2010年03月08日(月) 02時53分44秒
soulsearchinの投稿
◎ドラマティックスのロン・バンクス58歳で死去
テーマ:訃報関連
◎ドラマティックスのロン・バンクス58歳で死去
【Ron Banks, A Founder Of Dramatics, Dies At 58】
訃報。
デトロイト出身の人気R&Bヴォーカル・グループ、ドラマティックスのリード・シンガーの1人でファルセット担当だったロン・バンクスが2010年3月4日(木曜)午後12時過ぎ、デトロイトの自宅で発作を起こし、すぐに救急車で運ばれたサイナイ病院で死去した。58歳だった。「自宅で死去」の報道もある。
ドラマティックスは、3月6日土曜日、ニューヨークで行われる「ウエストバリー・ミュージック・フェア」出演の予定が入っていたが、メンバーはライヴを決行する。「きっと、ロンもそう願っていると思う。ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは続けなければならない)だ。もしメンバーの誰か、僕が死んでも、僕もみんなにステージに立って欲しいと思う。ロンはきっとライヴをやっただろう。当日は、ロンのマイクもステージに立てるつもりだ」とLJレイノルズは言う。
前日亡くなる直前まで電話で話したLJレイノルズによれば、「まったく変わったところなどなく元気だった」という。
地元のライヴァル・グループ、テンプテーションズを彷彿とさせるR&Bヴォーカル・グループとして、きっちりとした振り付けをし、観客をエンタテインする。ロンはテンプテーションズのファルセット・ヴォーカル、エディー・ケンドリックスに影響を受け、テンプスのエディー、ドラマティックスのロンという位置づけになっている。このグループは、ロン・バンクスのほかに、LJレイノルズ、またウイ・ジーなど、錚々たるリード・シンガーを擁し、バリトン、ファルセットなどを駆使したスリリングなヴォーカル・グループとしてのスタイルを確立。ウイ・ジーはテンプスのデイヴィッド・ラッフィン的位置づけ。デトロイト出身グループながら、モータウンには入らず、南部メンフィスのレーベルと契約。しかしながら、地元デトロイトでは圧倒的な人気を博していた。
ロン・バンクスは1951年5月10日デトロイト生まれ。ドラマティックスの前身は、1962年~1964年頃、まだアトキンソン・エレメンタリー・スクール(アトキンソン小学校)の生徒だったロン・バンクスを中心に、ラリー・リード、ロデリック・デイヴィス、ラリー・デンプス、エルバート・ウィルキンス、ロバート・エリントンの6人によって結成された。ロンらはその後パーシング・ハイスクールへ進学。当時はセンセーションと名乗っていた。まもなくロバートが抜け5人に。1966年、地元のウィンゲートからデビュー。このときは一時期ダイナミックスと名乗ったが、1967年、ドラマティックスと改名し、同年6月、デトロイトのインディ、スポートから出た「オール・ビコーズ・オブ・ユー」がソウル・チャートで43位を記録するヒットに。さらに、1968年、ラリー・リード、ロッド・デイヴィスが脱退、代わりにウィリアム・ウイ・ジー・ハワード、ウィリー・フォードが加入。
この時点のロン、ラリー、エルバート、そして、ウイ・ジー、ウィリーの5人で1969年、スタックス入り。「ホワッチャ・シー・イズ・ホワッチャ・ゲット」(1971年、ソウルで3位、ポップで9位)、「イン・ザ・レイン」(1972年、ソウルで1位、ポップで5位)などの大ヒットを出し人気を決定付けた。これらのヒット後、ウイ・ジーとエルバートが脱退、ドラマティックスにはロンの幼い頃からの友人LJレイノルズとレニー・メイズが加入した。ウイ・ジーとエルバートも別のドラマティックスを結成(グループ名は後にドラマティック・エクスペリエンスに変更)したことから、ロン・バンクスのグループは、「ロン・バンクス&ザ・ドラマティックス」と改名し、グループを差別化した。その後、ウイ・ジーはマイアミのTKレコードからアルバムをリリースし、ソロ活動を積極化させたが残念ながら大きなヒットには恵まれなかった。ドラマティックスは、1972年8月20日に行われたスタックス所属アーティストの大イヴェント『ワッツタックス』にも出演している。
