2010年10月04日(月) 00時01分00秒 soulsearchinの投稿

○ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート2)

テーマ:イヴェント関連
○ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート2)

【Ramsey Lewis Jazz Seminar: Ramsey Talks About History】

講義。

ブルーノート東京で2010年10月2日に行われたジャズ・セミナー、ラムゼイ・ルイスの回。名ピアニストが歴史の一部を語る。1時間余にわたってストレートにさまざまなトピックを語った。あの大ヒット曲、アース・ウィンド&ファイアーも必ずライヴで演奏する「サン・ゴッデス」はいかにして誕生したか。

ラムゼイ・ルイスは1935年5月27日シカゴ生まれだから、現在75歳。スーツにネクタイ、言語明瞭でとても若々しい。記憶もはっきりしていて、その昔話がおもしろい。これだけリッチなヒストリーをもった人の話は、何をきいてもおもしろい。後にアース・ウィンド&ファイアーを結成するモーリス・ホワイトは、1960年代にラムゼイ・ルイスのジャズ・バンドでドラムスを担当していた。モーリスは1941年12月19日生まれだから、ラムゼイ・ルイスの6歳年下。ちなみに、モーリスの発音だが、「リ」にアクセントが来るので、カタカナ表記だとモリースが近い。ニックネームも「リース」だ。日本での表記は長くモーリスがなじんでいるが、このあたりで変更してもいいかもしれない。

「サン・ゴッデス(太陽の女神)」誕生秘話。「サン・ゴッデス」は1974年11月にリリースされたアルバム。最初のシングルは、「ホット・ドギット」、続いて、「サン・ゴッデス」がシングルとなりヒットした。レコーディングは1974年の春から夏にかけての間だった。

「『サン・ゴッデス』はちょっとユニークな形で生まれたんだ。ちょうどアルバムを作っているところだったが、その合間にワシントンDCでライヴの仕事があった。そのとき、モーリス・ホワイトから電話が来た。アース・ウィンド&ファイアーはちょうどニューヨークでコンサートを終えたところだった。モーリスは私と話したがっていた。というのも、私がレコーディングしたらきっと大ヒット間違いない曲が出来たから聴いてくれ、という。これは、『ジ・イン・クラウド』と比較にならないほど大ヒットになる曲だって言うんだ。『ジ・イン・クラウド』の10倍はすごいぞ、ってね。こんな人気になる曲なんてとても想像できない。これはあなたの曲だとまで言う。モーリスは、今どこで何やってるんだ、と訊くので、私たちはワシントンDCのスタジオでレコーディングしてもうすぐレコーディングも終えて、シカゴに戻ると言った。モーリスはニューヨークにいるから、シカゴに戻る途中でもいいので、もしよかったら、これを聴いてくれないかというので、聴くことにした」

「結局、私たちはシカゴに戻り、モーリスと何人か、フィリップ・ベイリーとあと2-3人のメンバーとスタジオで落ちあった。そして、彼らと一緒にその曲を3日間もかけてレコーディングしたんだ。完璧にするまでに、3日もかかったんだよ。かなりハードに一生懸命レコーディングした。なんとか、我々は最終的にその楽曲を完成させた。彼は言った。『さあ、これがあなたのヒットレコードができた』と。私は尋ねた。『さて、曲名は何というんだ?』 モーリスは言う。『ホット・ドッギット(Hot Dawgit)』だ。『おお、そうか、それはいいだろう』と私は答えた。彼はとても興奮していた。『これは、“ジ・イン・クラウンド”を超える大ヒットになるんだ』って。で、そのレコーディングは終わると、モーリスが『そうだ、もう一曲、まだ歌詞もなにもついてないんだが、メロディーが頭の中にできてる曲があるんだ』と言い出した。きっと、私がプレイしたいと思う曲だともいう。レコーディングにはそんなに時間はかからないというので、ほんの2-3時間で軽く録音してみた。録音はすぐに終わり、みんなメンバーもとても気に入っていた。すると、モーリスは『なんかちょっとした歌詞が必要だな』という。私は何も歌詞を書いていなかった。じゃあ、どうするってなって、彼とフィリップ・ベイリーがスタジオに入り、エンジニアにテープを回すよう指示をして、彼らが「ウエイヨー、ウエイヨー」というメロディーを口ずさんだ。モーリスは、言った。『心配するな、心配するな、(この曲はほっといて、いずれにせよ)“ホット・ドッギット”は大ヒットになるから』 私は尋ねた。『2曲目に録った曲のタイトルは何だい?』『さあ、わからないな』といい、しばらくしてから、『サン・ゴッデス』にしようと言った。まあ、なんでもいい、いずれにせよ、『ホット・ドッギット』は大ヒットだから」

