2009年06月01日(月) 04時17分24秒
soulsearchinの投稿
☆【小川隆夫さん : 絶好調トーク(パート2)~生粋のコレクター(ネイティヴ・コレクター)の巻】
テーマ:ブログ
☆【小川隆夫さん : 絶好調トーク(パート2)~生粋のコレクター(ネイティヴ・コレクター)の巻】
炸裂。
駒場東大前の「オーチャード・バー」はとても、営業店があるとは思えない住宅街にある。駐車場が近くにあるので、そこに僕が車を停めていたら、真横に黄色のポルシェが停めようとしてきた。ポルシェの排気管からでてくるガソリンの匂い。変形の土地にある駐車場でなかなか停めにくい。
そこから歩いて1分、オーチャード・バーは住宅街にぽっつりと佇む一軒家だった。中に入るとまもなく小川さんが大きな荷物を持ってやってきた。
「お久しぶりです、これどうぞ」 そう挨拶をしてマーヴィンの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』を彼に手渡した。すると間髪を入れず、「ああ、じゃあ、これ」と言って小川さんが大きな荷物の中から彼の著作『ブルーノート大辞典 1500番台編』(東京キララ社・刊)を手渡してくれた。「いいですね、この物々交換!(笑)」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309908349/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『音楽ゼミナール』本編が終わったあと、小川さんはファンの方とお話をしたり、写真を撮られたりしていたが、一段落したところで、ゆっくりお話をした。
最初はお互いの本の話し。
『マーヴィン・ゲイ物語』は、約448ページ。本文は35万字超。ディスコグラフィーなどの部分を数えるとおそらく40万字を超える。重さ740グラム。2900円(税別)。『ブルーノート大辞典』は、434ページ、680グラム。3500円(税別)。どちらも厚さは2.8センチくらい。文字数は最初のディスコグラフィーのところは、それほど字がつまっていない。本の大きさはどちらも同じでハード・カヴァー、上製だ。内容の熱さはどちらも100点満点だ。
小川さん。「『マイルス・デイヴィスの真実』は、2段で500ページちょい。400字で1400枚(約56万字)くらいかなあ。最初のうちは、そんなに書くつもりなかったのに、どんどん書いちゃって。編集者が同級生だったんで、『増えちゃったよ』っていったら、『もう、いいよ』ってヤケになっちゃってね。(笑) 3800円で5000部初版。今、3刷りだよ。たぶんこういう本って高くても買う人は買うんだろうね。部数は値段に関係ないんだろう」 それは、すごい! これは、さすがに画期的だそうだ。マーヴィンも、それくらい売れないかなあ。「あれは(『マイルス』本)3大新聞の書評に載ったんだ。今までで著作は、単独だけで40冊くらいです。共著も含めるともっとある」
そういえば、彼はブログもあっという間に書き上げる。一日分を2-30分程度で書くというのを、以前自身のブログの中で紹介していた。
小川さんは書くのが本当に速いので有名な男だ。
「じゃあ、この『60年代の音楽』は、たとえば10回くらいやって、本にするんですか」と僕が訊くと、「いやあ、わからないなあ。死ぬまでやって本にならなかったりして。(笑)ジャズでも、ロックでも、いくらでもジャンル分けできるしね…」 「しかし、小川さんは、ジャズだけでなく、ロックでも日本のものでも、何でも詳しいんですか」 「詳しいかどうかわからないけど、(自分は)みんな好きだよ。ロックは、ビートルズのアメリカ盤の本書いたり…。ビートルズは、日本盤、アメリカ盤、イギリス盤、特に初期の頃のはみんな違ってるのよ」 「で、日・米・英、みんな持ってるんですか」 「うん、ステレオ、モノラルも両方ね。でも、唯一ね、日本盤の帯付きが、昔、俺、全部帯切っちゃってたから、ないんだよ」「うわああ。もったいない。帯…。あれねえ、僕は捨てない主義ですが…」 「うん、でももう買えないね、(ものによっては)1枚70万円くらいするんだよ。東芝の初期のは掛け帯っていう奴だったんだ。(ビートルズの)初代のディレクターは、さっきの草野さん(漣健児)の弟だよ」 そこに内田さん。「今度、ビートルズは紙ジャケが復刻されるらしいですよね」 「そうそう、でも、それは帯はない」 「で、どこの(国の)盤にするんですか」 「それが今、問題なのよ(笑) どうなるんだろうね」
