2009年07月07日(火) 12時39分36秒
soulsearchinの投稿
■フェデラーとロディックのソウルの戦い~ウィンブルドン男子決勝
テーマ:ブログ■フェデラーとロディックのソウルの戦い~ウィンブルドン男子決勝
【フェデラー対ロディック、見事な芸術】
アート。
まさにアートと評してもいいのではないだろうか。あるいは、2人のソウル対ソウルの熱き戦いといってもいい。2009年7月5日(日曜)ウィンブルドンで行われた男子シングルス決勝は、本当にすばらしかった。このレヴェルでの戦い、このレヴェルでの技術を持つ2人の戦いは、マインド、ボディー、そしてソウルの戦いだ。どちらにも勝たせたかった。
全77ゲーム中(4大大会決勝新記録)フェデラーはサーヴィス・ゲームを2度しか落としていない。ロディックにいたっては、第76ゲームまで1度も落としていないのだ。白熱の壮絶な戦いだ。タイブレイクのない第5セットは、14ゲームズ・オールとなったところで、88分を経過していた。女子の試合なら1試合終わってしまうことも可能な時間だ。
29ゲーム目はフェデラーのサーヴ。これを簡単にキープ。フェデラーの15-14。そしてロディックのサーヴィス・ゲーム第30ゲームは、いきなり、0-30となりセンター・コートがざわめく。しかし、そこからロディックが3ポイントを連取し40-30、ゲーム・ポイント。しかし、フェデラーがもう1本取りデュース。ロディックの強烈なサーヴィスでアドヴァンテージ・ロディック。しかし、続くポイントをフェデラーが取り再びデュース。その次のポイントをロディックがミスして、ついに77ゲーム目にしてブレイク・ポイント、しかも、チャンピヨンシップ・ポイントとなる。
この日、それまで6回のブレイク・ポイントをものにできていなかった王者は、ロディックのミスショットか、フレームショットか、あるいはイレギュラー・バウンドだったか、いずれにせよ、このワンチャンスをものにした。4時間超で訪れたたった1回のチャンス。王者のグランドスラムは、15個に。それまで14個を保持していた元王者ピート・サンプラスの目前で、彼は15個目、ウィンブルドン優勝6回目を手にした。ロイヤル・ボックスにいたのは、サンプラスだけでなく、ボルグ、そして、ロッド・レイヴァー。放送席にはマッケンローも。4時間16分におよぶ死闘についに決着がついた。
本当にフェデラーは勝負強い。データを見ると、トータル・ポイントは、フェデラー223、ロディック213で、わずか10ポイントの差。互角だ。しかも強烈なのは、その200ポイント以上の中でロディックは5回のブレイク・ポイントで2回をゲット。この2回によって彼は2セットを取る。一方、フェデラーは7回のブレイク・ポイントを得ながら取れるのはたった1度だけ。しかし、それが、よりによって最後の最後77ゲーム目のブレイク・ポイント、すなわち、チャンピオンシップ・ポイントをものにするのである。勝負のあやは紙一重(かみひとえ)とはこのことだ。いや、神一重だ。
歴史に「もし」はないが、唯一ロディックに勝利の栄冠が輝いたとすれば、第2セットで得た4つのセットポイント(タイブレイクでロディック6-2になっていた)のどれか一つでもものにできれば、ということだろう。あそこで取っていれば、ロディックのセットカウント2-0になり展開は違った。おそらくロディックに勝利の女神が微笑んだ可能性は高い。
逆に言えばそれを取らせなかったフェデラーのすごさだ。フェデラー対ロディックのそれまでの対戦成績はフェデラーの18勝2敗だった。ひょっとして、これが呪縛としてロディックの頭によぎったのか。イギリスのメディアが書いた。「悪夢の4ポイント」。
ロディックはまちがいなく生涯、最高の試合をした。しかし、それに負けた。試合後、ロディックは椅子に座り呆然としていた。目は赤くなっているようだった。テニスは、スポーツはときとして残虐だ。試合後の会見場ではジャーナリストたちが、ロディックへの質問を躊躇していた、という。第2セットを落として、前向きでいられたか、という質問にロディックはこう答えた。「何事もそうだが、2つの考え方がある。落ち込んであきらめるか、前に向かって進むかだ。後者のほうが僕はいいと思った」
一方、フェデラーは言った。「確かに、僕はウィンブルドンの決勝のファイナル・セットでどう戦うべきかを知っていた」
打ちひしがれたロディックへの表彰式でのスタンディング・オヴェーションは、フェデラーよりも長く感じられた。この日、ロディックも、フェデラーも、見事なパフォーマンスを見せたアーティストだった。
