2009年05月11日(月) 04時34分37秒
soulsearchinの投稿
◆アーニー・バーンズ70歳で死去
テーマ:ブログ
◆アーニー・バーンズ70歳で死去: Ernie Barnes Dies At 70; Known For "I Want You" Cover
【アーニー・バーンズ死去~『シュガー・シャック』で知られる】
訃報。
マーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』のジャケットに使われたことで一躍知られるようになった「シュガー・シャック」という作品を描いた、アメリカの黒人画家アーニー・バーンズが2009年4月27日、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で血液に起因する合併症のため死去した。70歳だった。
アーニー・バーンズは1938年7月15日、ノース・キャロライナ州ダーハム生まれ。1960年から1964年までアメリカン・フットボールの選手として活躍。その後、選手になる前から絵を描いていた作品を次々と発表するようになる。1971年、黒人がダンスホールで踊っている姿を描いた「シュガー・シャック」を発表。話題を集め、さらに、1970年代中期にはテレビ番組『グッドタイムス』で多くのキャラクターを描いた。1976年、マーヴィン・ゲイがアルバム『アイ・ウォント・ユー』のジャケットでバーンズの作品「シュガー・シャック」を使い、さらに一般的な知名度をあげた。1984年、ロスアンジェルス・オリンピックのオフィシャル・アーティストに選出。
バーンズは、シンガー・ソングライターのビル・ウィザースと親しかったそうで、ウィザースによれば、バーンズは「アートを人々を教育するツールとして使ってみたかった」と言っていたという。また、ウィザースは「バーンズは、過去の表面的なものから、本質的なことを見て欲しいと思っている」と解説する。
バーンズの作品の中に踊っているものが多いのは、彼が幼少の頃、ダンスの輪の中に入ることを禁じられた思い出ゆえのことだという。そして、彼が描く黒人たちの目はいつも閉じているのが特徴。これは「我々はお互いの人間性に対して、盲目である」ということを表現していると彼は説明する。
ノース・キャライナ生まれのバーンズは、母親がリッチな弁護士のメイドをしていたことで、その家でいらなくなった書籍やレコードをもらってきては、子供たちに聞かせたり、見せたりしていた。1940年代の黒人家庭で、子供に芸術や教育を施そうしたしたのは極めて珍しかった。母親はアーニーに絵を描くよう勧め、アーニーは学友のいじめから逃れるために、絵に没頭した。高校時代から絵だけでなく、大きな身長(190センチ以上)を生かしてスポーツをするようになり、高校卒業時には26の大学から奨学金のオファーが来たという。まさに文武両道だ。その中から彼は黒人大学の名門ノース・キャロライナ大学を選び、進学。しかし、卒業を前に、彼はプロのフットボール選手に転向した。
フットボール時代にも筆を持ち、選手仲間などを描いて、仲間からは「大きなレンブラント」というニックネームまでもらった。選手としてはそれほどの成功を収めなかった彼は、自分が所属していたサンディエゴ・チャージャースのオーナーのもとに直談判に行き、作品を売り込みにいく。このときオーナーは彼の作品を1000ドルで購入した。
60年代初めの1000ドル(36万円)は大金だ。アルバイトで働いていたら日給1ドル、昭和30年代だと日本でも初任給1万円程度の頃である。これを機に彼は、AFLのオフィシャル・アーティストとなり、さらに、アーニーの才能にほれ込んだニューヨーク・ジェッツのオーナー、ソニー・ウォーブリンが年俸1万5000ドル以上を絵を描くために払うことになった。これは彼のフットボール選手としての年俸よりも1000ドル高い金額だった。こうしてアーニーは絵を描くアーティストとして売れっ子になっていく。以後は様々なセレブから作品を描いてくれと頼まれるようになったり、展覧会などを開くようになった。
(アーニー・バーンズ作品を使用したジャケット。このほかにドナルド・バード、クルセイダーズ、フェイス・ホープ&チャリティーなども)
■ マーヴィン・ゲイ 『アイ・ウォント・ユー』
■ カーティス・メイフィールド 『サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン』
■ BBキング 『メイキング・ラヴ・イズ・グッド・フォー・ユー』
■ アーニー・バーンズ・オフィシャル・ウェッブ(英語)
http://www.erniebarnesart.com/
(ここでプリントの作品なども買えます)
■ 横浜の名門ソウル・バー「シュガーシャック」、川崎に再オープン
再起。
昨年1月にクローズした横浜の名門ソウル・バー「シュガーシャック」が、来る2009年5月21日、川崎に新規オープンする。場所は川崎駅から徒歩5分程度のところ。
『シュガーシャックSugarshack』
神奈川県川崎市川崎区砂子2-11-21 深沢ビル3階
電話044-223-8131
川崎駅・東口下車。市役所通りを第一京浜方向(海方向)に進み、サンルートと野村證券ビルとの間を右折。たちばな通り、マクドナルドの隣。ビルの3階。
(詳細は、また後日)
■ (参考資料)アーニー・バーンズ死去を伝える記事
http://www.latimes.com/entertainment/news/arts/la-me-ernie-barnes30-2009apr30,0,2835443.story
Ernie Barnes dies at 70; pro football player, successful painter
By Elaine Woo
April 30, 2009
Ernie Barnes, a former professional football player who became a successful figurative painter, known for depictions of athletes and ordinary people whose muscled, elongated forms express physical and spiritual struggles, died Monday at Cedars-Sinai Medical Center in Los Angeles. He was 70.
