2010年04月28日(水) 00時01分00秒
soulsearchinの投稿
○3D映画『キャプテンEO』、東京ディズニーランドで7月1日から再公開
テーマ:マイケル・ジャクソン関連
○3D映画『キャプテンEO』、東京ディズニーランドで7月1日から再公開
【Captain EO Will Be Showing July After 14 Years】
再公開。
1986年に製作されたマイケル・ジャクソン主演の3D映画『キャプテンEO』が、2010年7月1日から東京ディズニーランドで1年にわたって再公開されることが決まった。日本では1996年9月1日まで公開されていたので、およそ14年ぶりの再公開となる。4月26日(月)、ディズニーランドを運営するオリエンタルランドが発表した。
『キャプテンEO』は、1986年9月12日からアメリカ・カリフォルニア州のディズニーランドで公開され人気となり(1994年7月6日まで)、日本の東京ディズニーランドでも、1987年3月20日から1996年9月1日まで公開された。アメリカのディスニーランドでもマイケルの死後(2009年6月25日)、再公開の機運が高まり、2010年2月23日から再公開されている。また、パリのディズニーランドでも2010年6月からの再公開が予定されている。東京ディズニーランドでは、これにともない現在上映中の『ミクロアドベンチャー』を5月10日に終了する。
内容は、色彩を失った暗黒の星に到着したキャプテンEO(EO船長=マイケル・ジャクソン)が、暗黒の星の女王(アンジェリカ・ヒューストン)と対決する約17分の3D映画。観客は、入口で3Dめがねを受け取り、それをかけて鑑賞する。製作総指揮ジョージ・ルーカス、監督フランシス・コッポラ。
1986年にはディズニーランドに特別にこの映画のためだけに劇場が製作された。当時公開された『キャプテンEO』では、レーザー、スモークなどの効果が施されたが、今回はそれらは使われない模様。ただ、スペースシップの映像に連動して、椅子は動くようだ。『キャプテンEO』は、当時で1700万ドルから3000万ドル(当時のレート1ドル160円として約48億円)の製作予算がかかり、1分あたりの単価は176万ドル(2億8000万円)で、1分間あたりの製作費としては映画史上最高といわれた。
この中で「アナザー・パート・オブ・ミー」が初めて紹介され、これは1987年のマイケルのアルバム『バッド(BAD)』に収録され、また、同じく初公開の楽曲「ウィ・アー・ヒア・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド」は、2004年の『アルティメート』コレクションに収録されている。
■『キャプテンEO』ができるまで
『キャプテンEO』構想は、1984年、ディズニーのCEOに就任したマイケル・アイズナー、同じくディズニー社チェアマンのジェフリー・カッツェンバーグらが新しいアトラクションを作ろうというところから始まった。当初、アイズナーはジョージ・ルーカスに話を持ちかけ、カッツェンバーグがマイケル・ジャクソンに声をかけた。マイケル・ジャクソンの友人でもあったデイヴィッド・ゲフィンは、当時映画を作りたいと考えていたマイケルに対し、「もし、マイケルが映画に挑戦するなら、最初はディズニー映画でやるべきだ」とアドヴァイス。ゲフィンは旧友のカッツェンバーグにマイケルを推薦する。ルーカスは一足先に、映画『スターウォーズ』をベースにしたアトラクション「スター・ツアーズ」の企画に関係していた。
ディズニーで何かを作ろうと考えたマイケル・ジャクソンは、ジョージ・ルーカスかスティーヴン・スピルバーグが参加することを条件に、このプロジェクトに同意する。しかし、この頃、スピルバーグは映画『カラーパープル』のプロジェクトにかかり切りで時間が取れず、ルーカスの推薦でコッポラが参加した。
振り付けは、一足先に映画『フラッシュダンス』をてがけ、またマイケル・ジャクソンとポール・マッカートニーの「セイ・セイ・セイ」の振り付けを担当したジェフ・ホナデイが担当。ルーカスが呼び入れたラスティー・レモランデが脚本を担当した。『キャッツ』でトニー賞を受賞していたジョン・ネピアが、『キャプテンEO』を上映する劇場の製作を担当した。
当初の予算は、1100万ドル(約17億6000万円)だったが、すぐに予算をオーヴァー。最終的には、1700万ドルから3000万ドルがかかったといわれる。
キャプテンEOのEOの名前は、ギリシャ神話の夜明けの女神EOSイオスから取った。EOSの指が天国の扉に触れると、そこが開き、太陽が輝くという。
参考映像=キャプテンEO(パート1) (英語版、字幕はありません。3Dでもありません)
パート2
ENT>MICHAEL JACKSON-OLOGY>Captain EO
【Captain EO Will Be Showing July After 14 Years】
再公開。
1986年に製作されたマイケル・ジャクソン主演の3D映画『キャプテンEO』が、2010年7月1日から東京ディズニーランドで1年にわたって再公開されることが決まった。日本では1996年9月1日まで公開されていたので、およそ14年ぶりの再公開となる。4月26日(月)、ディズニーランドを運営するオリエンタルランドが発表した。
『キャプテンEO』は、1986年9月12日からアメリカ・カリフォルニア州のディズニーランドで公開され人気となり(1994年7月6日まで)、日本の東京ディズニーランドでも、1987年3月20日から1996年9月1日まで公開された。アメリカのディスニーランドでもマイケルの死後(2009年6月25日)、再公開の機運が高まり、2010年2月23日から再公開されている。また、パリのディズニーランドでも2010年6月からの再公開が予定されている。東京ディズニーランドでは、これにともない現在上映中の『ミクロアドベンチャー』を5月10日に終了する。
内容は、色彩を失った暗黒の星に到着したキャプテンEO(EO船長=マイケル・ジャクソン)が、暗黒の星の女王(アンジェリカ・ヒューストン)と対決する約17分の3D映画。観客は、入口で3Dめがねを受け取り、それをかけて鑑賞する。製作総指揮ジョージ・ルーカス、監督フランシス・コッポラ。
1986年にはディズニーランドに特別にこの映画のためだけに劇場が製作された。当時公開された『キャプテンEO』では、レーザー、スモークなどの効果が施されたが、今回はそれらは使われない模様。ただ、スペースシップの映像に連動して、椅子は動くようだ。『キャプテンEO』は、当時で1700万ドルから3000万ドル(当時のレート1ドル160円として約48億円)の製作予算がかかり、1分あたりの単価は176万ドル(2億8000万円)で、1分間あたりの製作費としては映画史上最高といわれた。
この中で「アナザー・パート・オブ・ミー」が初めて紹介され、これは1987年のマイケルのアルバム『バッド(BAD)』に収録され、また、同じく初公開の楽曲「ウィ・アー・ヒア・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド」は、2004年の『アルティメート』コレクションに収録されている。
■『キャプテンEO』ができるまで
『キャプテンEO』構想は、1984年、ディズニーのCEOに就任したマイケル・アイズナー、同じくディズニー社チェアマンのジェフリー・カッツェンバーグらが新しいアトラクションを作ろうというところから始まった。当初、アイズナーはジョージ・ルーカスに話を持ちかけ、カッツェンバーグがマイケル・ジャクソンに声をかけた。マイケル・ジャクソンの友人でもあったデイヴィッド・ゲフィンは、当時映画を作りたいと考えていたマイケルに対し、「もし、マイケルが映画に挑戦するなら、最初はディズニー映画でやるべきだ」とアドヴァイス。ゲフィンは旧友のカッツェンバーグにマイケルを推薦する。ルーカスは一足先に、映画『スターウォーズ』をベースにしたアトラクション「スター・ツアーズ」の企画に関係していた。
ディズニーで何かを作ろうと考えたマイケル・ジャクソンは、ジョージ・ルーカスかスティーヴン・スピルバーグが参加することを条件に、このプロジェクトに同意する。しかし、この頃、スピルバーグは映画『カラーパープル』のプロジェクトにかかり切りで時間が取れず、ルーカスの推薦でコッポラが参加した。
振り付けは、一足先に映画『フラッシュダンス』をてがけ、またマイケル・ジャクソンとポール・マッカートニーの「セイ・セイ・セイ」の振り付けを担当したジェフ・ホナデイが担当。ルーカスが呼び入れたラスティー・レモランデが脚本を担当した。『キャッツ』でトニー賞を受賞していたジョン・ネピアが、『キャプテンEO』を上映する劇場の製作を担当した。
当初の予算は、1100万ドル(約17億6000万円)だったが、すぐに予算をオーヴァー。最終的には、1700万ドルから3000万ドルがかかったといわれる。
キャプテンEOのEOの名前は、ギリシャ神話の夜明けの女神EOSイオスから取った。EOSの指が天国の扉に触れると、そこが開き、太陽が輝くという。
参考映像=キャプテンEO(パート1) (英語版、字幕はありません。3Dでもありません)
パート2
ENT>MICHAEL JACKSON-OLOGY>Captain EO
1 ■キャプテンEO復活
マイケルファンが待ちに待った嬉しい再上映です。
今から楽しみでワクワクします。
キャプテンEOは3D映画の先駆けでしたからね。V(^-^)V