SPORTS>TENNIS>Wimbledon, 2009
【フェデラー対ロディック、見事な芸術】
アート。
まさにアートと評してもいいのではないだろうか。あるいは、2人のソウル対ソウルの熱き戦いといってもいい。2009年7月5日(日曜)ウィンブルドンで行われた男子シングルス決勝は、本当にすばらしかった。このレヴェルでの戦い、このレヴェルでの技術を持つ2人の戦いは、マインド、ボディー、そしてソウルの戦いだ。どちらにも勝たせたかった。
全77ゲーム中(4大大会決勝新記録)フェデラーはサーヴィス・ゲームを2度しか落としていない。ロディックにいたっては、第76ゲームまで1度も落としていないのだ。白熱の壮絶な戦いだ。タイブレイクのない第5セットは、14ゲームズ・オールとなったところで、88分を経過していた。女子の試合なら1試合終わってしまうことも可能な時間だ。
29ゲーム目はフェデラーのサーヴ。これを簡単にキープ。フェデラーの15-14。そしてロディックのサーヴィス・ゲーム第30ゲームは、いきなり、0-30となりセンター・コートがざわめく。しかし、そこからロディックが3ポイントを連取し40-30、ゲーム・ポイント。しかし、フェデラーがもう1本取りデュース。ロディックの強烈なサーヴィスでアドヴァンテージ・ロディック。しかし、続くポイントをフェデラーが取り再びデュース。その次のポイントをロディックがミスして、ついに77ゲーム目にしてブレイク・ポイント、しかも、チャンピヨンシップ・ポイントとなる。
この日、それまで6回のブレイク・ポイントをものにできていなかった王者は、ロディックのミスショットか、フレームショットか、あるいはイレギュラー・バウンドだったか、いずれにせよ、このワンチャンスをものにした。4時間超で訪れたたった1回のチャンス。王者のグランドスラムは、15個に。それまで14個を保持していた元王者ピート・サンプラスの目前で、彼は15個目、ウィンブルドン優勝6回目を手にした。ロイヤル・ボックスにいたのは、サンプラスだけでなく、ボルグ、そして、ロッド・レイヴァー。放送席にはマッケンローも。4時間16分におよぶ死闘についに決着がついた。
本当にフェデラーは勝負強い。データを見ると、トータル・ポイントは、フェデラー223、ロディック213で、わずか10ポイントの差。互角だ。しかも強烈なのは、その200ポイント以上の中でロディックは5回のブレイク・ポイントで2回をゲット。この2回によって彼は2セットを取る。一方、フェデラーは7回のブレイク・ポイントを得ながら取れるのはたった1度だけ。しかし、それが、よりによって最後の最後77ゲーム目のブレイク・ポイント、すなわち、チャンピオンシップ・ポイントをものにするのである。勝負のあやは紙一重(かみひとえ)とはこのことだ。いや、神一重だ。
歴史に「もし」はないが、唯一ロディックに勝利の栄冠が輝いたとすれば、第2セットで得た4つのセットポイント(タイブレイクでロディック6-2になっていた)のどれか一つでもものにできれば、ということだろう。あそこで取っていれば、ロディックのセットカウント2-0になり展開は違った。おそらくロディックに勝利の女神が微笑んだ可能性は高い。
逆に言えばそれを取らせなかったフェデラーのすごさだ。フェデラー対ロディックのそれまでの対戦成績はフェデラーの18勝2敗だった。ひょっとして、これが呪縛としてロディックの頭によぎったのか。イギリスのメディアが書いた。「悪夢の4ポイント」。
ロディックはまちがいなく生涯、最高の試合をした。しかし、それに負けた。試合後、ロディックは椅子に座り呆然としていた。目は赤くなっているようだった。テニスは、スポーツはときとして残虐だ。試合後の会見場ではジャーナリストたちが、ロディックへの質問を躊躇していた、という。第2セットを落として、前向きでいられたか、という質問にロディックはこう答えた。「何事もそうだが、2つの考え方がある。落ち込んであきらめるか、前に向かって進むかだ。後者のほうが僕はいいと思った」
一方、フェデラーは言った。「確かに、僕はウィンブルドンの決勝のファイナル・セットでどう戦うべきかを知っていた」
打ちひしがれたロディックへの表彰式でのスタンディング・オヴェーションは、フェデラーよりも長く感じられた。この日、ロディックも、フェデラーも、見事なパフォーマンスを見せたアーティストだった。
SPORTS>TENNIS>Wimbledon, 2009