「そこで、『ホット・ドギット』をラジオ向けにシングルとしてリリースした。モーリスがこれは絶対に大ヒットするからというんでね。ところがこれはあんまりラジオ局ではかからなかった。だが、アルバムが徐々に売れ始めたんだ。我々はなぜアルバムが売れ始めたんだ、と不思議に思った。そこでちょっと調べてみると、レコード店には人々が『ホット・ドギット』ではなく、『サン・ゴッデス』を求めてやってきていることがわかった。まだその時点では『サン・ゴッデス』はシングルにもなっていなかったが、その曲のおかげでアルバムが売れていたんだよ。そして、これはシングルになってアルバムは最終的にミリオン・セラーになったんだ」

「『サン・ゴッデス』でいくつかのエレクトリック・インストゥルメンタルを使ったのは、モーリスがそれらを使い始めたからだ。彼はフェンダー・ローズを使いたがった。エレキ・ギターもいた。シンセサイザーの音もオーヴァーダビングした。レコードの音をより正確に再現するためには、ライヴ会場でも同じような電子機材を使わなければならなくなった。ひとつを使い始めるとまたそこから次の楽器へとつながっていき、私はキーボード奏者を雇いいれ、ギター奏者を雇いいれ、2人のヴォーカルを起用し、コンガ奏者、サックス奏者までいれた。どんどん編成は大きくなっていった。クインテット、セックステット…とね。だが、最終的に、私はまたアコースティック・ピアノを弾きたくなった。アコースティック・ピアノは、私が最初に愛した楽器だからだ。最終的に、1970年代終わりから80年代初期にかけて、私のグループはクインテットに落ち着いた。正直に言うと、スタンウェイのアコースティック・ピアノなしには、私の音楽はありえない。エレクトリック・インストゥルメンタルは毎年新しいヴァージョンが誕生してくるが、それを練習するよりも、アコースティック・ピアノを練習する時間がもっと欲しかったね」

モーリス・ホワイトはよほど「ホット・ドギット」が気に入っていたのだろう。これは絶対にヒットになるからと、3日もかけてレコーディングした。ところが、ふたをあけると、火がついたのは、ほんの2-3時間で録音した、タイトルもなかったような「サン・ゴッデス」だった。ヒット曲なんて、どこでどう生まれるかわからないものだ。

まだこのほかにも質問と答えがある。その他は、実際の映像をみていただくとしよう。

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しかし、これはすごくいい企画なので、やってくれるアーティストがいたら、どんどんやればいいと思う。それと、どうせやるなら、ライヴ最終日ではなく、初日か2日目くらいにやれば、この話を聞いてライヴを見たくなる人もいるのではないだろうか。特にUストリームで中継すれば、この会場に来られなくても、その話からライヴを見たくなってプロモーションにもなるような気がする。そして、やるなら、ジャズあるいは音楽の知識のある人を司会者にして、日本語のちゃんとしたプロの通訳を使うとクオリティーがあがること間違いない。まだ試行錯誤のところだと思うが、ぜひ続けて欲しい。

■ 1時間20分におよぶ「ジャズ・セミナー」の全映像



■ラムゼイ・ルイス 『サン・ゴッデス』(1974年)

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