2009年06月05日(金) 02時19分58秒
soulsearchinの投稿
★シカゴ・ブルーズの女王、ココ・テイラー死去
テーマ:ブログ★【シカゴ・ブルーズの女王、ココ・テイラー死去】
訃報。
シカゴ・ブルーズの女王として活躍してきたヴェテラン・ブルーズ・シンガー、ココ・テイラーが2009年6月3日午後、地元シカゴの病院で合併症のため死去した。2009年5月19日に、胃腸に出血があり、その手術を行っていた。80歳だった。
ココ・テイラーは、出生名はコーラ・ウォルトン。南部テネシー州メンフィスの農家に1928年(昭和3年)9月28日生まれた。当初はゴスペルを歌っていたが、メンフィスの人気ラジオ局WDIAから流れてくるブルーズにも興味を持った。この頃、同局のDJには、BBキングやルーファス・トーマスらがいた。その後最初の結婚をし、1952年に、夢を求めて北部の都会シカゴに移り住む。このとき彼らはわずか35セントとリッツのクラッカーしかなかった、という。シカゴ行きのグレイハウンド・バスに乗る2人分の運賃もなかったらしい。
シカゴでは夫も仕事をし、ココも昼間は白人家庭で家政婦のような仕事をし、夜はブルーズ・バーなどに出入り。シカゴ・サウスサイドで聴いた都会的なブルーズに魅せられ、ブルーズ・シンガーとして活動を始める。テイラー姓は、この最初の夫のもの。当時南部では、電気的楽器などがなく、みなアコースティックな楽器でブルーズを歌っていたので、シカゴに来て、みなエレキ・ギターなどを鳴らしていたことに衝撃を受けた。このあたりの様子は、日本でも8月に公開される『キャデラック・レコード』でも描かれている。(この映画については近日中にご紹介します)
1962年、ブルーズ界ですでにソングライター、シンガー、プロデューサーとして活躍していたウィリー・ディクソンに認められ、1964年にはチェス・レコード入り。ディクソンが書き、その前に同じチェスのハウリン・ウルフがレコーディングしていた「ワング・ダング・ドゥードル」をカヴァー、ココのものも1966年4月から大ヒットしR&Bチャートで4位を記録、一躍人気シンガーとなった。
1975年、チェスが経営に行き詰った後は、シカゴのブルーズ専門レーベル、アリゲーターと契約、今日まで同レーベルに所属していた。
1991年初来日の後、2007年2度目の来日。このときは、2000年10月から正式にココ・テイラーのバンド・メンバーになっていた日本人ギタリストでシカゴ在住の菊田俊介も帯同した。
最後に人前に姿を現したのは2009年5月7日、「第29回ブルーズ・アワード」の授賞式でのこと。ココは、他の誰よりも多くの同ブルーズ・アワード(今年の受賞までで29個)を獲得している、という。最新作『オールド・スクール』(2007年)も含めアリゲーターから発売された9枚のアルバムのうち、8枚までがグラミー賞にノミネートされている。グラミーは、1984年のコンピレーション・アルバム『ブルーズ・エクスプロージョン』の参加で受賞している。
+++++
菊田ブログ。
僕がココ・テイラーのライヴを見たのは、2007年7月。もう2年も前、しかし、ばりばりに元気だった。そしてそのときギターを弾いていた菊田さん。彼のブログの記事にココ・テイラーのことを書いたものがある。もちろん、昨日(6月4日)付けでココの死去に触れている。まだ心の整理もついていないだろう。ゆっくり近いうちに思い出話を書いてくれることを期待したい。ココの死去を聞いて、まっさきに菊田さんのブログに行った。
ここに彼がココから直接書いた話が数本あるが、これが素晴らしい。本当に生のブルーズの歴史そのものだ。どんな評伝よりも、ココの人間性や、彼女の人となりがわかる。アーティスト本人が仲間内に語っている情報は、時として記憶違いなどもあるが、やはり本人にとっての真実ということで、重みが違う。
今回改めて読み直して、菊田さんがココに雇われるシーン(「ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ」記載)や、ココが夫とシカゴに行く時、2人分のバス代がなく乗せてもらうシーンのところなども胸を打つ(「ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ」)。黒人用座席はバスの後部と決められていたが、彼女たちは「そんなことは当たり前と思い、前に座っても、後ろに座っても、同じ時間にシカゴに着くのよ」と笑い飛ばすところなど、感動的だ。本当に生のブルーズの歴史の一部が語られている。ぜひ、菊田さんにはもっともっと思い出してもらってたくさん書いてもらいたい。
ご冥福をお祈りしたい。
■前回来日ライヴ評
July 22, 2007
Koko Taylor Live: Queen Of Blues & Shun Kikuta
【ココ・テイラー・ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001907.html
■菊田俊介オフィシャル・ウェッブ
http://www.shunkikuta.com/japanese/
◎同菊田俊介ブログ内でのココ・テイラーについてのエントリー
June 04, 2009
ココが死んじゃった
http://ameblo.jp/shunkikuta/day-20090604.html
August 13, 2008
ココの昔話再び・・マディ・ウォーターズ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10126714673.html
July 04, 2008
ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112626048.html#cbox
July 04, 2008
ココの昔話・・・の続き
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112939960.html#main
May 18, 2009
ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10263264706.html
July 29, 2008
ココも飛び入り参加、Rockin’ Horse
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10121496731.html
ENT>MUSIC>OBITUARY>Taylor, Koko (September 28, 1928 - June 3, 2009, 80)