ロン・バンクスのドラマティックスは1980年ごろまで順調にヒットを出す。中でも、フィラデルフィアのビリー・ポールの大ヒット「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」の1975年のカヴァーは、ドラマティックス・ヴァージョンも評判となった。日本でもマーチンがカヴァーしている。1981年、リードのLJレイノルズがソロに脱退。後を追うように1983年、ロンもソロ活動を開始。グループはメンバーを補充し活動を続けたが、1990年代に入って、ロン、LJも戻り再びドラマティックスとして活動していた。
1993年には、ラッパーのスヌープ・ドギー・ドッグのシングル「ドッギー・ドッグ・ワールド」にフィーチャーされている。
初期リードのウィリアム・ウイ・ジー・ハワードは、2000年2月22日、49歳で死去、もう1人のオリジナル・メンバー、エルバート・ウィルキンスは1992年12月13日、45歳で死去、またグループのキーボード奏者ジェームス・マック・ブラウンも2008年11月28日、58歳で死去している。またレニー・メイズも2004年11月8日、53歳で死去。レニーの後釜にマイケル・ブロックというシンガーが加入している。ロン死去まで現在のメンバー・ラインアップは、ロン・バンクス、LJレイノルズ、ウィリー・フォード、ウィンゼル・ケリー、マイケル・ブロック。
1987年12月初来日・九段会館、1990年、1994年?に来日。(要確認)
ロン・バンクスは、妻サンディーと4人の娘、2人の息子たちによって送られる。葬儀の日程は未定。
■ ロン・バンクス死去のニュース↓
http://www.freep.com/article/20100304/ENT04/100304043/1371/Dramatics-founder-Ron-Banks-dead
■ ドラマティックス 『ホワッチャ・シー…』~傑作。 (「イン・ザ・レイン」収録)
■ 『ヴェリー・ベスト』 (スタックス時代のベスト。選曲を見ると、このベストだとかなりヒットが網羅される。1枚買うとすると上記にするか、ベストにするか迷うところ。やはり、初めての1枚だったら、こちらか)
■ 『ドラマティック・ジャックポット』(「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」ロング・ヴァージョン収録。これはこの1曲のために買ってもいい1枚)
OBITUARY>Banks, Ron (May 10, 1951 - March 4, 2010, 58)
【Ron Banks, A Founder Of Dramatics, Dies At 58】
訃報。
デトロイト出身の人気R&Bヴォーカル・グループ、ドラマティックスのリード・シンガーの1人でファルセット担当だったロン・バンクスが2010年3月4日(木曜)午後12時過ぎ、デトロイトの自宅で発作を起こし、すぐに救急車で運ばれたサイナイ病院で死去した。58歳だった。「自宅で死去」の報道もある。
ドラマティックスは、3月6日土曜日、ニューヨークで行われる「ウエストバリー・ミュージック・フェア」出演の予定が入っていたが、メンバーはライヴを決行する。「きっと、ロンもそう願っていると思う。ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは続けなければならない)だ。もしメンバーの誰か、僕が死んでも、僕もみんなにステージに立って欲しいと思う。ロンはきっとライヴをやっただろう。当日は、ロンのマイクもステージに立てるつもりだ」とLJレイノルズは言う。
前日亡くなる直前まで電話で話したLJレイノルズによれば、「まったく変わったところなどなく元気だった」という。
地元のライヴァル・グループ、テンプテーションズを彷彿とさせるR&Bヴォーカル・グループとして、きっちりとした振り付けをし、観客をエンタテインする。ロンはテンプテーションズのファルセット・ヴォーカル、エディー・ケンドリックスに影響を受け、テンプスのエディー、ドラマティックスのロンという位置づけになっている。このグループは、ロン・バンクスのほかに、LJレイノルズ、またウイ・ジーなど、錚々たるリード・シンガーを擁し、バリトン、ファルセットなどを駆使したスリリングなヴォーカル・グループとしてのスタイルを確立。ウイ・ジーはテンプスのデイヴィッド・ラッフィン的位置づけ。デトロイト出身グループながら、モータウンには入らず、南部メンフィスのレーベルと契約。しかしながら、地元デトロイトでは圧倒的な人気を博していた。