泥沼。
ということで、小川さんは、ビートルズのほか、ローリング・ストーンズ、それぞれのソロ、各国盤、全部買う。「小川さん、ちょっと待って。イギリス盤とEU盤っていうのは、違うんですか?」 「いやあ、それがね、そんときによって違うんだよ。(笑) イギリス盤っていうのは今は原則的になくて、インターナショナル盤っていう訳のわかんないのがあるんだ。(笑) でも、EU盤とはバーコードが違ってたりするんだ」 「EU盤とインターナショナル盤はどこでプレスされてるんですか」 「わかんないなあ。でも、バーコードが違ってたら、買わなきゃなんないし。もうよくわかんないよ。(笑)」 なんと、小川さん、ビートルズなど東芝EMIから、EMIジャパンになったときや、消費税が3%から5%になって再発されたときも、買ったという。すごい徹底振りだ。その結果、同じ内容のCDが何枚も(10枚単位で)、揃うことになるという。恐れ入りました。コレクターの鏡だ。小川さんがそこで一言、「困ります!」。(周囲爆笑) 自分で自分を追い込むタイプとお見受けした。(笑)
というわけで、小川さんは、ビートルズ、ストーンズ、日英米、コンプリートを目指している男であった。
アメリカに行くと、やはりお決まりのレコード屋めぐり。自分のお気に入りのものを安い値段で発見するととりあえず買っておく。特にシールド(ビニールの封がされたもの)を見つけたら、安ければ、とりあえず買うという。だから、けっこうシールドものも集まってるそうだ。
初めてアメリカに行ったのは1973年、16日間くらいの、ニューヨーク、ロス、ラスヴェガス、ハワイなどを周るいわゆるパック旅行だった。23歳、医学部の学生だった。あちこちの街でレコード店をめぐり、その頃、アルバム1枚50セントくらいでいくらでも買えたので、買っては船便で日本に送っていた。
レコード、CDの整理は、きっちりアーティストのABC順。ファミリー・ネームで分けている。マイルス・デイヴィスは、Dに入る。昔は7インチも集めていたが、最近はさすがにやめたという。そして、自分で自分の持っているレコード、CDのデータ・ベースを自分の使いやすいようにコツコツ作っているそうだ。「何でも集める、何でも揃えるのが好き」だと小川さんは言う。だから、最初ブルーノートのレコードをある程度集めたときに、その番号が抜けているところをどんどん埋めたくなっていった、という。生来のコンプリート・コレクターだ。
小川さんのライナーノーツ・デビューは1983年。それから、現在までなんと3000枚以上のライナーを書いた。2年目くらいからは、年100枚以上のペースがほとんど続いているそうだ。1年だけ100枚にならなかった年があったそうだが、多い時は年に300枚近くになったこともあるという。僕が初めてライナーを書いたのは1975年、メジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』(「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」が入っているアルバムだ。以来、僕もけっこう書いたが、1300枚くらいか。年間で80枚を超えたときはあったが、平均50枚程度。今は数えるほど。だから、小川さんのライナーの数ははんぱなく、すごい数字なのだ。途中から、小川さんは自身のライナーに「ジョブ・ナンバー(仕事ナンバー)」みたいなものをつけるようになった。これは、知り合いのエンジニアが自分の仕事したテープに「ジョブ・ナンバー」というのをつけていたのを見て、「これは、いい」と思ってやるようになった、そうだ。
小川さん、自分が書いたものはすべて保存している。途中からワープロ、パソコンになり、そのデータはもちろん残っているが、驚いたことに、1983年以降でデータ化されていない自身の原稿を、数年分、コツコツとパソコンで打ち、データ化しているそうだ。恐れ入った。
何でも揃え、きっちり整理する男だった。
しかし、小川さん、僕が興味をもつところもつところ、すべて徹底的にやっているので、話が尽きない。はっきり言って話しは泥沼に入っている。(笑) 駒場東大前の夜は更けていく…。
