曲作りにからむようになり、作曲を始めるようになった。そんなセッションの中で、ブラックバーズの「ウォーキング・イン・リズム」のコーラスを歌うことになった。このほかに、「シンク・トワイス」「フォーリング・ライク・ドミノス」などの曲作りにかかわった。
その後、ジャズのアーマッド・ジャマルのアルバム『ワン』のプロデュースにかかわり、さらに、当時タブー・レコードを大きくしようとしていたクラレンス・エイヴォントと知り合った。
そして、SOSバンドのデビュー・アルバムをてがけることになる。ここから最初のシングル「テイク・ユア・タイム」が980年夏から大ヒットし、SOSバンドは一躍スターダムにのし上がり、シギディーもプロデューサーとして、メジャーな存在になる。その後も、フィリップ・ウィン(1985年、フィリップ最後のレコーディング「ウェイト・ティル・トゥモロウ」など)、カーティス・メイフィールド、DJジャジー・ジェフ、ゲイリー・バーツ、チューズン・フュー、ブラック・シープ、Jディラの「シンク・トワイス」など多くのレコーディングをてがけている。
(クラレンス・エイヴォントとの出会い、「テイク・ユア・タイム」誕生秘話などについては後日、またご紹介したいと思います)
ご冥福をお祈りします。
(Special thanks to Ms. Marva Jean for providing detailed information)
SOSバンド「ファースト」「テイク・ユア・タイム」収録
SOSバンド2
ドナルド・バード「ファーリン・ライク・ドミノス」収録
ドナルド・バード「シンク・トゥワイス」収録
ブラックバーズ「ウォーキング・イン・リズム」収録
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OBITUARY>Sigidi, (Abdullah) / October 11, 1948 – May 8, 2011, 62 year old
【Sigidi Abdullah Dies At 62】
訃報。
SOSバンドの「テイク・ユア・タイム」などの大ヒットを作曲、プロデュースしてきたプロデューサー、シギディー・アブドゥラーが、2011年5月8日(日曜)、ロスアンジェルスで死去した。62歳だった。昨年夏に手術を受けていた。病名などは、不明。親しい音楽関係者、友人が明らかにした。
シギディーは、SOSの最初の1-2枚目のアルバムや、70年代に大ヒットしたブラックバーズの「ウォーキング・イン・リズム」のコーラス、ドナルド・バードの「クワイエット・ストーム」での人気曲「シンク・トワイス」、「ファーリン・ライク・ドミノス」などにかかわってきた。
シギディーは、SOSバンドについて、1990年代に来日したこともあるという。グループ・メンバーではないため、ステージには立っていないが、スタッフの一員として来日したそうだ。
Sigidi Abdullah (1948-2011)
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接点。
個人的に驚いたことに、シギディーは先月横浜で死去したソウル・シンガー、カルヴィン・ヤングブラッドと親しかったようで、カルヴィンのアトランタでの葬儀をオルガナイズしていた。また、フェイスブックのシギディーのページのプロフィール写真にカルヴィンの写真を掲げている。これには驚いた。そこまで親しかったのか。シギディーは一時期アトランタに住んでいたこともあり、SOSの創始者ジェイソン・ブライアントは現在、横浜に住んでいる。カルヴィンとシギディーがどのように接点を持ったのか、今となっては知る由もないが、いずれわかることもあるだろう。
SOSバンドは、「テイク・ユア・タイム」以降、当時DJとして耳タコになるほどかけ、また、デビュー作から何枚かアルバムのライナーノーツも書いたので、ひじょうに思い入れがある。現在、タブー・レコードの作品は日本でCDがないが、いずれCD化されるときには、詳しいことが書けるかと思う。SOSが1987年に来日したときには、ラウーフと当時のリードシンガーだったペニー・フォードにインタヴューしたが、シギディーが来日したのは、1990年代らしい。
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評伝。
