2011年01月17日(月) 00時01分00秒
soulsearchinの投稿
◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2)
テーマ:エッセイ
◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2)
(昨日からのつづき)
【My First Linernotes (Part 2)】
■ ジャズ・ファンク・アルバム
アイス。
宮前さんから僕が書いた最初のライナーノーツを尋ねられたが、2枚目もよく覚えている。フランスのジャズ・ファンク・グループ、アイスというグループの『フリスコ・ディスコ』というアルバムだ。1975年12月に執筆。これは当時のビクター音産の横田さん(のちにヴァージン・ジャパン社長)から依頼された。たぶん、タイトルがディスコとついているので、ディスコについて詳しかった僕に依頼が来たのだと思う。メジャー・ハリスはそこそこアメリカでヒットしたので、存在を知ってる人も多いが、このアイスはほとんどヒットしなかったので、誰も知らないと言ってもいい。
ところが、リトル・ソウル・カフェにはこのアメリカ盤(プレステージ盤)があった。輸入盤なので、さすがに僕のライナーは見ることができなかったのだが、宮前さんは、「ジャズ・ファンクのアルバムでしょう?」と知っていた。おそるべし。
このグループは、リリース時にはそれほどヒットせず、またアーティストについても詳しくはわからなかったのだが、フランス・パリを本拠にしたファンク・グループで、後のインコグニートやブラン・ニュー・ヘヴィーズ的な今で言うジャズ・ファンク・バンドだった。当時はまだ「ジャズ・ファンク」という名称さえなかった。そして、このグループは、後に名前をラファイエット・アフロ・ロック・バンドと名称を変える。そして、さらにもっと後になると、このバンドの「ハーイエイク」という楽曲や「ダーケスト・ライト」という曲が、ジェイZやビズ・マーキー、DJホンダ、その他のヒップホップ系のアーティストによって、サンプリングで使われることになり、ちょっとした話題になる。そして、このアイス/ラファイエットのプロジェクトを仕切っていたのが、ピエール・ジョベールというフランス人の音楽業界人だった。
ピエールは、その後、個人的にもメールのやりとりをするようになるのだが、このアイス→ラファイエット・アフロ・ロック・バンドをベースに、このメンバーでいろいろなディスコっぽい曲を作り、違うグループ名でヒットを出すようになる。その中で日本でよく知られているのが、キャプテン・ダックス名義で出た「(ドクター・ビザール・)ソウル・フランケンシュタイン」という楽曲だ。これはディスコで大ヒット。
その後も、ニューヨークのウエストエンドから出たミッシェルの「マジック・ラヴ」(トム・モウルトンがリミックスを担当)なども、ジョベールの作品でこれも日本のディスコでもヒットした。もちろん、そうした話題は、リリースより後の出来事なので、アイスのアルバム・ライナーには触れられていない。もし、今これを書き直すとなると、そうしたネタをすべて含めて書いたほうがいいということになる。
■ 1986年9月以降ワープロへ
3枚目。
さて、自分が書いたライナーノーツは2枚目までは覚えていたのだが、それ以降はっきりしなかったので、家に戻って調べてみた。
すると、3枚目は当時日本フォノグラムから出たホワットノウツのアルバム(1976年1月21日執筆)、そして、次がなんとパーラメントの『マザーシップ・コネクション』(1976年2月23日執筆)だった。さらに、リムショッツ、ディスコのオムニバス、チャック・ジャクソン、ドナ・サマーと続いた。
僕は1975年に最初のライナーノーツを書いたが、1986年9月まで手書き。1986年9月以降ワープロを手に入れ、ワープロで書くようになった。正確には、その3-4ヶ月ほど前に、1行だけ液晶画面に文字が出るワープロを使い始めたのだが、それは保存ができず、書いてプリント・アウトすると、それっきりという代物だった。9月以降のものは、キャノワードで書き、書いたものをフロッピーディスクに保存し始めたので、基本的には文字データとしてすべて残っている。
以来、ライナーノーツは1200枚以上書いたと思う。1000枚までは数えていたのだが、以降、数えるのをやめてしまったのだ。もう一度、資料を整理したほうがよさそうだ。
中には、同じアルバムを再発のときに改めて書き直したりしたものもある。また、ほんの数枚だが、原稿は書いたもののレコードが未発売になり、陽の目を見なかった原稿もある。没になった原稿は、生原稿が戻ってくることが少ないので、何を書いたか覚えていない。そんな中で覚えているのは、ルイス・ジョンソンのソロ・アルバムというのがあった。1983年ごろだったと思う。あと、マッスル・ショールズ・ホーンズのアルバムも書いたようだが、発売がボツになっていた。
■ なぜライナーノーツが好きか
自由。
僕はライナーノーツを読むのも書くのも大好きなのだが、その最大の理由が、大まかな字数の制限はあるものの、何でも自由に書けるという点がある。雑誌や新聞だと、何文字x何行、とびしっと文字数が制限される。あるいはトータルの文字数で2000字でといった具合だ。ライナーの場合、当初は大体4000字くらいで依頼されるが、それが若干プラス・マイナスしても特に問題はない。ゆえに自由にいろいろと書ける。また、小見出しなども自由に付けられるので、ある程度原稿を書くと編集的な作業もできる。
そうした中で、そのアーティストに関する詳細な情報、アルバムの聞きどころ、参加ミュージシャンなどについて、いろいろ書けるのが楽しい。