(この項、続くものと思われる・・・(笑))
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
炸裂。
駒場東大前の「オーチャード・バー」はとても、営業店があるとは思えない住宅街にある。駐車場が近くにあるので、そこに僕が車を停めていたら、真横に黄色のポルシェが停めようとしてきた。ポルシェの排気管からでてくるガソリンの匂い。変形の土地にある駐車場でなかなか停めにくい。
そこから歩いて1分、オーチャード・バーは住宅街にぽっつりと佇む一軒家だった。中に入るとまもなく小川さんが大きな荷物を持ってやってきた。
「お久しぶりです、これどうぞ」 そう挨拶をしてマーヴィンの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』を彼に手渡した。すると間髪を入れず、「ああ、じゃあ、これ」と言って小川さんが大きな荷物の中から彼の著作『ブルーノート大辞典 1500番台編』(東京キララ社・刊)を手渡してくれた。「いいですね、この物々交換!(笑)」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309908349/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『音楽ゼミナール』本編が終わったあと、小川さんはファンの方とお話をしたり、写真を撮られたりしていたが、一段落したところで、ゆっくりお話をした。
最初はお互いの本の話し。
『マーヴィン・ゲイ物語』は、約448ページ。本文は35万字超。ディスコグラフィーなどの部分を数えるとおそらく40万字を超える。重さ740グラム。2900円(税別)。『ブルーノート大辞典』は、434ページ、680グラム。3500円(税別)。どちらも厚さは2.8センチくらい。文字数は最初のディスコグラフィーのところは、それほど字がつまっていない。本の大きさはどちらも同じでハード・カヴァー、上製だ。内容の熱さはどちらも100点満点だ。
小川さん。「『マイルス・デイヴィスの真実』は、2段で500ページちょい。400字で1400枚(約56万字)くらいかなあ。最初のうちは、そんなに書くつもりなかったのに、どんどん書いちゃって。編集者が同級生だったんで、『増えちゃったよ』っていったら、『もう、いいよ』ってヤケになっちゃってね。(笑) 3800円で5000部初版。今、3刷りだよ。たぶんこういう本って高くても買う人は買うんだろうね。部数は値段に関係ないんだろう」 それは、すごい! これは、さすがに画期的だそうだ。マーヴィンも、それくらい売れないかなあ。「あれは(『マイルス』本)3大新聞の書評に載ったんだ。今までで著作は、単独だけで40冊くらいです。共著も含めるともっとある」
そういえば、彼はブログもあっという間に書き上げる。一日分を2-30分程度で書くというのを、以前自身のブログの中で紹介していた。
小川さんは書くのが本当に速いので有名な男だ。
「じゃあ、この『60年代の音楽』は、たとえば10回くらいやって、本にするんですか」と僕が訊くと、「いやあ、わからないなあ。死ぬまでやって本にならなかったりして。(笑)ジャズでも、ロックでも、いくらでもジャンル分けできるしね…」 「しかし、小川さんは、ジャズだけでなく、ロックでも日本のものでも、何でも詳しいんですか」 「詳しいかどうかわからないけど、(自分は)みんな好きだよ。ロックは、ビートルズのアメリカ盤の本書いたり…。ビートルズは、日本盤、アメリカ盤、イギリス盤、特に初期の頃のはみんな違ってるのよ」 「で、日・米・英、みんな持ってるんですか」 「うん、ステレオ、モノラルも両方ね。でも、唯一ね、日本盤の帯付きが、昔、俺、全部帯切っちゃってたから、ないんだよ」「うわああ。もったいない。帯…。あれねえ、僕は捨てない主義ですが…」 「うん、でももう買えないね、(ものによっては)1枚70万円くらいするんだよ。東芝の初期のは掛け帯っていう奴だったんだ。(ビートルズの)初代のディレクターは、さっきの草野さん(漣健児)の弟だよ」 そこに内田さん。「今度、ビートルズは紙ジャケが復刻されるらしいですよね」 「そうそう、でも、それは帯はない」 「で、どこの(国の)盤にするんですか」 「それが今、問題なのよ(笑) どうなるんだろうね」
