2010年12月07日(火) 00時01分00秒
soulsearchinの投稿
●☆ウェルドン・マクドゥーガル3世死去~モータウンで初期マイケルをプローモート
テーマ:訃報関連
●☆ウェルドン・マクドゥーガル3世死去~モータウンで初期マイケルをプローモート
(このニュースは10月末のものですが、このほど入手しましたので、ここにアップします)
【Weldon McDougal Dies At 74: Promo Rep For Motown In The 60s】
訃報。
1960年代モータウン・レコードの地域プロモーションマンを務めたり、その後、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードを中心に、コンサルタントなどをてがけたウェルドン・マクドゥーガルWeldon Arthur McDougal IIIが、2010年10月21日(木)、フィラデルフィア郊外ランスドーンLansdowneですい臓癌のため死去した。74歳だった。
マクドゥーガルは、1936年頃、フィラデルフィア出身。十代の頃から友人と遊びでR&Bヴォーカル・グループを作っていた。ハイスクール時代の友人たちと結成したヴォーカル・グループはラークスLarksといい地元のインディにシングルを残した。ラークスはローカル・シングルを出し、「イッツ・アンビリーヴァブル」という曲はそこそこのヒットになった。これらを背景に、ラークスは週300ドルでニューヨークのアポロ劇場でのハコバンド的な仕事を得て、当時、シェップ&ザ・ライムライツ、フラミンゴスなどの前座を務めたという。
なお、ラークスと名乗るグループは数組おり、そのうちのひとつは「ジャーク」というヒットを放っているが、それらのラークスとは関係ない。グループは、ローカルヒットは放ったが、全国チャートに載るヒットは生まれず、マクダガルは地元フィラデルフィアでさまざまな仕事についた。そのうちのひとつに、『アメリカン・バンドスタンド』の収録スタジオでの、入り口のドアマンのような仕事もあった、という。
フィラデルフィアで、彼はハーソン・ダイノダイナミックスというインディ・レーベルをスタート。ここで、エディー・ホールマン、バーバラ・メイソン、ヴォルケイノスなどのレコードの制作にかかわり、いくつかのヒットに寄与した。中でも、彼がプロデュースしたメイソンの「イエス・アイム・レディー」は1965年に大ヒットしている。この曲は後に、テリー・デサリオ&KCで全米ポップチャートで2位になっている。
■ ジャクソン5をプロモート
プロモート。
1969年3月、彼がモータウンの地域プロモーションを担当していた頃、シカゴのハイ・チャパラルというクラブで行われたタレント・コンテストで当時はまだ無名だったジャクソン5を見た。そのパフォーマンスが素晴らしかったので、彼は同じくモータウンのプロデューサーだったボビー・テイラーにその話をし、ボビーはジャクソン5と契約話をするようになった。ジャクソン5は結局、モータウンと契約、鳴り物入りでデビュー。
マクドゥーガルはモータウンの宣伝マン時代に、ジャクソン5のシングル、アルバムのプロモーションをしていたため、ジャクソン5、マイケルらとも近い存在だった。そこで、多くの時間を過ごしたので、さまざまなマイケル・ジャクソンらのエピソードを持っている。
そうしたエピソードやモータウン時代の写真を集めた写真集『マイケル・ジャクソン・スクラップブック』を1985年2月にエイヴォン・ブックスから出した。『スリラー』でスーパースターになったマイケルの写真集として売り出され、話題になった。この写真集はその後絶版になり、現在ではアメリカでも、日本でも高値がついている。
■ 海外の記事
http://www.eurweb.com/?p=60230
http://www.philly.com/philly/obituaries/20101029_Weldon_A__McDougal_III__singer__musical_producer__dies_at_74.html
■ウェルドン・マクドゥーガル著 マイケル・ジャクソン・スクラップブック (中古にとんでもない値段がついています)
OBITUARY> McDougal, III, Weldon Arthur, (- October 21, 2010-74 year-old)
