2009年07月06日(月) 06時29分07秒
soulsearchinの投稿
●訂正:マイケル・ジャクソンは『ウィ・アー・ザ・ワールド』で4番目の逝去
テーマ:マイケル・ジャクソン関連
【訂正:マイケル・ジャクソンは『ウィ・アー・ザ・ワールド』で4番目の逝去】
意外。
おとといのブログで、『ウィ・アー・ザ・ワールド』を久々に見て、マイケルがこのセッション参加者45名の中で、レイ・チャールズに続いて死去した2人目だと書いた。そうしたら、それを読んだ西寺郷太さんが、「あの中にもうひとりマイケル以前に亡くなった人がいます。ジューン・ポインターです。だから、3番目です」と連絡をくれた。
そこで再度確認してみた。僕は、おとといの記事を書くときに、一応他に亡くなっている人がいないか、絶対生きている人以外は、確認した。で、一番気にしたのがポインター・シスターズだった。4姉妹の誰かが亡くなったことが記憶にあったので、4人を確認すると一番下のジューンが2006年に亡くなっていた。
April 14, 2006
June Pointer Dies At 52
【ジューン・ポインター死去】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_14.html
ところが、45人のリスト(DVDのライナーノーツ)を見ると、ポインターで参加しているのは、アニタ、ルース、そして、ボニーと印刷されていた。正確には43人が集合写真で映っていて、ボニーは44人目で「ノット・ピクチャーズ」として、45人目のウェイロン・ジェニングスと名前だけクレジットされていた。
なので、ジューンはいないと確認したのだ。だから、レイの次に亡くなったのがマイケル、と判断した。
ところが、西寺さんはさらに研究が深い。なんと、彼はこのセッションには、ジューンが来ていて、ボニーは来ていなかったはずだという。そこで深夜、いろいろ電話で話しながら、写真をネットで探したりして、このセッションに参加したのは、ボニーか、ジューンかということを議論した。
このセッションに関する資料本に載っていた他の写真(ジューンと思われる)、ボニーと姉妹が仲が悪いという事実などから、総合的に判断して当日このセッションに来ていたのはジューンで、ボニーは来ていなかったという結論になった。つまり、DVDのライナーのクレジットが間違っていたのだ。おそらくブックレット編集者は、ポインターの4人の名前と顔が一致していなかったのだろう。
ではなぜジューンは個々の写真には載っているのに、43人の集合写真に載っていないのか。ここからは西寺説なのだが、彼女はグループのリード・シンガー。この日、リード・シンガーで「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではみな少しでもリードをもらっているが、彼女はたまたまリードをもらえなかった、そこでへそを曲げて帰ってしまったのではないか、という。作詞家のウェイロンは、この曲の歌詞が気に入らないというので帰ったそうだ。まあ、もっともスタジオの入り口には「エゴをドアに置いて、ここに入るように」といったニュアンスの張り紙があったのだが…。
そして、この集合写真に載っていないもうひとりのウェイロン・ジェニングスを一応調べたら、な、なんと彼は1937年6月15日生まれで、2002年2月13日、この45人の中で一番最初に亡くなっていたのだ。45人のうち、2人が集合写真に載っておらず(ジューンが正しいとして)、計らずもその2人が亡くなっていたことになる。なんという偶然か、奇遇か、あるいは呪いか。
実はこのウェイロン・ジェニングスにはおもしろい話があって、それを下記に書いている。
2004/05/03 (Mon)
8 Minutes 30 Seconds of American Pie: The Day The Music Born
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040503.html
大ヒット「アメリカン・パイ」関連の記事なのだが、その中で飛行機事故で死去するロックスターの話しになる。ウェイロンは、本来その飛行に乗るはずだったのだ。
というわけで、集合写真には写っていないが、このセッションには参加していたウェイロン(2002年2月)、レイ(2004年6月)、ジューン(2006年4月)、に続いてマイケルは4番目に亡くなっていたと訂正します。
それにしても、そのときにいろいろと生年月日を調べたのだが、マイケルはこの45人の中で2番目に若いのだ。マイケルよりさらに若いのは、弟のランディー(1961年10月29日生まれ)だけである。逆に長老はハリー・ベラフォンテ(1927年3月1日生まれ)、続いてレイ・チャールズ(1930年9月23日生まれ)、そして、クインシー・ジョーンズ(1933年3月14日生まれ)である。このセッションの1985年1月28日、クインシーは51歳だった。マイケルは、26歳である。
ところで、この『ウィ・アー・ザ・ワールド』のセッションについて、西寺郷太さんが大変おもしろい仮説を書いている。長文だが、興味深いのでごらんになってはいかがだろうか。なるほどと思う点も多々ある。
『(仮説)We Are The World の呪い』(2009年7月1日付け)
西寺郷太
http://www.nonareeves.com/life/gotama/words-session/
+++++
