2009年02月25日(水) 06時07分08秒
soulsearchinの投稿
○青木新門氏の「納棺夫日記」は「おくりびと」の原点本
テーマ:ブログ○【青木新門氏の『納棺夫日記』は『おくりびと』の原点本】
原点本。
昨日付け本ブログでアカデミー賞「外国語映画部門」を獲得した日本映画『おくりびと』とそのアイデアの元になった『納棺夫日記』について書いた。さっそく複数の方からこれに関してメールをいただいた。どちらの方も青木さんと間接的に接点がある方たちで媒体には出ていない内容を知らせてくださった。ありがとうございます。
さらに、その後も、さまざまな媒体で青木さん自身がコメントをだされたりしている。そうした情報を読むと、昨日速攻で書いた文章『Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India~ソウルの真の出発』は、もう一度改めて書き直さなければならない。(近いうちにやります)
僕や多くの人が持っている一番の疑問。それはなぜ青木さんの『納棺夫日記』はオフィシャルな原作本となっていないのか。一番端的な理由は、2009年2月24日付け毎日新聞の次の記事に明らかになっている。
毎日新聞2009年2月24日付け朝刊
http://mainichi.jp/enta/cinema/archive/news/2009/02/24/20090224ddm041200157000c.html
~しかし、封切り直前、「原作者」とされることは拒んだ。一番描いてほしかった「『おくりびと』が(死者を)どこに送るのか」が描かれていなかったからだ。~(同・毎日新聞)
当初、映画化したいと本木さんが青木さんに言ったときには、「これは映画化できる話ではない」と断ったという。しかし、それでも本木さんは諦めずに、青木さんのところに足を運んだり、手紙を書いたりした。最初の脚本を見たときはやはり青木さんにとっては不本意で、映画化の話は一度振り出しに戻った。しかし、本木さんは諦めずに、タイトルも変え、脚本も書き直して持っていった。すると、その熱意に負けたのか青木さんから、原作と青木さんの名前を出さないという条件なら映画化してもいいという言葉をもらったという。
書き出し。
書き出しは、全ての出発点。文章で一番重要だ。僕は小学校の国語の先生(藤本先生)にそう習った。そして、『納棺夫日記』の書き出しは、実に見事だ。
「今朝、立山に雪が来た。
全身に殺気にも似た冷気が走る。~」(『納棺夫日記』青木新門・著)
映画の舞台、ロケはさまざまな事情があったのだろう。山形県庄内市になる。青木さんは、富山に大変こだわりのある方だった。この冒頭の一文からして、映画の舞台が立山でなくては、原作者としては譲れないだろう。
また、青木さんは「納棺夫」という言葉にこだわりがあったようだ。映画では「納棺師」とされている。これは、最近では女性でもこの仕事をするために、業界的には、「納棺師」という言い方が一般的らしい。だが、この物語は「納棺夫」の物語だ。
納棺の仕事は宗教性と無縁ではなく、そのあたりが省かれている点も気になったらしい。とはいうものの、映画は映画としてエンタテインメントにしなければならないので、そのあたりのさじ加減は実にむずかしい。
2月24日日本テレビ系『みやねや』(午後2時~)で青木さん本人がインタヴューに答えられていた。それによると、本木さんが映画がほぼできて「やはり、原作として名前をいれさせてください」と懇願しにきた。食事処で本木さんは出されたものに箸もつけず、1時間半ずっと正座したまま、懇願し続けたという。青木さんはその真摯な姿勢に打たれたが、『納棺夫日記』は『納棺夫日記』、『おくりびと』は『おくりびと』でいいではありませんか、と言ったという。
僕はこの話を聞いて、どちらも立派だと感動した。青木さんは青木さんで筋を通し、この本を映画化することを許可した。そして本木さんは本木さんで、最後の最後まで原作クレジットをいれることにこだわった。だが、こうして原作クレジットは入らずとも、本木さんがこの本についてあちこちで話したことで、この映画の原点がここにあるということが明らかにされ、これは十分に恩返し(クレジットを与えている)しているように思える。しかも、アカデミーという超ど級の御礼がついた。
青木さんは原作本としては名前を貸さなかったが、ふたりの関係はひじょうに良好で、青木さんは本木さんに大変好印象を持っている。『~それでも先月末、本木さんからノミネートの知らせを受けた時は、素直に「おめでとう。蛆(うじ)の光はオスカーの黄金の光とつながっています」と伝えた。~』(上記・毎日新聞・記事)
『納棺夫日記』はほとんど自費出版に近いもので、初版は500部(毎日新聞の記事では2500部)とかなりの少部数だったそうだ。しかし、そんな本を、本木さんは一体どこでどのようにして手に入れたのだろう。新たな疑問が浮かびあがった。
「映画と本は別物だ」と青木さんは言う。まったくその通りだと思う。しかし、僕は、これについて映画の原作本ではなく、新たな呼称を授けたい。『納棺夫日記』は、『おくりびと』の「原点本」だ、と。映画と書籍の新しいいい関係だと思う。
■ 参考記事
なんと糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」で昨年、『おくりびと』についての糸井氏、学者の中沢新一氏、本木さんの3人の深い対談がでていました。よくわかる読み応えある対談です。
http://www.1101.com/okuribito/index.html
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
++
ちなみに、「納棺夫」という言葉に英語の定訳はないようだが、Coffin’s ManとかCasket Manあたりでいいのだろうか。
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
