2011年01月19日(水) 00時01分00秒
soulsearchinの投稿
★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第二回、第三回
テーマ:Walking On Planet C
★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第二回、第三回
【Nile Rodgers: Walking On Planet C #2 & #3】
闘病記。
癌を公表したナイル・ロジャーズの癌闘病記。第二弾と第三弾の全訳をお届けします。
(ナイル・ロジャーズ氏本人の承諾を得ましたので、ナイルのブログと同じ写真も掲載いたします)
Walking on Planet C by Nile Rodgers
プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
第二回 Surgery Day 手術当日
Written on Monday, 17 January 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 January 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/227-walking-on-planet-c-surgery-day
手術の日は、一月の寒い朝だった。医師たちは僕の癌の値はかなり高いと言った。それまで「グリーソン・スケール」などというものは聞いたことがなかったが、これは前立腺癌の状態を示す数値だ。僕の癌はそこで最高値にあった。(訳注、数値は数字で示されるが、数値が高いほど、状態は悪い、という意味)
その数週間前に、アース・ウィンド&ファイアーのオープニングを務めたとき以来、僕は精神的にボロボロになっていた。そのとき、筋力を失い、ギターのピックさえ握れなくなっていたのだ。僕はパニックに陥った。だが、なんとか素手でギターを弾きショーを終えた。
それから数週間、事態は悪化し、僕は痛みを伴う生体検査を受けた。それはまるで中世の拷問のようだった。だが、何も明らかにされず、しかし、依然何も握れなかった。
手術当日の朝までに、もし僕自身もはやギターが弾けなくなったら、本来自身でコントロールできない「死」というものが、実行可能な選択肢となるのではないかとさえ思った。
これから数日にわたって、僕は、これまでの経緯、そして、今後の回復への道のりを紹介して行こうと思う。僕の場合、その詳細はかなり変わったものかもしれないが、同じような状況は誰にでも起こるだろう。僕たちは可能な限りベストな人生を送る権利がある。僕が直面した恐怖の体験が、あなたたちの恐怖を少しでも和らげられ、共感していただければと思う。
+++
Walking on Planet C by Nile Rodgers
プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
第三回:The Morning After Surgery 手術後の朝
Written on Tuesday, 18 January 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time 18 January 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/228-walking-on-planet-c-the-morning-after-surgery
僕は朝6時に起きるが、夜はだいたい治療のためにウォーキングをしている。麻酔と痛み止めのために、口は渇き、意識はもうろうとし、心は荒んでいた。僕のベッドからは、(マンハッタンの)イースト・リヴァーの向こう側にある通称「ウェルフェア・アイランド(ルーズヴェルト島)」(クイーンズ側にある)の、僕が生まれた「刑務所」(訳注、ナイルは半分ジョークっぽく刑務所と書いてるが、かなりボロボロの場所という意味)が見える。僕の母は13歳で僕を妊娠し、学校にその「刑務所」に行かされた。僕は、自分が生まれたところからほんの数百メートルしか離れていない場所で死ぬのかと思いを巡らせた。
僕の体にはたくさんのチューブが取り付けられている。とても優美とは言えない代物だ。僕はクールを装おうとしたが、とても心配になった。
日課のウォーキングを終えると、治療と検査のドクターたちがやってきた。彼らは患部のモデル(模型)を見せ、癌の範囲を示し、説明した。「もし、(スケール=数値が)1なら、扱いやすい、4だと悲惨なのだが、君のは強力な3だったよ」 ぎりぎり大惨事は免れたということか。彼らに感謝を述べ、「あなたたちは、私のヒーローだ」と言うと、彼らは僕にまたウォーキングをするように指示した。そして、彼らは他の患者の命を救うべく出ていった。
ウォーキングによって、僕は自身の目で見たものを基本に考えるようになってきた。見たものを信じる、そうすることによって、少しずつ恐怖感が和らいでいった。僕は、体力的な健康だけでなく、心身面、精神面での健全さのために歩く。歩くことで、その三つの要素が総体的に恩恵を被ることになるのだ。
+++
NEWS>Rodgers, Nile
【Nile Rodgers: Walking On Planet C #2 & #3】