ENT>OBITUARY>Barnes, Ernie (July 15, 1938 - April 27, 2009, 70)
【アーニー・バーンズ死去~『シュガー・シャック』で知られる】
訃報。
マーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』のジャケットに使われたことで一躍知られるようになった「シュガー・シャック」という作品を描いた、アメリカの黒人画家アーニー・バーンズが2009年4月27日、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で血液に起因する合併症のため死去した。70歳だった。
アーニー・バーンズは1938年7月15日、ノース・キャロライナ州ダーハム生まれ。1960年から1964年までアメリカン・フットボールの選手として活躍。その後、選手になる前から絵を描いていた作品を次々と発表するようになる。1971年、黒人がダンスホールで踊っている姿を描いた「シュガー・シャック」を発表。話題を集め、さらに、1970年代中期にはテレビ番組『グッドタイムス』で多くのキャラクターを描いた。1976年、マーヴィン・ゲイがアルバム『アイ・ウォント・ユー』のジャケットでバーンズの作品「シュガー・シャック」を使い、さらに一般的な知名度をあげた。1984年、ロスアンジェルス・オリンピックのオフィシャル・アーティストに選出。
バーンズは、シンガー・ソングライターのビル・ウィザースと親しかったそうで、ウィザースによれば、バーンズは「アートを人々を教育するツールとして使ってみたかった」と言っていたという。また、ウィザースは「バーンズは、過去の表面的なものから、本質的なことを見て欲しいと思っている」と解説する。
バーンズの作品の中に踊っているものが多いのは、彼が幼少の頃、ダンスの輪の中に入ることを禁じられた思い出ゆえのことだという。そして、彼が描く黒人たちの目はいつも閉じているのが特徴。これは「我々はお互いの人間性に対して、盲目である」ということを表現していると彼は説明する。
ノース・キャライナ生まれのバーンズは、母親がリッチな弁護士のメイドをしていたことで、その家でいらなくなった書籍やレコードをもらってきては、子供たちに聞かせたり、見せたりしていた。1940年代の黒人家庭で、子供に芸術や教育を施そうしたしたのは極めて珍しかった。母親はアーニーに絵を描くよう勧め、アーニーは学友のいじめから逃れるために、絵に没頭した。高校時代から絵だけでなく、大きな身長(190センチ以上)を生かしてスポーツをするようになり、高校卒業時には26の大学から奨学金のオファーが来たという。まさに文武両道だ。その中から彼は黒人大学の名門ノース・キャロライナ大学を選び、進学。しかし、卒業を前に、彼はプロのフットボール選手に転向した。
フットボール時代にも筆を持ち、選手仲間などを描いて、仲間からは「大きなレンブラント」というニックネームまでもらった。選手としてはそれほどの成功を収めなかった彼は、自分が所属していたサンディエゴ・チャージャースのオーナーのもとに直談判に行き、作品を売り込みにいく。このときオーナーは彼の作品を1000ドルで購入した。
60年代初めの1000ドル(36万円)は大金だ。アルバイトで働いていたら日給1ドル、昭和30年代だと日本でも初任給1万円程度の頃である。これを機に彼は、AFLのオフィシャル・アーティストとなり、さらに、アーニーの才能にほれ込んだニューヨーク・ジェッツのオーナー、ソニー・ウォーブリンが年俸1万5000ドル以上を絵を描くために払うことになった。これは彼のフットボール選手としての年俸よりも1000ドル高い金額だった。こうしてアーニーは絵を描くアーティストとして売れっ子になっていく。以後は様々なセレブから作品を描いてくれと頼まれるようになったり、展覧会などを開くようになった。
(アーニー・バーンズ作品を使用したジャケット。このほかにドナルド・バード、クルセイダーズ、フェイス・ホープ&チャリティーなども)
■ マーヴィン・ゲイ 『アイ・ウォント・ユー』
I Want You
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Marvin Gaye
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売り上げランキング: 21135
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■ カーティス・メイフィールド 『サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン』
サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン 80年作
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カーティス・メイフィールド
ビクターエンタテインメント (1998-07-08)
売り上げランキング: 62389
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■ BBキング 『メイキング・ラヴ・イズ・グッド・フォー・ユー』
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■ アーニー・バーンズ・オフィシャル・ウェッブ(英語)
http://www.erniebarnesart.com/
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■ 横浜の名門ソウル・バー「シュガーシャック」、川崎に再オープン
再起。
昨年1月にクローズした横浜の名門ソウル・バー「シュガーシャック」が、来る2009年5月21日、川崎に新規オープンする。場所は川崎駅から徒歩5分程度のところ。
『シュガーシャックSugarshack』
神奈川県川崎市川崎区砂子2-11-21 深沢ビル3階
電話044-223-8131
川崎駅・東口下車。市役所通りを第一京浜方向(海方向)に進み、サンルートと野村證券ビルとの間を右折。たちばな通り、マクドナルドの隣。ビルの3階。
(詳細は、また後日)
■ (参考資料)アーニー・バーンズ死去を伝える記事
http://www.latimes.com/entertainment/news/arts/la-me-ernie-barnes30-2009apr30,0,2835443.story
Ernie Barnes dies at 70; pro football player, successful painter
By Elaine Woo
April 30, 2009
Ernie Barnes, a former professional football player who became a successful figurative painter, known for depictions of athletes and ordinary people whose muscled, elongated forms express physical and spiritual struggles, died Monday at Cedars-Sinai Medical Center in Los Angeles. He was 70.
ENT>OBITUARY>Barnes, Ernie (July 15, 1938 - April 27, 2009, 70)
1 ■いやー知りませんでした!
亡くなったのは勿論、人物像等、とても勉強になりました。
ありがとうございました!