シギディーは、1948年10月11日、シカゴ生まれ。シギディーは、身長190センチを超える長身で大変インパクトがあるという。アトランタ、ロスアンジェルスを本拠にしていた。最初は、ソングライターとして活動、ドナルド・バードと知り合い、1970年代中期に彼がてがけるブラックバーズのプロジェクトにかかわった。シギディーが20代半ばの時期だ。
彼の父がジャズ・ミュージシャンだったことから、ファミリーには音楽があふれ、家族の仲間などから楽器をやって音楽をやったらどうかと勧められた。当初はピアノをやり始めたが、ハイスクールの音楽の授業で当時の先生から、「君は背が高い(190センチ=6フィート以上)あるから、君にぴったりの楽器がる」とアップライト・ベースを勧められたという。ハイスクールのタレント・ショーで友人のグループに誘われ、マイルス・デイヴィスの「ソー・ホワット」と「カインダ・ブルー」をプレイしたという。そのとき、ひじょうにいいリアクションを得たので、音楽の道に進むことを決意した。
ロスに移りハイスクールをいくつか転校するうちに、音楽関係の事務所で楽譜をスタジオに持っていったりする雑用を始め、そのうちに多くの音楽関係者と知り合うようになった。ロスで友人たちとヴォーカル・グループを結成し、ハーヴィー・フークワのオーディションなども受けたが、メンバーがヴェトナム戦争に徴兵され自然解散。シギディーは、ニューヨークへ移住。その後、またロスに戻り、再度グループを結成。コンジュアー(Conjure)というグループで、MGM/サンフラワーからシングルが出た。
その後、フォンスとラリー・マイゼルと知り合い、その線からドナルド・バード人脈とつながり、バードがてがけたブラックバーズ、ボビー・ハンフリー、ジョニー・ハモンド・スミスなどと知り合う。そして、バード、マイゼル兄弟と、曲作りにからむようになり、作曲を始めるようになった。そんなセッションの中で、ブラックバーズの「ウォーキング・イン・リズム」のコーラスを歌うことになった。このほかに、「シンク・トワイス」「フォーリング・ライク・ドミノス」などの曲作りにかかわった。
その後、ジャズのアーマッド・ジャマルのアルバム『ワン』のプロデュースにかかわり、さらに、当時タブー・レコードを大きくしようとしていたクラレンス・エイヴォントと知り合った。
そして、SOSバンドのデビュー・アルバムをてがけることになる。ここから最初のシングル「テイク・ユア・タイム」が980年夏から大ヒットし、SOSバンドは一躍スターダムにのし上がり、シギディーもプロデューサーとして、メジャーな存在になる。その後も、フィリップ・ウィン(1985年、フィリップ最後のレコーディング「ウェイト・ティル・トゥモロウ」など)、カーティス・メイフィールド、DJジャジー・ジェフ、ゲイリー・バーツ、チューズン・フュー、ブラック・シープ、Jディラの「シンク・トワイス」など多くのレコーディングをてがけている。
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ご冥福をお祈りします。
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SOSバンド「ファースト」「テイク・ユア・タイム」収録
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OBITUARY>Sigidi, (Abdullah) / October 11, 1948 – May 8, 2011, 62 year old
1 ■何故、5月8日なんでしょうか
何故、5月8日に偉大な方々が亡くなるのでしょうか。
私のハンドルネーム Gilles は 大ファンのグランプリドライバー Gilles Villeneuve の名前からいただきました。彼は1982年5月8日のベルギーGPの予選中に落命しました。
コーネル デュプリーが5月8日に亡くなられてことに追悼の言葉を書かせていただいたところだったのに・・・。
偉大な方々がまた5月8日に亡くなられました。
私は5月8日に母親に産んでいただいたので5月8日は特別な日です。
毎年、この日が来ると彼らのことを思うことになることが悲しいです。
故人のご冥福をお祈りいたします。
合掌