闘病記。
癌を公表したナイル・ロジャーズの癌闘病記。第二弾と第三弾の全訳をお届けします。
(ナイル・ロジャーズ氏本人の承諾を得ましたので、ナイルのブログと同じ写真も掲載いたします)
Walking on Planet C by Nile Rodgers
プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
第二回 Surgery Day 手術当日
Written on Monday, 17 January 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 January 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/227-walking-on-planet-c-surgery-day
手術の日は、一月の寒い朝だった。医師たちは僕の癌の値はかなり高いと言った。それまで「グリーソン・スケール」などというものは聞いたことがなかったが、これは前立腺癌の状態を示す数値だ。僕の癌はそこで最高値にあった。(訳注、数値は数字で示されるが、数値が高いほど、状態は悪い、という意味)
その数週間前に、アース・ウィンド&ファイアーのオープニングを務めたとき以来、僕は精神的にボロボロになっていた。そのとき、筋力を失い、ギターのピックさえ握れなくなっていたのだ。僕はパニックに陥った。だが、なんとか素手でギターを弾きショーを終えた。
それから数週間、事態は悪化し、僕は痛みを伴う生体検査を受けた。それはまるで中世の拷問のようだった。だが、何も明らかにされず、しかし、依然何も握れなかった。
手術当日の朝までに、もし僕自身もはやギターが弾けなくなったら、本来自身でコントロールできない「死」というものが、実行可能な選択肢となるのではないかとさえ思った。
これから数日にわたって、僕は、これまでの経緯、そして、今後の回復への道のりを紹介して行こうと思う。僕の場合、その詳細はかなり変わったものかもしれないが、同じような状況は誰にでも起こるだろう。僕たちは可能な限りベストな人生を送る権利がある。僕が直面した恐怖の体験が、あなたたちの恐怖を少しでも和らげられ、共感していただければと思う。
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Walking on Planet C by Nile Rodgers
プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
第三回:The Morning After Surgery 手術後の朝
Written on Tuesday, 18 January 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time 18 January 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/228-walking-on-planet-c-the-morning-after-surgery
僕は朝6時に起きるが、夜はだいたい治療のためにウォーキングをしている。麻酔と痛み止めのために、口は渇き、意識はもうろうとし、心は荒んでいた。僕のベッドからは、(マンハッタンの)イースト・リヴァーの向こう側にある通称「ウェルフェア・アイランド(ルーズヴェルト島)」(クイーンズ側にある)の、僕が生まれた「刑務所」(訳注、ナイルは半分ジョークっぽく刑務所と書いてるが、かなりボロボロの場所という意味)が見える。僕の母は13歳で僕を妊娠し、学校にその「刑務所」に行かされた。僕は、自分が生まれたところからほんの数百メートルしか離れていない場所で死ぬのかと思いを巡らせた。
僕の体にはたくさんのチューブが取り付けられている。とても優美とは言えない代物だ。僕はクールを装おうとしたが、とても心配になった。
日課のウォーキングを終えると、治療と検査のドクターたちがやってきた。彼らは患部のモデル(模型)を見せ、癌の範囲を示し、説明した。「もし、(スケール=数値が)1なら、扱いやすい、4だと悲惨なのだが、君のは強力な3だったよ」 ぎりぎり大惨事は免れたということか。彼らに感謝を述べ、「あなたたちは、私のヒーローだ」と言うと、彼らは僕にまたウォーキングをするように指示した。そして、彼らは他の患者の命を救うべく出ていった。
ウォーキングによって、僕は自身の目で見たものを基本に考えるようになってきた。見たものを信じる、そうすることによって、少しずつ恐怖感が和らいでいった。僕は、体力的な健康だけでなく、心身面、精神面での健全さのために歩く。歩くことで、その三つの要素が総体的に恩恵を被ることになるのだ。
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NEWS>Rodgers, Nile
1 ■誤訳?
Nileの悲しい出来事を翻訳してくださり、ありがとうございます。
一カ所だけ、本文の"They left to save a few more lives."という所の訳が「彼らはほんの少しの命を救って、出ていった」とありますが、これは「彼らは他の(人の)命を救うべく、出ていった」が正しくはないでしょうか。
Nileに4月に会えますように…