ロン・バンクスは1951年5月10日デトロイト生まれ。ドラマティックスの前身は、1962年~1964年頃、まだアトキンソン・エレメンタリー・スクール(アトキンソン小学校)の生徒だったロン・バンクスを中心に、ラリー・リード、ロデリック・デイヴィス、ラリー・デンプス、エルバート・ウィルキンス、ロバート・エリントンの6人によって結成された。ロンらはその後パーシング・ハイスクールへ進学。当時はセンセーションと名乗っていた。まもなくロバートが抜け5人に。1966年、地元のウィンゲートからデビュー。このときは一時期ダイナミックスと名乗ったが、1967年、ドラマティックスと改名し、同年6月、デトロイトのインディ、スポートから出た「オール・ビコーズ・オブ・ユー」がソウル・チャートで43位を記録するヒットに。さらに、1968年、ラリー・リード、ロッド・デイヴィスが脱退、代わりにウィリアム・ウイ・ジー・ハワード、ウィリー・フォードが加入。
この時点のロン、ラリー、エルバート、そして、ウイ・ジー、ウィリーの5人で1969年、スタックス入り。「ホワッチャ・シー・イズ・ホワッチャ・ゲット」(1971年、ソウルで3位、ポップで9位)、「イン・ザ・レイン」(1972年、ソウルで1位、ポップで5位)などの大ヒットを出し人気を決定付けた。これらのヒット後、ウイ・ジーとエルバートが脱退、ドラマティックスにはロンの幼い頃からの友人LJレイノルズとレニー・メイズが加入した。ウイ・ジーとエルバートも別のドラマティックスを結成(グループ名は後にドラマティック・エクスペリエンスに変更)したことから、ロン・バンクスのグループは、「ロン・バンクス&ザ・ドラマティックス」と改名し、グループを差別化した。その後、ウイ・ジーはマイアミのTKレコードからアルバムをリリースし、ソロ活動を積極化させたが残念ながら大きなヒットには恵まれなかった。ドラマティックスは、1972年8月20日に行われたスタックス所属アーティストの大イヴェント『ワッツタックス』にも出演している。
ロン・バンクスのドラマティックスは1980年ごろまで順調にヒットを出す。中でも、フィラデルフィアのビリー・ポールの大ヒット「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」の1975年のカヴァーは、ドラマティックス・ヴァージョンも評判となった。日本でもマーチンがカヴァーしている。1981年、リードのLJレイノルズがソロに脱退。後を追うように1983年、ロンもソロ活動を開始。グループはメンバーを補充し活動を続けたが、1990年代に入って、ロン、LJも戻り再びドラマティックスとして活動していた。
1993年には、ラッパーのスヌープ・ドギー・ドッグのシングル「ドッギー・ドッグ・ワールド」にフィーチャーされている。
初期リードのウィリアム・ウイ・ジー・ハワードは、2000年2月22日、49歳で死去、もう1人のオリジナル・メンバー、エルバート・ウィルキンスは1992年12月13日、45歳で死去、またグループのキーボード奏者ジェームス・マック・ブラウンも2008年11月28日、58歳で死去している。またレニー・メイズも2004年11月8日、53歳で死去。レニーの後釜にマイケル・ブロックというシンガーが加入している。ロン死去まで現在のメンバー・ラインアップは、ロン・バンクス、LJレイノルズ、ウィリー・フォード、ウィンゼル・ケリー、マイケル・ブロック。
1987年12月初来日・九段会館、1990年、1994年?に来日。(要確認)
ロン・バンクスは、妻サンディーと4人の娘、2人の息子たちによって送られる。葬儀の日程は未定。
■ ロン・バンクス死去のニュース↓
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■ 『ヴェリー・ベスト』 (スタックス時代のベスト。選曲を見ると、このベストだとかなりヒットが網羅される。1枚買うとすると上記にするか、ベストにするか迷うところ。やはり、初めての1枚だったら、こちらか)
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■ 『ドラマティック・ジャックポット』(「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」ロング・ヴァージョン収録。これはこの1曲のために買ってもいい1枚)
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OBITUARY>Banks, Ron (May 10, 1951 - March 4, 2010, 58)