(このニュースは10月末のものですが、このほど入手しましたので、ここにアップします)
【Weldon McDougal Dies At 74: Promo Rep For Motown In The 60s】
訃報。
1960年代モータウン・レコードの地域プロモーションマンを務めたり、その後、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードを中心に、コンサルタントなどをてがけたウェルドン・マクドゥーガルWeldon Arthur McDougal IIIが、2010年10月21日(木)、フィラデルフィア郊外ランスドーンLansdowneですい臓癌のため死去した。74歳だった。
マクドゥーガルは、1936年頃、フィラデルフィア出身。十代の頃から友人と遊びでR&Bヴォーカル・グループを作っていた。ハイスクール時代の友人たちと結成したヴォーカル・グループはラークスLarksといい地元のインディにシングルを残した。ラークスはローカル・シングルを出し、「イッツ・アンビリーヴァブル」という曲はそこそこのヒットになった。これらを背景に、ラークスは週300ドルでニューヨークのアポロ劇場でのハコバンド的な仕事を得て、当時、シェップ&ザ・ライムライツ、フラミンゴスなどの前座を務めたという。
なお、ラークスと名乗るグループは数組おり、そのうちのひとつは「ジャーク」というヒットを放っているが、それらのラークスとは関係ない。グループは、ローカルヒットは放ったが、全国チャートに載るヒットは生まれず、マクダガルは地元フィラデルフィアでさまざまな仕事についた。そのうちのひとつに、『アメリカン・バンドスタンド』の収録スタジオでの、入り口のドアマンのような仕事もあった、という。
フィラデルフィアで、彼はハーソン・ダイノダイナミックスというインディ・レーベルをスタート。ここで、エディー・ホールマン、バーバラ・メイソン、ヴォルケイノスなどのレコードの制作にかかわり、いくつかのヒットに寄与した。中でも、彼がプロデュースしたメイソンの「イエス・アイム・レディー」は1965年に大ヒットしている。この曲は後に、テリー・デサリオ&KCで全米ポップチャートで2位になっている。
■ ジャクソン5をプロモート
プロモート。
1969年3月、彼がモータウンの地域プロモーションを担当していた頃、シカゴのハイ・チャパラルというクラブで行われたタレント・コンテストで当時はまだ無名だったジャクソン5を見た。そのパフォーマンスが素晴らしかったので、彼は同じくモータウンのプロデューサーだったボビー・テイラーにその話をし、ボビーはジャクソン5と契約話をするようになった。ジャクソン5は結局、モータウンと契約、鳴り物入りでデビュー。
マクドゥーガルはモータウンの宣伝マン時代に、ジャクソン5のシングル、アルバムのプロモーションをしていたため、ジャクソン5、マイケルらとも近い存在だった。そこで、多くの時間を過ごしたので、さまざまなマイケル・ジャクソンらのエピソードを持っている。
そうしたエピソードやモータウン時代の写真を集めた写真集『マイケル・ジャクソン・スクラップブック』を1985年2月にエイヴォン・ブックスから出した。『スリラー』でスーパースターになったマイケルの写真集として売り出され、話題になった。この写真集はその後絶版になり、現在ではアメリカでも、日本でも高値がついている。
■ 海外の記事
http://www.eurweb.com/?p=60230
http://www.philly.com/philly/obituaries/20101029_Weldon_A__McDougal_III__singer__musical_producer__dies_at_74.html
■ウェルドン・マクドゥーガル著 マイケル・ジャクソン・スクラップブック (中古にとんでもない値段がついています)
Michael Jackson Scrapbook: The Early Days of the Jackson 5
posted with amazlet at 10.12.06
Weldon, III McDougal Michael Jackson Jackson 5
Avon Books (P)
Avon Books (P)
OBITUARY> McDougal, III, Weldon Arthur, (- October 21, 2010-74 year-old)