ENT>MOVIES>Okuribito, Departures
原点本。
昨日付け本ブログでアカデミー賞「外国語映画部門」を獲得した日本映画『おくりびと』とそのアイデアの元になった『納棺夫日記』について書いた。さっそく複数の方からこれに関してメールをいただいた。どちらの方も青木さんと間接的に接点がある方たちで媒体には出ていない内容を知らせてくださった。ありがとうございます。
さらに、その後も、さまざまな媒体で青木さん自身がコメントをだされたりしている。そうした情報を読むと、昨日速攻で書いた文章『Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India~ソウルの真の出発』は、もう一度改めて書き直さなければならない。(近いうちにやります)
僕や多くの人が持っている一番の疑問。それはなぜ青木さんの『納棺夫日記』はオフィシャルな原作本となっていないのか。一番端的な理由は、2009年2月24日付け毎日新聞の次の記事に明らかになっている。
毎日新聞2009年2月24日付け朝刊
http://mainichi.jp/enta/cinema/archive/news/2009/02/24/20090224ddm041200157000c.html
~しかし、封切り直前、「原作者」とされることは拒んだ。一番描いてほしかった「『おくりびと』が(死者を)どこに送るのか」が描かれていなかったからだ。~(同・毎日新聞)
当初、映画化したいと本木さんが青木さんに言ったときには、「これは映画化できる話ではない」と断ったという。しかし、それでも本木さんは諦めずに、青木さんのところに足を運んだり、手紙を書いたりした。最初の脚本を見たときはやはり青木さんにとっては不本意で、映画化の話は一度振り出しに戻った。しかし、本木さんは諦めずに、タイトルも変え、脚本も書き直して持っていった。すると、その熱意に負けたのか青木さんから、原作と青木さんの名前を出さないという条件なら映画化してもいいという言葉をもらったという。
書き出し。
書き出しは、全ての出発点。文章で一番重要だ。僕は小学校の国語の先生(藤本先生)にそう習った。そして、『納棺夫日記』の書き出しは、実に見事だ。
「今朝、立山に雪が来た。
全身に殺気にも似た冷気が走る。~」(『納棺夫日記』青木新門・著)
映画の舞台、ロケはさまざまな事情があったのだろう。山形県庄内市になる。青木さんは、富山に大変こだわりのある方だった。この冒頭の一文からして、映画の舞台が立山でなくては、原作者としては譲れないだろう。
また、青木さんは「納棺夫」という言葉にこだわりがあったようだ。映画では「納棺師」とされている。これは、最近では女性でもこの仕事をするために、業界的には、「納棺師」という言い方が一般的らしい。だが、この物語は「納棺夫」の物語だ。
納棺の仕事は宗教性と無縁ではなく、そのあたりが省かれている点も気になったらしい。とはいうものの、映画は映画としてエンタテインメントにしなければならないので、そのあたりのさじ加減は実にむずかしい。
2月24日日本テレビ系『みやねや』(午後2時~)で青木さん本人がインタヴューに答えられていた。それによると、本木さんが映画がほぼできて「やはり、原作として名前をいれさせてください」と懇願しにきた。食事処で本木さんは出されたものに箸もつけず、1時間半ずっと正座したまま、懇願し続けたという。青木さんはその真摯な姿勢に打たれたが、『納棺夫日記』は『納棺夫日記』、『おくりびと』は『おくりびと』でいいではありませんか、と言ったという。
僕はこの話を聞いて、どちらも立派だと感動した。青木さんは青木さんで筋を通し、この本を映画化することを許可した。そして本木さんは本木さんで、最後の最後まで原作クレジットをいれることにこだわった。だが、こうして原作クレジットは入らずとも、本木さんがこの本についてあちこちで話したことで、この映画の原点がここにあるということが明らかにされ、これは十分に恩返し(クレジットを与えている)しているように思える。しかも、アカデミーという超ど級の御礼がついた。
青木さんは原作本としては名前を貸さなかったが、ふたりの関係はひじょうに良好で、青木さんは本木さんに大変好印象を持っている。『~それでも先月末、本木さんからノミネートの知らせを受けた時は、素直に「おめでとう。蛆(うじ)の光はオスカーの黄金の光とつながっています」と伝えた。~』(上記・毎日新聞・記事)
『納棺夫日記』はほとんど自費出版に近いもので、初版は500部(毎日新聞の記事では2500部)とかなりの少部数だったそうだ。しかし、そんな本を、本木さんは一体どこでどのようにして手に入れたのだろう。新たな疑問が浮かびあがった。
「映画と本は別物だ」と青木さんは言う。まったくその通りだと思う。しかし、僕は、これについて映画の原作本ではなく、新たな呼称を授けたい。『納棺夫日記』は、『おくりびと』の「原点本」だ、と。映画と書籍の新しいいい関係だと思う。
■ 参考記事
なんと糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」で昨年、『おくりびと』についての糸井氏、学者の中沢新一氏、本木さんの3人の深い対談がでていました。よくわかる読み応えある対談です。
http://www.1101.com/okuribito/index.html
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
++
ちなみに、「納棺夫」という言葉に英語の定訳はないようだが、Coffin’s ManとかCasket Manあたりでいいのだろうか。
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
ENT>MOVIES>Okuribito, Departures