2011年02月09日(水) 00時01分00秒 soulsearchinの投稿

★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第20回~第23回

テーマ:Walking On Planet C
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第20回~第23回

【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】

『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著

闘病記。

ナイル・ロジャーズの癌闘病記、2011年2月4日から7日までの4日分、写真・キャプション付き。

(写真に関しては、ソウル・サーチンのメインサイト http://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください)

(このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真も同じものを掲載しています)

【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】

第20回 Breaking News 臨時ニュース

Written on Friday, 04 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 04 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/245-walking-on-planet-c-breaking-news

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_oprahown.jpg吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_niletvlogo (1).jpg
左・オプラ・ウィンフリー(全米で人気ナンバーワンのテレビ司会者) 右・ナイル・テレビ

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CNNブレーキング・ニューズ

今朝のウォーキング前、CNNの臨時ニュースは、「ナイルのテレビ」について伝えていた。ナイルといっても、僕のことではなく、オプラ・ウィンフリー(人気テレビ司会者)を引っ張り出したわけでもない。そのニュースは、とても人気のあるエジプトのジャーナリストが、彼女の上司が(リポートを)検閲することに異議を唱え、「ナイル・テレビ」を辞職したというものだ。

「ナイル・テレビ」は僕のものではないが、僕自身、ちょっとした臨時ニュースがある。僕が根治手術をしてから4週間。一生懸命努力した甲斐があり、術後の症状はだいぶ楽になってきている。僕は膨大な量の「ケーゲル体操(骨盤底筋の体操)」をして、切除した筋肉の動きを残された筋肉でできるようトレーニングしている。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_malekegelexercise.jpgケーゲル体操でトレーニング

最近のエジプト情勢を思い浮かべながら、僕はウォーキングに出掛け、デューク・エリントンの「キャラヴァン」を口ずさみ始めた。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_dukeellingtoncaravan.jpgデューク・エリントン「キャラヴァン」

偶然にも、僕は西70丁目の「ピティアン」の入ってる建物を通りかかり、この写真を撮影した。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_thepythian.jpg「ピティアン」が1階に入った建物。上は住居用マンション。

僕はこのエジプト・スタイルの建物に住んでいる多くの音楽関係者を知っている。

デッカ・レコードは1950年代にここにスタジオを構え、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」などをレコーディングしている。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_billhaileyandhiscomets2.jpgビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ

80年代になると、地元の小さなバーで始まったいわゆる「アフター・アワー」のパーティーに顔を出していた連中が、最後にはみなここにやってきた。ある晩僕はチャリー・シーンと遊んでいて、最後にここにたどり着いた。ミック・ジャガーと一緒に彼の『ボス』のアルバムを作っているときは、ハービー・ハンコックやミック・ジャガーと一緒にここにきた。セックス、ドラッグ、そして、ロックン・ロールが、あの頃のこの建物と僕の友達をそのまま象徴していた。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_meandcharliesheen.jpg吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_mewithherbiehancockandmickjagger.jpg
左・僕とチャーリー・シーン 右・僕とハービー・ハンコックとミック・ジャガー

今日のウォーキングの最後に、これも西70丁目にある「カフェ・ルクセンブルグ」で朝食を取った。これが実は臨時ニュースなのだ! 今日まで、僕は癌手術のため尿の関係で外食を控えていた。だが僕は毎日少しずつ体力も回復し強くなり、今日、(外で)食べて、飲んでも大丈夫だという自信を明るい気持ちで持った。昨日はそんなリスクは背負いたくなかった、だが、今日は大丈夫だ。明日はきっともう少しよくなるだろう。たぶん、そのうち、僕は音楽と文学と演劇のことしか話さなくなると思う。それが僕の近い将来の興味の行方だからだ。これこそ、今日の大臨時ニュースなのだ!

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-19_cafeluxembourg.jpgカフェ・ルクセンブルグ。術後初めての外食。大臨時ニューズ!

