2009年01月23日(金) 05時12分29秒
soulsearchinの投稿
▲31年ぶりに母校に~菊地成孔さん松尾潔さんの講義聴講
テーマ:ブログ
▲【31年ぶりに母校に~菊地成孔さん松尾潔さんの講義聴講】
ちょき。
松尾さんから、今度ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔(きくち・なるよし)さんが毎週慶應大学で講義をやっていて、それにゲストで呼ばれ講義をするので、マーヴィンの息抜きにいらっしゃいませんか、とのお誘いを受けた。しかも三田のキャンパスだ。これはおもしろいと思い、さっそく午後の慶應義塾に。よくよく考えてみると、僕がここを卒業したのが1978年3月なので、もう31年ぶりくらいのことになる。
随分変わったとは聞いていたが、変わったところもあれば、変わらないところもある。正門あたりの風景はまったく変わらない。講義が行われた西校舎526教室も、昔ながらの様相だ。ただ、違っていたのは、黒板の左右に大きなモニター・スクリーンがあったこと。あと、図書館や学食が新しくなっていて、今回は中には入らなかったが、かなり綺麗になっているらしい。
しかし、まず、何に驚いたかといえば、学生たちがみな一様にペットボトル、それに人によってはちょっとしたお菓子か、食べ物などを持ち込んでいたこと。たぶん僕が学生の頃の記憶では、授業中には飲食禁止というか、ありえなかったような気がする。それを見て、ああ、ドリンク買ってくればよかったなあ、と思ったのだが。まあ、今ではあちこちのカルチャー・スクールやら、記者会見とかの席上だと飲み物があって当たり前なのかもしれないが、なんか大学の授業も隔世の感があるなあ、と思った。この日はパソコンを使った映像をスクリーンに出すことはなかったが、そのあたりも時代は変わってる。もちろん、授業中、携帯をいじっている者も何人かいる。そもそも昔は携帯なんてなかったから、そんなことはありえなったが。
さて、授業のテーマは、「服は何故音楽を必要とするのか」という通年のテーマがあり、この日は松尾さんがゲストということで、彼に「ブラック・ミュージックは、大人の音楽か子供の音楽か」というテーマが与えられていたという。それにしても、菊地さん、たぶん頭の回転がめちゃくちゃく速いのだろう、それに呼応して実に早口でときどき聞き取れない部分もあった。これまでにもいろいろなゲスト(村上隆氏が来たこともあったそうだ)を呼んでいて、それらの「自由対談」は年内に単行本になるそうだ。しかし、これを文字に起こすのはマーヴィンの本を翻訳するのより大変なんではないか。(笑)
僕なんかは、オールドスクール(!)だから、授業というと先生が何かを教える、というものだと思っていたが、いまどきは、かなり違うようで、ひたすら松尾さんと菊地さんがひとつのキーワードを軸にしゃべり倒す、そこから派生する話題でもしゃべり倒すという感じでおもしろかった。『月曜ユニバース』よりも、もっと話がめちゃくちゃあちこちに飛ぶ。(笑)「これが授業なら、どこが試験に出るかは絶対、誰にもわからない」ほど話が多岐にわたる。この授業の単位は、レポート提出で全員に「優」だそうだ。これは学生には嬉しいだろう。
最初、松尾さんを紹介するときに、エグザイルのプロデューサーもしていて、というあたりで、エグザイルのCD持っている人はいますか、と問われ、学生の中から2人くらいしか手が上がらなかったのが、おもしろかった。全体で7-80人くらい学生はいたと思う。ジャズの菊地さんの講義を聴く学生は、あまりそういうのは聴かないのかもしれない。
松尾さん、前日にかなりしゃべるネタを仕込んだらしいが、菊地さんが振ってくる話がジャズ・アーティストらしくその場のインプロヴィゼーションが効いたもので、予定した4分の1もしゃべれなかったようだ。もちろん、オバマの話などもしたがったが、この日のテーマからはちょっと離れるため若干遠慮したそう。オバマ→ワシントンDC→マーヴィン・ゲイの話も用意していたという。
しかし、みんなTペイン、知ってるのだろうか。単に「スムース」と言ってそれが「スムース・ジャズ」のことってわかるのだろうか。「CDJ」だけで、説明しなくて大丈夫か? ここまでリスナー(?)置いてけぼりの番組もなかなかない。(笑) かなり、サブカルチャーっぽい、この講義自体がオルタナティヴ・カルチャーそのものであった。
ところで、僕の斜め前に座った男子学生くん。お茶のペットボトルのほかに、コンビニの袋に、とあるハコが入っていた。な、な、なんと「ギンビスのたべっ子どうぶつ」を忍ばせてるではないか。授業の途中、おもむろに、しかし、若干気を使いながら、彼は静かに蓋を開けた。もちろん僕はそれをずっと見つめた。ご存知の方はご存知かもしれないが、ハコ入りの「たべっ子どうぶつ」は、ハコの蓋を上に開けると、そこにジャンケンの「グー」「チョキ」「パー」が印刷されているのだ。いま、うちにはパーが3枚、チョキが3枚、グーが6枚ある。何がでるか?? 一時期、パーが全然でなくて、グーばっかりだったことがあるのだが。さて、その学生くん、蓋を開けると、じゃ~~ん、チョキであった。彼はこのじゃんけんカード、集めてるのかなあ…。