さて、ライナーノーツというテーマだといくらでも、書いているうちに思い出すので、まだこのテーマで続くかもしれない。しばしおつきあいを…。(笑)
(ライナーに関しては続くかも)
ESSAY>Linernotes
(昨日からのつづき)
【My First Linernotes (Part 2)】
■ ジャズ・ファンク・アルバム
アイス。
宮前さんから僕が書いた最初のライナーノーツを尋ねられたが、2枚目もよく覚えている。フランスのジャズ・ファンク・グループ、アイスというグループの『フリスコ・ディスコ』というアルバムだ。1975年12月に執筆。これは当時のビクター音産の横田さん(のちにヴァージン・ジャパン社長)から依頼された。たぶん、タイトルがディスコとついているので、ディスコについて詳しかった僕に依頼が来たのだと思う。メジャー・ハリスはそこそこアメリカでヒットしたので、存在を知ってる人も多いが、このアイスはほとんどヒットしなかったので、誰も知らないと言ってもいい。
ところが、リトル・ソウル・カフェにはこのアメリカ盤(プレステージ盤)があった。輸入盤なので、さすがに僕のライナーは見ることができなかったのだが、宮前さんは、「ジャズ・ファンクのアルバムでしょう?」と知っていた。おそるべし。
このグループは、リリース時にはそれほどヒットせず、またアーティストについても詳しくはわからなかったのだが、フランス・パリを本拠にしたファンク・グループで、後のインコグニートやブラン・ニュー・ヘヴィーズ的な今で言うジャズ・ファンク・バンドだった。当時はまだ「ジャズ・ファンク」という名称さえなかった。そして、このグループは、後に名前をラファイエット・アフロ・ロック・バンドと名称を変える。そして、さらにもっと後になると、このバンドの「ハーイエイク」という楽曲や「ダーケスト・ライト」という曲が、ジェイZやビズ・マーキー、DJホンダ、その他のヒップホップ系のアーティストによって、サンプリングで使われることになり、ちょっとした話題になる。そして、このアイス/ラファイエットのプロジェクトを仕切っていたのが、ピエール・ジョベールというフランス人の音楽業界人だった。
ピエールは、その後、個人的にもメールのやりとりをするようになるのだが、このアイス→ラファイエット・アフロ・ロック・バンドをベースに、このメンバーでいろいろなディスコっぽい曲を作り、違うグループ名でヒットを出すようになる。その中で日本でよく知られているのが、キャプテン・ダックス名義で出た「(ドクター・ビザール・)ソウル・フランケンシュタイン」という楽曲だ。これはディスコで大ヒット。
その後も、ニューヨークのウエストエンドから出たミッシェルの「マジック・ラヴ」(トム・モウルトンがリミックスを担当)なども、ジョベールの作品でこれも日本のディスコでもヒットした。もちろん、そうした話題は、リリースより後の出来事なので、アイスのアルバム・ライナーには触れられていない。もし、今これを書き直すとなると、そうしたネタをすべて含めて書いたほうがいいということになる。
■ 1986年9月以降ワープロへ
3枚目。
さて、自分が書いたライナーノーツは2枚目までは覚えていたのだが、それ以降はっきりしなかったので、家に戻って調べてみた。
すると、3枚目は当時日本フォノグラムから出たホワットノウツのアルバム(1976年1月21日執筆)、そして、次がなんとパーラメントの『マザーシップ・コネクション』(1976年2月23日執筆)だった。さらに、リムショッツ、ディスコのオムニバス、チャック・ジャクソン、ドナ・サマーと続いた。
僕は1975年に最初のライナーノーツを書いたが、1986年9月まで手書き。1986年9月以降ワープロを手に入れ、ワープロで書くようになった。正確には、その3-4ヶ月ほど前に、1行だけ液晶画面に文字が出るワープロを使い始めたのだが、それは保存ができず、書いてプリント・アウトすると、それっきりという代物だった。9月以降のものは、キャノワードで書き、書いたものをフロッピーディスクに保存し始めたので、基本的には文字データとしてすべて残っている。
以来、ライナーノーツは1200枚以上書いたと思う。1000枚までは数えていたのだが、以降、数えるのをやめてしまったのだ。もう一度、資料を整理したほうがよさそうだ。
中には、同じアルバムを再発のときに改めて書き直したりしたものもある。また、ほんの数枚だが、原稿は書いたもののレコードが未発売になり、陽の目を見なかった原稿もある。没になった原稿は、生原稿が戻ってくることが少ないので、何を書いたか覚えていない。そんな中で覚えているのは、ルイス・ジョンソンのソロ・アルバムというのがあった。1983年ごろだったと思う。あと、マッスル・ショールズ・ホーンズのアルバムも書いたようだが、発売がボツになっていた。
■ なぜライナーノーツが好きか
自由。
僕はライナーノーツを読むのも書くのも大好きなのだが、その最大の理由が、大まかな字数の制限はあるものの、何でも自由に書けるという点がある。雑誌や新聞だと、何文字x何行、とびしっと文字数が制限される。あるいはトータルの文字数で2000字でといった具合だ。ライナーの場合、当初は大体4000字くらいで依頼されるが、それが若干プラス・マイナスしても特に問題はない。ゆえに自由にいろいろと書ける。また、小見出しなども自由に付けられるので、ある程度原稿を書くと編集的な作業もできる。
そうした中で、そのアーティストに関する詳細な情報、アルバムの聞きどころ、参加ミュージシャンなどについて、いろいろ書けるのが楽しい。
さて、ライナーノーツというテーマだといくらでも、書いているうちに思い出すので、まだこのテーマで続くかもしれない。しばしおつきあいを…。(笑)
(ライナーに関しては続くかも)
ESSAY>Linernotes