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#21 This is Crazy Pt.1 狂気パート1

Written on Saturday, 05 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 05 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/246-walking-on-planet-c-this-is-crazy-pt1

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-20_singingletthesunshinein.jpg「レット・ザ・サンシャイン・イン」を歌いながらウォーキングへ

今日はとても寒かったが、朝は日が差していて気持ちよかった。ストリートを歩きながら僕はミュージカル『ヘア』の「レット・ザ・サンシャイン・イン」を歌った。常に不安と憂鬱にさいなまされるので、『ライフ・オン・プラネットC(癌惑星の人生)』は厳しい。

僕はできるだけポジティヴな精神で行こうと決めた。いつも見慣れている風景をちょっと変えてみるために地下鉄に乗り、シアター(劇場)密集地として知られるブロードウェイに向かった。42丁目で降り、自宅のあるアッパー・ウェスト・サイドに向かって歩くのも面白いだろうと考えた。ブロードウェイの作品「フォーティーセカンド・ストリート」を口ずさみ始めた。

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左・「42ンド・ストリート」 右・ミュージカル『スパイダーマン』

地下鉄から地上に上がり、ボノとエッジが手がけたミュージカル『スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク』がかかっている劇場を通り過ぎた。

ジュリー・テイモア監督とは1985年に僕の楽曲「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」のビデオを日本風に作った。僕は十代の頃に空手を習って以来、日本文化に興味を持っている。

僕はBBキングのナイトクラブを通り過ぎ、ヴォーン・ブラザーズの「ロング・ウェイ・フロム・ホーム」を歌い始めた。ほんの数週間前、ジミー・ヴォーンがここでライヴを行い、彼が招待してくれていたが、癌の手術をすることになっていたので、ライヴ鑑賞は断念せざるをえなかった。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-20_stevierayandjimmyvaughan.jpg 吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-20_familystyle.jpg
左・スティーヴィーとジミー・ヴォーン 右・アルバム『ファミリー・スタイル』

そして、そのことから、スティーヴ・レイ・ヴォーンのことを思わずにはいられない。寛大で謙虚な天才ギタリスト。「ロング・ウェイ…」を歌ったヴォーカリストだ。人生とは理不尽な狂気の連続だ。僕が初めてスティーヴに会ったとき、彼は重度のコカイン中毒で、アルコール中毒でもあった。デイヴィッド・ボウイが、僕が1982年にプロデュースした『レッツ・ダンス』のアルバムで彼にプレイさせた。

スティーヴィーが1990年、ヘリコプターの墜落事故で他界したとき、彼は完璧にクリーンな体になっていた。僕たちは『ファミリー・スタイル』(ナイルがプロデュース)(注)というアルバムを作ったが、スティーヴィーは敬愛する実兄と初めて一緒に作ったアルバムが世に出る直前に死去してしまった。

癌もそうした事件事故と同じように狂気にあふれている。何も予期できない。仮に僕と同じタイプの癌になり、僕のような話があったとしても、そこには何百という違ったストーリーがあるのだ。

8番街(エイス・アヴェニュー)に来て、僕は進路を北に向けた。すると、さらに思わぬ狂気が待ち受けていた。

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左・ジュリー・テイモアが監督した「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」のビデオ 右・デイヴィッド・ボウイと僕

(つづく)

注、アルバム『ファミリー・スタイル』は1990年9月25日に発売。スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、1990年8月27日にウィスコンシン州で飛行機事故のため死去。

++++

#22 This is Crazy Pt.2 狂気パート2

Written on Sunday, 06 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 06 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/247-walking-on-planet-c-this-is-crazy-pt2

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-21_showworldcenter.jpg 
ニューヨークの「ピープ・ショー」を見せる「ショー・ワールド・センター」

そう、これはクレイジー(狂気)なのだ! 僕は根治手術後のリハビリの一環として、42丁目から8番街を北に向かって歩いていた。術後の治療同様、マイペースで、ゆっくりながらも着実に。目の前に大きなセックス・ショップ「ショー・ワールド・センター」が現れた。1980年代、ここで働く女の子たち何人かと付き合った。今日まだあるかどうかは知らないが、かなりの人数が「ピープ・ショー」(ストリップ、ポルノ・ショーなどを客が覗き見するもの)に出ていた。

僕はプロデューサー、ソングライターのグレッグ・ダイアモンドがプロデュースしたアンドレア・トゥルーの歌う「モア・モア・モア」をハミングし始めた。アンドレア・トゥルーは、実はポルノ・スターだったのだ。これは、この情景に完璧にフィットした。

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左・ポルノ・スター、アンドレア・トゥルー・コネクションの「モア・モア・モア」 右・シック

グレッグはチャカ・カーンでもヒットを出し、僕の古くからの友達デイヴィッド・ラスリーとルーサー・ヴァンドロスでもヒットを生み出した。デイヴィッドもルーサーも、どちらもシックのレコードで歌っている。

本能的に、僕は彼らが歌ったシックの最初のレコーディング曲「エヴリバディー・ダンス」を歌い始めた。(歌詞→)「Everybody Dance. Do, do, do, do. Clap your hands. Clap your hands.」(みんな踊って、手を叩いて) こんな曲を口ずさんでいる能天気な僕を見ると、ほんの数週間前まで、死に直面していたことなど誰も想像もできないだろう。

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左・「プラトーズ・リトリート」 右・弟のバンチー

癌とは、プラネットC(癌惑星)の人生とは、精神的な浮き沈みが実に激しい。しかし、今しばらくは、陽気な気分だった。

弟のバンチー(ナイルの6歳年下の弟)が僕に会いに来てくれることになっていたので、僕はかつて「ギルデッド・グレイプ」(1974年に8番街45丁目にオープンしたゲイバー。直訳では金色のぶどう)という店だったところを足早に通り過ぎた。

かつて、「ギルデッド・グレイプ」の男性トイレに入ると、そこにはダイアナ・ロスのそっくりさんが、(男として)用を足していたのに遭遇したものだ。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-21_mensurinals.jpg 吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-21_dianarossimpersonator2.jpg吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-21_dianacomingout.jpg
左・男性用トイレ 中・ダイアナ・ロスそっくりさん(男) 右・ダイアナ・ロス(本物)

ダイアナ・ロスのスマッシュ・ヒット「アイム・カミング・アウト(私は、カミング・アウトする)」のアイデアは、そんなユニークな場所から生まれたのだ。

73丁目まで着くと大体1.5マイル(約2.4キロ)歩いたことになる。僕は遊び人たちの人気スポットで、かなりぶっ飛んでいたやりすぎの気もあった「プラトーズ・リトリート」という店があった場所に来た。まるで脳内ターンテーブルが自動操縦されたように、ディスコ・ヒット「プラトーズ・リトリート」がかかった。(歌詞→)「If you need some lovin'. Some part-time huggin' Move to any beat. At Plato's Retreat. Gettin' hot and bothered. Loosen up your collar. Let's all do the freak. At Plato's Retreat.」(歌詞=ちょっとした愛が必要なら、ちょっと遊びたいなら…。 「プラトーズ・リトリート」なら、どんなビートでも踊れる。さあ、盛り上がって、ちょっといいかな。さあ、襟を緩めて、フリークを踊ろう。プラトーズ・リトリートで)

ベット・ミドラーと当時の音楽ディレクター、バリー・マニロウは、この店が「コンチネンタル・バス」(注)という名前だった頃に評判となった。僕は「コンチネンタル・バス」には行ったことはなかったが、「プラトーズ・リトリート」になってからは行った。

「Retreat(リトリート)」とは、避難すること、特に何か害のあるもの、禁じられたもの、不愉快なものから離れること、逃げることを意味する。

誰か、逃げろ、避難しろと言ってくれたのか?誰かが癌だ、と言ってくれたのか?

