2009年08月04日(火) 01時37分49秒
soulsearchinの投稿
⊿デリック・ヒューズ語る~彼はいかにしてロバータ・フラックのバックコーラスの仕事を手に入れたか
テーマ:インタヴュー
【デリック・ヒューズ語る~彼はいかにしてロバータ・フラックのバックコーラスの仕事を手に入れたか】
一番前。
ロバータ・フラックのバック・コーラスとして初来日したデリック・ヒューズ。彼と立ち話をする機会があった。
ライヴでは、ロバータの相手をして「トゥナイト・セレブレイト・マイ・ラヴ・フォー・ユー」や、「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」などを歌う。いわば、ダニー・ハザウェイやピーボ・ブライソンの役だ。
デリックがロバータのバンドに入ったのは2008年11月のこと。1961年カリフォルニア・オークランド生まれ。兄タイロン、妹デイドレ・ディーディー。父はなんと1968年に「Send My Baby Back」(Wee 1006/Wand 1182)というヒットを放ったフレディー・ヒューズだという。(なお、いろいろ調べてみると、シカゴのヴィージェーからシングルを出しているフレッド・ヒューズとは同名別人らしい。ただし要確認) 地元で活動を続けていたが、元々はゴスペルを歌っていた。ライヴでも見せたその強力なヴォーカルは圧巻だ。ロバータ・バンドではキーボードのシェルトンもものすごい歌を聴かせるが、デリックもまたすごい。
「オークランドでロバータのライヴがあってね。チケットを買って、ライヴを一番前の席で見ていたんだ。こんな(ダニー風の)帽子を被ってね。そこで、ロバータが歌う曲に、何曲も目の前で声を出してコーラスを歌ったんだ。そうこうするうちに、ロバータが僕をちらちら見るようになってね。彼女も僕のコーラスが気になったんだろう。僕はロバータの大ファンだったから、彼女が歌う曲は全部知ってたんだよ。それでそのコーラス・ハーモニーもわかっていた。ライヴが終わって、僕のマネージャーのおかげで楽屋に入って会うことができた」
「彼女に会って、最初、『あのー、僕の誕生日、2月10日なんですよ!』っていうと、『なんですって~~』と驚いた。ロバータと同じなんだ。『付け加えると、僕の妻は10月1日生まれなんです』(ダニーの誕生日) またまた彼女が驚いた。それで連絡先を交換して、ロバータがオーディションをしてくれた。それで受かって、コーラスの仕事を手にすることができたんだよ」
デリックはまさにロバータと同じ誕生日、妻がダニーと同じ誕生日ということで、ロバータのコーラスに入るのが運命だったのだろう。デリックの分析は「ロバータは、ダニー・タイプのシンガーが大好きなんだと思う。もちろん(前任者の)トニー・テリーも素晴らしい、ワンダフルだ。でも僕のことも気に入ってくれた。今は他にどんな仕事があっても、ロバータから呼ばれたら必ず飛んで行くよ。僕の『ファースト・プライオリティー(の仕事)』なんだ」という。
それ以来、オーストラリアのオーケストラとのツアーや全米ツアーなどに帯同している。
「ロバータのライヴはセットリストがないでしょう? ちゃんとついていける?」と尋ねると、「ああ、なんとかね(笑)」と答える。「最初はこれくらい(と両手を広げて)ブック(楽譜のブック)をもらって、全部覚えた。何曲くらいあるのかなあ。数えたことはない。僕はコーラス、デュオの相手で、ロバータがひとりで弾き語りで歌うときは、歌わないから大丈夫だね」
デリックはもちろんダニーの歌も研究している。実際、ダニーの「I'll Love You More Than You'll Ever Know」を見事にカヴァーしている。その様子がユーチューブYoutubeにある。これだ↓
デリックは、プリンスのもとにもいたことがある、と言った。『エマンシペーション』の頃だという。レコードにはクレジットがないようなのだが、他にオークランドのタワー・オブ・パワーでもゲスト的に歌っている。「ソウル・ウィズ・キャピトルS」でリードを取っているそうだ。ただ、タワーでは来日はしていない。サンフランシスコでは売れっ子のシンガーだ。
地元のゴスペル・クワイアーなどにも参加、1983年ごろには一度、モータウンと契約したという。そのほかに、ノーマン・コナーズ、マイケル・ボルトンなどのコーラスもやってきた。自身のバンドでも歌っている。