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>SONG>We’re The World
意外。
おとといのブログで、『ウィ・アー・ザ・ワールド』を久々に見て、マイケルがこのセッション参加者45名の中で、レイ・チャールズに続いて死去した2人目だと書いた。そうしたら、それを読んだ西寺郷太さんが、「あの中にもうひとりマイケル以前に亡くなった人がいます。ジューン・ポインターです。だから、3番目です」と連絡をくれた。
そこで再度確認してみた。僕は、おとといの記事を書くときに、一応他に亡くなっている人がいないか、絶対生きている人以外は、確認した。で、一番気にしたのがポインター・シスターズだった。4姉妹の誰かが亡くなったことが記憶にあったので、4人を確認すると一番下のジューンが2006年に亡くなっていた。
April 14, 2006
June Pointer Dies At 52
【ジューン・ポインター死去】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_14.html
ところが、45人のリスト(DVDのライナーノーツ)を見ると、ポインターで参加しているのは、アニタ、ルース、そして、ボニーと印刷されていた。正確には43人が集合写真で映っていて、ボニーは44人目で「ノット・ピクチャーズ」として、45人目のウェイロン・ジェニングスと名前だけクレジットされていた。
なので、ジューンはいないと確認したのだ。だから、レイの次に亡くなったのがマイケル、と判断した。
ところが、西寺さんはさらに研究が深い。なんと、彼はこのセッションには、ジューンが来ていて、ボニーは来ていなかったはずだという。そこで深夜、いろいろ電話で話しながら、写真をネットで探したりして、このセッションに参加したのは、ボニーか、ジューンかということを議論した。
このセッションに関する資料本に載っていた他の写真(ジューンと思われる)、ボニーと姉妹が仲が悪いという事実などから、総合的に判断して当日このセッションに来ていたのはジューンで、ボニーは来ていなかったという結論になった。つまり、DVDのライナーのクレジットが間違っていたのだ。おそらくブックレット編集者は、ポインターの4人の名前と顔が一致していなかったのだろう。
ではなぜジューンは個々の写真には載っているのに、43人の集合写真に載っていないのか。ここからは西寺説なのだが、彼女はグループのリード・シンガー。この日、リード・シンガーで「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではみな少しでもリードをもらっているが、彼女はたまたまリードをもらえなかった、そこでへそを曲げて帰ってしまったのではないか、という。作詞家のウェイロンは、この曲の歌詞が気に入らないというので帰ったそうだ。まあ、もっともスタジオの入り口には「エゴをドアに置いて、ここに入るように」といったニュアンスの張り紙があったのだが…。
そして、この集合写真に載っていないもうひとりのウェイロン・ジェニングスを一応調べたら、な、なんと彼は1937年6月15日生まれで、2002年2月13日、この45人の中で一番最初に亡くなっていたのだ。45人のうち、2人が集合写真に載っておらず(ジューンが正しいとして)、計らずもその2人が亡くなっていたことになる。なんという偶然か、奇遇か、あるいは呪いか。
実はこのウェイロン・ジェニングスにはおもしろい話があって、それを下記に書いている。
2004/05/03 (Mon)
8 Minutes 30 Seconds of American Pie: The Day The Music Born
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040503.html
大ヒット「アメリカン・パイ」関連の記事なのだが、その中で飛行機事故で死去するロックスターの話しになる。ウェイロンは、本来その飛行に乗るはずだったのだ。
というわけで、集合写真には写っていないが、このセッションには参加していたウェイロン(2002年2月)、レイ(2004年6月)、ジューン(2006年4月)、に続いてマイケルは4番目に亡くなっていたと訂正します。
それにしても、そのときにいろいろと生年月日を調べたのだが、マイケルはこの45人の中で2番目に若いのだ。マイケルよりさらに若いのは、弟のランディー(1961年10月29日生まれ)だけである。逆に長老はハリー・ベラフォンテ(1927年3月1日生まれ)、続いてレイ・チャールズ(1930年9月23日生まれ)、そして、クインシー・ジョーンズ(1933年3月14日生まれ)である。このセッションの1985年1月28日、クインシーは51歳だった。マイケルは、26歳である。
ところで、この『ウィ・アー・ザ・ワールド』のセッションについて、西寺郷太さんが大変おもしろい仮説を書いている。長文だが、興味深いのでごらんになってはいかがだろうか。なるほどと思う点も多々ある。
『(仮説)We Are The World の呪い』(2009年7月1日付け)
西寺郷太
http://www.nonareeves.com/life/gotama/words-session/
+++++
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>SONG>We’re The World