訃報。
シカゴ・ブルーズの女王として活躍してきたヴェテラン・ブルーズ・シンガー、ココ・テイラーが2009年6月3日午後、地元シカゴの病院で合併症のため死去した。2009年5月19日に、胃腸に出血があり、その手術を行っていた。80歳だった。
ココ・テイラーは、出生名はコーラ・ウォルトン。南部テネシー州メンフィスの農家に1928年(昭和3年)9月28日生まれた。当初はゴスペルを歌っていたが、メンフィスの人気ラジオ局WDIAから流れてくるブルーズにも興味を持った。この頃、同局のDJには、BBキングやルーファス・トーマスらがいた。その後最初の結婚をし、1952年に、夢を求めて北部の都会シカゴに移り住む。このとき彼らはわずか35セントとリッツのクラッカーしかなかった、という。シカゴ行きのグレイハウンド・バスに乗る2人分の運賃もなかったらしい。
シカゴでは夫も仕事をし、ココも昼間は白人家庭で家政婦のような仕事をし、夜はブルーズ・バーなどに出入り。シカゴ・サウスサイドで聴いた都会的なブルーズに魅せられ、ブルーズ・シンガーとして活動を始める。テイラー姓は、この最初の夫のもの。当時南部では、電気的楽器などがなく、みなアコースティックな楽器でブルーズを歌っていたので、シカゴに来て、みなエレキ・ギターなどを鳴らしていたことに衝撃を受けた。このあたりの様子は、日本でも8月に公開される『キャデラック・レコード』でも描かれている。(この映画については近日中にご紹介します)
1962年、ブルーズ界ですでにソングライター、シンガー、プロデューサーとして活躍していたウィリー・ディクソンに認められ、1964年にはチェス・レコード入り。ディクソンが書き、その前に同じチェスのハウリン・ウルフがレコーディングしていた「ワング・ダング・ドゥードル」をカヴァー、ココのものも1966年4月から大ヒットしR&Bチャートで4位を記録、一躍人気シンガーとなった。
1975年、チェスが経営に行き詰った後は、シカゴのブルーズ専門レーベル、アリゲーターと契約、今日まで同レーベルに所属していた。
1991年初来日の後、2007年2度目の来日。このときは、2000年10月から正式にココ・テイラーのバンド・メンバーになっていた日本人ギタリストでシカゴ在住の菊田俊介も帯同した。
最後に人前に姿を現したのは2009年5月7日、「第29回ブルーズ・アワード」の授賞式でのこと。ココは、他の誰よりも多くの同ブルーズ・アワード(今年の受賞までで29個)を獲得している、という。最新作『オールド・スクール』(2007年)も含めアリゲーターから発売された9枚のアルバムのうち、8枚までがグラミー賞にノミネートされている。グラミーは、1984年のコンピレーション・アルバム『ブルーズ・エクスプロージョン』の参加で受賞している。
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菊田ブログ。
僕がココ・テイラーのライヴを見たのは、2007年7月。もう2年も前、しかし、ばりばりに元気だった。そしてそのときギターを弾いていた菊田さん。彼のブログの記事にココ・テイラーのことを書いたものがある。もちろん、昨日(6月4日)付けでココの死去に触れている。まだ心の整理もついていないだろう。ゆっくり近いうちに思い出話を書いてくれることを期待したい。ココの死去を聞いて、まっさきに菊田さんのブログに行った。
ここに彼がココから直接書いた話が数本あるが、これが素晴らしい。本当に生のブルーズの歴史そのものだ。どんな評伝よりも、ココの人間性や、彼女の人となりがわかる。アーティスト本人が仲間内に語っている情報は、時として記憶違いなどもあるが、やはり本人にとっての真実ということで、重みが違う。
今回改めて読み直して、菊田さんがココに雇われるシーン(「ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ」記載)や、ココが夫とシカゴに行く時、2人分のバス代がなく乗せてもらうシーンのところなども胸を打つ(「ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ」)。黒人用座席はバスの後部と決められていたが、彼女たちは「そんなことは当たり前と思い、前に座っても、後ろに座っても、同じ時間にシカゴに着くのよ」と笑い飛ばすところなど、感動的だ。本当に生のブルーズの歴史の一部が語られている。ぜひ、菊田さんにはもっともっと思い出してもらってたくさん書いてもらいたい。
ご冥福をお祈りしたい。
■前回来日ライヴ評
July 22, 2007
Koko Taylor Live: Queen Of Blues & Shun Kikuta
【ココ・テイラー・ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001907.html
■菊田俊介オフィシャル・ウェッブ
http://www.shunkikuta.com/japanese/
◎同菊田俊介ブログ内でのココ・テイラーについてのエントリー
June 04, 2009
ココが死んじゃった
http://ameblo.jp/shunkikuta/day-20090604.html
August 13, 2008
ココの昔話再び・・マディ・ウォーターズ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10126714673.html
July 04, 2008
ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112626048.html#cbox
July 04, 2008
ココの昔話・・・の続き
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112939960.html#main
May 18, 2009
ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10263264706.html
July 29, 2008
ココも飛び入り参加、Rockin’ Horse
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10121496731.html
ENT>MUSIC>OBITUARY>Taylor, Koko (September 28, 1928 - June 3, 2009, 80)