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左・バリー・マニロウ 右・ベット・ミドラー

(つづく)

注、コンチネンタル・バスは、1974年に閉店。温泉もあり、ゲイも集まってきたが、当時は無名だったベット・ミドラーなど多くの一流エンタテインメントを提供していた。同地が1977年「プラトーズ・リトリート」となって再オープン。やはりゲイが多く集まった。しかし、エイズが広まったために、1980年に閉店。

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第23回 This is Crazy Pt.3 狂気パート3

Written on Monday, 07 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 07 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/248-walking-on-planet-c-this-is-crazy-pt3

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左・「ル・クリブ」での僕 右・完全防寒でウォーキングに出発

今日、僕はコネチカット州にある僕のスタジオ「ル・クリブ」に向かった。ちょっと曲作りをしようと思ったのだ。癌が僕に宣戦布告して以来、これは初めてのことだった。

ニューヨークで出来なかった1.5マイルのウォーキングをここですることにした。

田舎の道を歩くと大きな利点がある。それは大きな声で歌えるということだ。そんな状況で、何を歌おうか考えた。僕の感情、思い出、様々に思い浮かんでくる考え、そしたものが、僕の精神的DJに影響を与えてくる。

術後の状況が少しずつ改善して以来、僕は依然前向きな気分になっている。そこで、Tコネクションの最高にグルーヴのある傑作「ドゥ・ワット・ユー・ウォナ・ドゥー」を口ずさみ始めた。後半の繰り返し部分に来たとき、僕はベース・ラインを口真似した。ファンクの天国にいる気分だった。

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-22_tconnection.jpg マイアミ出身のディスコ・グループ、Tコネクション

僕は「コンポ・ヨット・クラブ」にやってきて、しばし雪に覆われた海岸線を歩いた。『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』に登場する架空の惑星ホースの上を歩いている気分だった。僕はダース・ヴェイダーのテーマを「イン・アット・ロングショア」(コネチカット州ウェストポートにある高級ホテル)に着くまで歌っていた。すると突然僕はGQの「ディスコ・ナイト」を歌い始めた。たぶん、無意識のうちに、GQを最後に見たのがここだったからだと思う。GQはここでライヴをやったのだ。

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左・雪に覆われるヨットクラブ 右・スターウォーズ・帝国の逆襲

マイ・スタジオ「ル・クリブ」を17年前に建てたとき、近くには多くのミュージシャンたちが住んでいた。ドナ・サマー、アシュフォード&シンプソン、ホール&オーツ、ダン・ハートマン、トーキング・ヘッズ/トム・トム・クラブのティナとフランツ、マイケル・ボルトン、キース・リチャード、その他大勢いた。ティナ、フランツ、マイケル、キースらは今でもこの近くにいる。

16年前、現在のレストラン「リズートズ」は、「540」という名の店だった。ある日、ここにテイクアウトを取りに来たときのことだ。ちょうど僕は(ドラッグの)リハビリから出所してきたところだった。キース・リチャーズがドラッグを止めたという記事を読んで、僕もドラッグから足を洗おうと思ったのだ。

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左・ローリング・ストーンズ 右・キース・リチャーズ 彼のおかげで僕はドラッグ禍から抜け出せた

料理が出来るのを待っていると、店の者がやってきて「あなたにお電話です」という。ほんの数時間前にリハビリ施設から出てきたばかりなのに、一体誰からだろうと不思議に思った。すると電話の主は、「ナイル、友達のナイルだろ? 俺、キースだよ。コーク、持ってないか?」と言った。僕は「驚いた。ごめん、もう持ってないんだよ」

それ以来僕は酒も、ドラッグもやっていない。

これはどこかおかしいだろう! だって、キースがドラッグを止めたから、僕もクリーンになろうと思ったのだ。

癌は恐ろしい! 最後に受けた検診までは、僕の体は100パーセント・クリーンで健康だった。

人生とは、いつも、理屈通り正しく行くとは限らないようだ。だが、そうした理不尽な出来事の中にも常に、何かしらの答えはある。要はそれを自分自身で探し出さなければならないということなのだ。

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左・トーキング・ヘッズ 右・マイケル・ボルトン

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左・ドナ・サマー 右・ホール&オーツ(かなり若い)

吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-22_danhartman.jpg吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-22_ashfordandsimpson.jpg
左・故ダン・ハートマン 右・アシュフォード&シンプソン

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