ESSAY>
ちょき。
松尾さんから、今度ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔(きくち・なるよし)さんが毎週慶應大学で講義をやっていて、それにゲストで呼ばれ講義をするので、マーヴィンの息抜きにいらっしゃいませんか、とのお誘いを受けた。しかも三田のキャンパスだ。これはおもしろいと思い、さっそく午後の慶應義塾に。よくよく考えてみると、僕がここを卒業したのが1978年3月なので、もう31年ぶりくらいのことになる。
随分変わったとは聞いていたが、変わったところもあれば、変わらないところもある。正門あたりの風景はまったく変わらない。講義が行われた西校舎526教室も、昔ながらの様相だ。ただ、違っていたのは、黒板の左右に大きなモニター・スクリーンがあったこと。あと、図書館や学食が新しくなっていて、今回は中には入らなかったが、かなり綺麗になっているらしい。
しかし、まず、何に驚いたかといえば、学生たちがみな一様にペットボトル、それに人によってはちょっとしたお菓子か、食べ物などを持ち込んでいたこと。たぶん僕が学生の頃の記憶では、授業中には飲食禁止というか、ありえなかったような気がする。それを見て、ああ、ドリンク買ってくればよかったなあ、と思ったのだが。まあ、今ではあちこちのカルチャー・スクールやら、記者会見とかの席上だと飲み物があって当たり前なのかもしれないが、なんか大学の授業も隔世の感があるなあ、と思った。この日はパソコンを使った映像をスクリーンに出すことはなかったが、そのあたりも時代は変わってる。もちろん、授業中、携帯をいじっている者も何人かいる。そもそも昔は携帯なんてなかったから、そんなことはありえなったが。
さて、授業のテーマは、「服は何故音楽を必要とするのか」という通年のテーマがあり、この日は松尾さんがゲストということで、彼に「ブラック・ミュージックは、大人の音楽か子供の音楽か」というテーマが与えられていたという。それにしても、菊地さん、たぶん頭の回転がめちゃくちゃく速いのだろう、それに呼応して実に早口でときどき聞き取れない部分もあった。これまでにもいろいろなゲスト(村上隆氏が来たこともあったそうだ)を呼んでいて、それらの「自由対談」は年内に単行本になるそうだ。しかし、これを文字に起こすのはマーヴィンの本を翻訳するのより大変なんではないか。(笑)
僕なんかは、オールドスクール(!)だから、授業というと先生が何かを教える、というものだと思っていたが、いまどきは、かなり違うようで、ひたすら松尾さんと菊地さんがひとつのキーワードを軸にしゃべり倒す、そこから派生する話題でもしゃべり倒すという感じでおもしろかった。『月曜ユニバース』よりも、もっと話がめちゃくちゃあちこちに飛ぶ。(笑)「これが授業なら、どこが試験に出るかは絶対、誰にもわからない」ほど話が多岐にわたる。この授業の単位は、レポート提出で全員に「優」だそうだ。これは学生には嬉しいだろう。
最初、松尾さんを紹介するときに、エグザイルのプロデューサーもしていて、というあたりで、エグザイルのCD持っている人はいますか、と問われ、学生の中から2人くらいしか手が上がらなかったのが、おもしろかった。全体で7-80人くらい学生はいたと思う。ジャズの菊地さんの講義を聴く学生は、あまりそういうのは聴かないのかもしれない。
松尾さん、前日にかなりしゃべるネタを仕込んだらしいが、菊地さんが振ってくる話がジャズ・アーティストらしくその場のインプロヴィゼーションが効いたもので、予定した4分の1もしゃべれなかったようだ。もちろん、オバマの話などもしたがったが、この日のテーマからはちょっと離れるため若干遠慮したそう。オバマ→ワシントンDC→マーヴィン・ゲイの話も用意していたという。
しかし、みんなTペイン、知ってるのだろうか。単に「スムース」と言ってそれが「スムース・ジャズ」のことってわかるのだろうか。「CDJ」だけで、説明しなくて大丈夫か? ここまでリスナー(?)置いてけぼりの番組もなかなかない。(笑) かなり、サブカルチャーっぽい、この講義自体がオルタナティヴ・カルチャーそのものであった。
ところで、僕の斜め前に座った男子学生くん。お茶のペットボトルのほかに、コンビニの袋に、とあるハコが入っていた。な、な、なんと「ギンビスのたべっ子どうぶつ」を忍ばせてるではないか。授業の途中、おもむろに、しかし、若干気を使いながら、彼は静かに蓋を開けた。もちろん僕はそれをずっと見つめた。ご存知の方はご存知かもしれないが、ハコ入りの「たべっ子どうぶつ」は、ハコの蓋を上に開けると、そこにジャンケンの「グー」「チョキ」「パー」が印刷されているのだ。いま、うちにはパーが3枚、チョキが3枚、グーが6枚ある。何がでるか?? 一時期、パーが全然でなくて、グーばっかりだったことがあるのだが。さて、その学生くん、蓋を開けると、じゃ~~ん、チョキであった。彼はこのじゃんけんカード、集めてるのかなあ…。
ESSAY>