しかし、彼のアイドルはダニー・ハザウェイ。そして、あこがれのダニーのパートナー、ロバータ・ライヴの一番前でずっと歌って仕事を取るなんて、すごい話しだ。
ENT>ARTIST>Hughes, Derick
一番前。
ロバータ・フラックのバック・コーラスとして初来日したデリック・ヒューズ。彼と立ち話をする機会があった。
ライヴでは、ロバータの相手をして「トゥナイト・セレブレイト・マイ・ラヴ・フォー・ユー」や、「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」などを歌う。いわば、ダニー・ハザウェイやピーボ・ブライソンの役だ。
デリックがロバータのバンドに入ったのは2008年11月のこと。1961年カリフォルニア・オークランド生まれ。兄タイロン、妹デイドレ・ディーディー。父はなんと1968年に「Send My Baby Back」(Wee 1006/Wand 1182)というヒットを放ったフレディー・ヒューズだという。(なお、いろいろ調べてみると、シカゴのヴィージェーからシングルを出しているフレッド・ヒューズとは同名別人らしい。ただし要確認) 地元で活動を続けていたが、元々はゴスペルを歌っていた。ライヴでも見せたその強力なヴォーカルは圧巻だ。ロバータ・バンドではキーボードのシェルトンもものすごい歌を聴かせるが、デリックもまたすごい。
「オークランドでロバータのライヴがあってね。チケットを買って、ライヴを一番前の席で見ていたんだ。こんな(ダニー風の)帽子を被ってね。そこで、ロバータが歌う曲に、何曲も目の前で声を出してコーラスを歌ったんだ。そうこうするうちに、ロバータが僕をちらちら見るようになってね。彼女も僕のコーラスが気になったんだろう。僕はロバータの大ファンだったから、彼女が歌う曲は全部知ってたんだよ。それでそのコーラス・ハーモニーもわかっていた。ライヴが終わって、僕のマネージャーのおかげで楽屋に入って会うことができた」
「彼女に会って、最初、『あのー、僕の誕生日、2月10日なんですよ!』っていうと、『なんですって~~』と驚いた。ロバータと同じなんだ。『付け加えると、僕の妻は10月1日生まれなんです』(ダニーの誕生日) またまた彼女が驚いた。それで連絡先を交換して、ロバータがオーディションをしてくれた。それで受かって、コーラスの仕事を手にすることができたんだよ」
デリックはまさにロバータと同じ誕生日、妻がダニーと同じ誕生日ということで、ロバータのコーラスに入るのが運命だったのだろう。デリックの分析は「ロバータは、ダニー・タイプのシンガーが大好きなんだと思う。もちろん(前任者の)トニー・テリーも素晴らしい、ワンダフルだ。でも僕のことも気に入ってくれた。今は他にどんな仕事があっても、ロバータから呼ばれたら必ず飛んで行くよ。僕の『ファースト・プライオリティー(の仕事)』なんだ」という。
それ以来、オーストラリアのオーケストラとのツアーや全米ツアーなどに帯同している。
「ロバータのライヴはセットリストがないでしょう? ちゃんとついていける?」と尋ねると、「ああ、なんとかね(笑)」と答える。「最初はこれくらい(と両手を広げて)ブック(楽譜のブック)をもらって、全部覚えた。何曲くらいあるのかなあ。数えたことはない。僕はコーラス、デュオの相手で、ロバータがひとりで弾き語りで歌うときは、歌わないから大丈夫だね」
デリックはもちろんダニーの歌も研究している。実際、ダニーの「I'll Love You More Than You'll Ever Know」を見事にカヴァーしている。その様子がユーチューブYoutubeにある。これだ↓
デリックは、プリンスのもとにもいたことがある、と言った。『エマンシペーション』の頃だという。レコードにはクレジットがないようなのだが、他にオークランドのタワー・オブ・パワーでもゲスト的に歌っている。「ソウル・ウィズ・キャピトルS」でリードを取っているそうだ。ただ、タワーでは来日はしていない。サンフランシスコでは売れっ子のシンガーだ。
地元のゴスペル・クワイアーなどにも参加、1983年ごろには一度、モータウンと契約したという。そのほかに、ノーマン・コナーズ、マイケル・ボルトンなどのコーラスもやってきた。自身のバンドでも歌っている。
しかし、彼のアイドルはダニー・ハザウェイ。そして、あこがれのダニーのパートナー、ロバータ・ライヴの一番前でずっと歌って仕事を取るなんて、すごい話しだ。
ENT>ARTIST>Hughes, Derick