泥沼。
ということで、小川さんは、ビートルズのほか、ローリング・ストーンズ、それぞれのソロ、各国盤、全部買う。「小川さん、ちょっと待って。イギリス盤とEU盤っていうのは、違うんですか?」 「いやあ、それがね、そんときによって違うんだよ。(笑) イギリス盤っていうのは今は原則的になくて、インターナショナル盤っていう訳のわかんないのがあるんだ。(笑) でも、EU盤とはバーコードが違ってたりするんだ」 「EU盤とインターナショナル盤はどこでプレスされてるんですか」 「わかんないなあ。でも、バーコードが違ってたら、買わなきゃなんないし。もうよくわかんないよ。(笑)」 なんと、小川さん、ビートルズなど東芝EMIから、EMIジャパンになったときや、消費税が3%から5%になって再発されたときも、買ったという。すごい徹底振りだ。その結果、同じ内容のCDが何枚も(10枚単位で)、揃うことになるという。恐れ入りました。コレクターの鏡だ。小川さんがそこで一言、「困ります!」。(周囲爆笑) 自分で自分を追い込むタイプとお見受けした。(笑)
というわけで、小川さんは、ビートルズ、ストーンズ、日英米、コンプリートを目指している男であった。
アメリカに行くと、やはりお決まりのレコード屋めぐり。自分のお気に入りのものを安い値段で発見するととりあえず買っておく。特にシールド(ビニールの封がされたもの)を見つけたら、安ければ、とりあえず買うという。だから、けっこうシールドものも集まってるそうだ。
初めてアメリカに行ったのは1973年、16日間くらいの、ニューヨーク、ロス、ラスヴェガス、ハワイなどを周るいわゆるパック旅行だった。23歳、医学部の学生だった。あちこちの街でレコード店をめぐり、その頃、アルバム1枚50セントくらいでいくらでも買えたので、買っては船便で日本に送っていた。
レコード、CDの整理は、きっちりアーティストのABC順。ファミリー・ネームで分けている。マイルス・デイヴィスは、Dに入る。昔は7インチも集めていたが、最近はさすがにやめたという。そして、自分で自分の持っているレコード、CDのデータ・ベースを自分の使いやすいようにコツコツ作っているそうだ。「何でも集める、何でも揃えるのが好き」だと小川さんは言う。だから、最初ブルーノートのレコードをある程度集めたときに、その番号が抜けているところをどんどん埋めたくなっていった、という。生来のコンプリート・コレクターだ。
小川さんのライナーノーツ・デビューは1983年。それから、現在までなんと3000枚以上のライナーを書いた。2年目くらいからは、年100枚以上のペースがほとんど続いているそうだ。1年だけ100枚にならなかった年があったそうだが、多い時は年に300枚近くになったこともあるという。僕が初めてライナーを書いたのは1975年、メジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』(「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」が入っているアルバムだ。以来、僕もけっこう書いたが、1300枚くらいか。年間で80枚を超えたときはあったが、平均50枚程度。今は数えるほど。だから、小川さんのライナーの数ははんぱなく、すごい数字なのだ。途中から、小川さんは自身のライナーに「ジョブ・ナンバー(仕事ナンバー)」みたいなものをつけるようになった。これは、知り合いのエンジニアが自分の仕事したテープに「ジョブ・ナンバー」というのをつけていたのを見て、「これは、いい」と思ってやるようになった、そうだ。
小川さん、自分が書いたものはすべて保存している。途中からワープロ、パソコンになり、そのデータはもちろん残っているが、驚いたことに、1983年以降でデータ化されていない自身の原稿を、数年分、コツコツとパソコンで打ち、データ化しているそうだ。恐れ入った。
何でも揃え、きっちり整理する男だった。
しかし、小川さん、僕が興味をもつところもつところ、すべて徹底的にやっているので、話が尽きない。はっきり言って話しは泥沼に入っている。(笑) 駒場東大前の夜は更けていく…。
(この項、続くものと思われる・・・(笑))
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao