2010年03月15日(月) 01時00分58秒
soulsearchinの投稿
■映画『ソウル・パワー』6月に日本公開決定 (パート2)
テーマ:アーティスト関連
(昨日のつづき)
【"Soul Power" Movie Will Be Released June (Part 2)】
魂。
実は、この『ソウル・パワー』の映画については、昨年初夏、中田亮さんと話をしているときに聞いた。彼が『ソウル・パワー』の映画の話をしてくれ、日本で公開されるときには、その字幕をやりたいといったことを言っていた。そして、この映画がソニー・ピクチャーの配給ということで、ちょうど『ディス・イズ・イット』の配給が同社だったので、尋ねたところ、どうやら日本での権利はソニーにはないとのことだった。それで、この話は一度立ち消えになったのだが、今年になって、アップリンク社が日本での発売権を獲得、結局、中田さんのところにも字幕監修の話しが行ったようだ。
さて、そんなご縁もあって、いち早く試写を見せていただいた。冒頭いきなりジェームス・ブラウンから始まる。しかも、メシオ・パーカーも、フレッド・ウェスリーもいる。ジミー・ノーラン、セント・クレア・ピンクニー、リン・コリンズらもいる。故人となった人も多い。このJBズのメンバーが一部を除いてわからないのだが、ドラマーは誰かと中田さんに尋ねると、「1人はジョン・モーガン。映像で向かって右の人、よく映っていた人。もう1人、左側にいるのがほとんど暗くて映ってないんでわからないんです」という。「だけど、左側をあんまり映してないということは、新米のドラマーじゃないかと想像しているんですけど(笑)」とも付け加えた。もちろん、歴代ドラマーのジャボでもない。
この音楽イヴェントを実質的に仕切っていたのが、スチュワート・レヴィンという人物だ。プロデューサーとして、クルセイダーズやポインター・シスターズの作品を手がけて知られるようになる人物。もともとニューヨークの音楽大学在学中に、ルームメートとなったヒュー・マサケラ(南アフリカ出身のトランペット奏者)と音楽をやりだし、プロデュースをするようになった。ステュワード・レヴィンとヒュー・マサケラは、ロスアンジェルスに移り、ここで1960年代中頃、2人でチサ・レコードというインディ・レーベルを始める。レヴィンがプロデュースしたマサケラの「グレイジン・イン・ザ・グラス」は大ヒットを記録。これは後にフレンズ・オブ・ディスティンクションもカヴァーし、やはり大ヒット。そしてこの頃、当時のジャズ・クルセイダーズと知り合い、同グループをチサへ迎え入れレコードを発表。その後チサがブルー・サム・レコードの傘下になり、クルセイダーズはブルー・サムへ移籍。
今回のキンシャサのライヴでは、レヴィンが音楽プロデューサーとなることによって、ヒュー・マサケラ、クルセイダーズらが参加しているのは、こうしたつながりによる。レヴィンは、その後、シンプリー・レッド、また最近ではジェイミー・カラムなどもてがけている。
さて、今回の映画は、およそ125時間にもおよぶ膨大なフッテージ(映像)から選ばれ、編集された。そして当然、考えられるのが、それぞれのアーティストたちはもっと長い時間演奏しているということ。1アーティスト約3-40分、アーティストによっては60分くらい演奏している可能性もあり、それが3日間となると大変な量になる。我々がここで見ることができるのは、そんな膨大なフィルムのほんの一部ということだ。残りを見たくなるのは自然なこと。そこで、アップリンクでは、DVD化するときには、ボーナス・トラックとして、映画本編に収録されていない楽曲なども積極的に収録するという。
ライヴでは、実際はポインター・シスターズも出て歌ったというが、この映画では権利の関係で紹介されていない。また、映画に登場する当時十代の女性グループ、シスター・スレッジは、デビー、ジョニー、キャシー、キムの4人組み。1974年10月だと、彼女たちの初ヒット「ラヴ・ドント・ユー・ゴー・スルー・ノー・チェンジ・オン・ミー」(邦題は、「初恋大作戦」=1974年12月からヒット)もまだ出ていないころ。もちろん、「ウィ・アー・ファミリー」のヒットは1979年なので、本当に新人アーティストだ。
この中から、ポインター・シスターズ、ファニア・オールスターズの作品はすでに映像化されているそうだ。ただし入手はむずかしいかもしれない。
ランチでのけんけんがくがくいろんな話の中で、全アーティストの3日間におよぶアーティストの登場順、各アーティストの完全なセットリストを見てみたい、ということになった。映画のプレスキットにもそこまでの資料はない。おそらく監督が資料を整理していれば持っているかもしれないが、わからない。
藤川さんは、アフリカの事情通で、1974年にはザイールだったこの国が、その前、そして、その後、コンゴという名になったといったことを教えていただいた。ザイール時代に、悪名高きモブツ大統領がいて、当時は独裁者として君臨していた。また、彼によれば、この観客の中にパパ・ウェンバがいて、ファニア・オールスターズの「ビバ・ラ・ムジカ(ムシカ)」という叫びを、ウェンバは自身のグループ名に取ったのだという。林剛さんは、1970年の『ソウル・トゥ・ソウル』はガーナで行われ、1974年2月にジャクソン・ファイヴが同じアフリカのセネガル(ダカール)でコンサートをやっていることを指摘、ブラック・アーティストが1970年代にこぞってアフリカ詣でをしているとした。
映画には、作家でスポーツ系の記事を書いているジョージ・プリンプトン、写真家のリン・ゴールドスミス、そして、ブラック・パンサーのストークリー・カーマイケルなども映っている。中田さんによれば、「モハメド・アリとストークリーが現地で会って、アリがカーマイケルにあいさつするところの字幕を『カーマイケルさん』としたのだが、いろいろ議論した末、『カーマイケル』になった」と言う。また「ジェームス・ブラウンの曲名(ペイ・バック、パパ・ドント・テイク・ノー・メスなど)をうまく挟み込んだブラウンのスピーチがあったのだが、英語の意味しか訳せず、曲名であることが訳せなかった」とも言う。
■ DVD輸入盤『ソウル・パワー』(リージョン1ですので、ご注意ください)
ENT>MOVIE>Soul Power
【"Soul Power" Movie Will Be Released June (Part 2)】
魂。
実は、この『ソウル・パワー』の映画については、昨年初夏、中田亮さんと話をしているときに聞いた。彼が『ソウル・パワー』の映画の話をしてくれ、日本で公開されるときには、その字幕をやりたいといったことを言っていた。そして、この映画がソニー・ピクチャーの配給ということで、ちょうど『ディス・イズ・イット』の配給が同社だったので、尋ねたところ、どうやら日本での権利はソニーにはないとのことだった。それで、この話は一度立ち消えになったのだが、今年になって、アップリンク社が日本での発売権を獲得、結局、中田さんのところにも字幕監修の話しが行ったようだ。
さて、そんなご縁もあって、いち早く試写を見せていただいた。冒頭いきなりジェームス・ブラウンから始まる。しかも、メシオ・パーカーも、フレッド・ウェスリーもいる。ジミー・ノーラン、セント・クレア・ピンクニー、リン・コリンズらもいる。故人となった人も多い。このJBズのメンバーが一部を除いてわからないのだが、ドラマーは誰かと中田さんに尋ねると、「1人はジョン・モーガン。映像で向かって右の人、よく映っていた人。もう1人、左側にいるのがほとんど暗くて映ってないんでわからないんです」という。「だけど、左側をあんまり映してないということは、新米のドラマーじゃないかと想像しているんですけど(笑)」とも付け加えた。もちろん、歴代ドラマーのジャボでもない。
この音楽イヴェントを実質的に仕切っていたのが、スチュワート・レヴィンという人物だ。プロデューサーとして、クルセイダーズやポインター・シスターズの作品を手がけて知られるようになる人物。もともとニューヨークの音楽大学在学中に、ルームメートとなったヒュー・マサケラ(南アフリカ出身のトランペット奏者)と音楽をやりだし、プロデュースをするようになった。ステュワード・レヴィンとヒュー・マサケラは、ロスアンジェルスに移り、ここで1960年代中頃、2人でチサ・レコードというインディ・レーベルを始める。レヴィンがプロデュースしたマサケラの「グレイジン・イン・ザ・グラス」は大ヒットを記録。これは後にフレンズ・オブ・ディスティンクションもカヴァーし、やはり大ヒット。そしてこの頃、当時のジャズ・クルセイダーズと知り合い、同グループをチサへ迎え入れレコードを発表。その後チサがブルー・サム・レコードの傘下になり、クルセイダーズはブルー・サムへ移籍。
今回のキンシャサのライヴでは、レヴィンが音楽プロデューサーとなることによって、ヒュー・マサケラ、クルセイダーズらが参加しているのは、こうしたつながりによる。レヴィンは、その後、シンプリー・レッド、また最近ではジェイミー・カラムなどもてがけている。
さて、今回の映画は、およそ125時間にもおよぶ膨大なフッテージ(映像)から選ばれ、編集された。そして当然、考えられるのが、それぞれのアーティストたちはもっと長い時間演奏しているということ。1アーティスト約3-40分、アーティストによっては60分くらい演奏している可能性もあり、それが3日間となると大変な量になる。我々がここで見ることができるのは、そんな膨大なフィルムのほんの一部ということだ。残りを見たくなるのは自然なこと。そこで、アップリンクでは、DVD化するときには、ボーナス・トラックとして、映画本編に収録されていない楽曲なども積極的に収録するという。
ライヴでは、実際はポインター・シスターズも出て歌ったというが、この映画では権利の関係で紹介されていない。また、映画に登場する当時十代の女性グループ、シスター・スレッジは、デビー、ジョニー、キャシー、キムの4人組み。1974年10月だと、彼女たちの初ヒット「ラヴ・ドント・ユー・ゴー・スルー・ノー・チェンジ・オン・ミー」(邦題は、「初恋大作戦」=1974年12月からヒット)もまだ出ていないころ。もちろん、「ウィ・アー・ファミリー」のヒットは1979年なので、本当に新人アーティストだ。
この中から、ポインター・シスターズ、ファニア・オールスターズの作品はすでに映像化されているそうだ。ただし入手はむずかしいかもしれない。
ランチでのけんけんがくがくいろんな話の中で、全アーティストの3日間におよぶアーティストの登場順、各アーティストの完全なセットリストを見てみたい、ということになった。映画のプレスキットにもそこまでの資料はない。おそらく監督が資料を整理していれば持っているかもしれないが、わからない。
藤川さんは、アフリカの事情通で、1974年にはザイールだったこの国が、その前、そして、その後、コンゴという名になったといったことを教えていただいた。ザイール時代に、悪名高きモブツ大統領がいて、当時は独裁者として君臨していた。また、彼によれば、この観客の中にパパ・ウェンバがいて、ファニア・オールスターズの「ビバ・ラ・ムジカ(ムシカ)」という叫びを、ウェンバは自身のグループ名に取ったのだという。林剛さんは、1970年の『ソウル・トゥ・ソウル』はガーナで行われ、1974年2月にジャクソン・ファイヴが同じアフリカのセネガル(ダカール)でコンサートをやっていることを指摘、ブラック・アーティストが1970年代にこぞってアフリカ詣でをしているとした。
映画には、作家でスポーツ系の記事を書いているジョージ・プリンプトン、写真家のリン・ゴールドスミス、そして、ブラック・パンサーのストークリー・カーマイケルなども映っている。中田さんによれば、「モハメド・アリとストークリーが現地で会って、アリがカーマイケルにあいさつするところの字幕を『カーマイケルさん』としたのだが、いろいろ議論した末、『カーマイケル』になった」と言う。また「ジェームス・ブラウンの曲名(ペイ・バック、パパ・ドント・テイク・ノー・メスなど)をうまく挟み込んだブラウンのスピーチがあったのだが、英語の意味しか訳せず、曲名であることが訳せなかった」とも言う。
■ DVD輸入盤『ソウル・パワー』(リージョン1ですので、ご注意ください)
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