NO.893 |
2005/01/09 (Sun) |
Stax Story: Stax Is Answers From Southern To Motown In Nothern |
---|
『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」のコーナーでは、1月9日から4回にわたってメンフィスの名門レーベル、スタックス・レコードを特集する。時間も通常の20分から30分へ拡大してのご紹介だ。 スタックス・レコードは1959年テネシー州メンフィスで、ジム・スチュワートとエステル・アクストンの2人の兄弟(正確には姉=エステルと弟=ジム)によって設立されたインディのレコード会社。設立当初は、サテライト・レコードといった。ジムは、銀行員のかたわら、カントリーが好きで自らフィードルを演奏していたが、当時、地元から登場して全米的な人気を得始めていたエルヴィス・プレスリーの成功が大いに刺激になった。 地元のDJ、フレッド・バイラーの歌を録音し、サテライトから発売。これが記念すべき第一弾となった。その後、レーベル名をスタックスと変更。このSTAXは、スチュワート(Stewart)のSTとアクストン(Axton)のAXからとった。当時は、地元のカントリー、ポップ、ソウルのアーティストなどをそれほどこだわりなく録音していた。 61年、一度地元で発売したカーラ・トーマスの「ジー・ウィズ」の発売権をメジャーのアトランティックが獲得し、全米発売したところ、全米規模でヒット。これがスタックスとしての記念すべき初ヒットとなった。 以後、このレーベルからは、マーキーズ、ルーファス・トーマス、ウィリアム・ベル、ブッカーT&ザ・MGズなど多くのアーティストが登場。そのアーティストもほとんど黒人となり、ソウル、R&B中心のレーベルになっていく。 そして、62年秋、このレーベルにひとりの天才シンガーが現れる。それがオーティス・レディングだ。彼がスタジオの余り時間に録音した「ディーズ・アームス・オブ・マイン」が62年10月にリリースされると瞬く間に大ヒット。オーティスの存在とメンフィスにある一レーベル、スタックスの存在をアメリカの音楽業界に広く知らしめることになった。 オーティスの人気に牽引されるように、スタックスからの作品は徐々に大ヒットするようになる。エディー・フロイド、ジョニー・テイラー、サム&デイヴ、アイザック・ヘイズ、メイブル・ジョン、さらに無数のローカル・アーティストたちが作品をだした。 スタックスからでるソウル・レコードは、いわゆる「スタックス・サウンド」と呼ばれ南部を中心に人気を集めるが、その特徴は、ブルースとゴスペルに根ざした黒いサウンドだった。北部のモータウンが都会的に洗練されポップになっていったのに対し、スタックス・サウンドはあくまで黒さが全面にでていた。その点で、モータウンはアメリカだけでなく、世界的に支持を受けたが、スタックスはあくまで黒人による黒人のための、黒人の音楽という意味で、世界的な広がりはモータウンほどにはなかった。 しかし、一方で、ソウル、R&B、ゴスペル、ブルースといったブラック・ミュージックの王道をリリースしてきたスタックスの存在意義は大きい。またスタックスは、地元メンフィスだけでなく、北部シカゴ、デトロイト、東部のフィラデルフィアなどのアーティストたちの作品も積極的にリリース、徐々に総合ソウル・レーベル的な存在になっていく。 スタックスは、60年代中期、メジャーのアトランティックが配給を担うことになり、ヒットを出すが、まったく予期せぬ不幸が襲う。スタックスの看板スター、オーティス・レディングが67年12月10日、飛行機事故で他界するのだ。これは同レーベルにとって計り知れぬ衝撃を与えた。 スタックスの歴史を俯瞰すると、59年からこの67年暮れまでを第一期、68年から75年までを第二期とすることができる。第一期は、まさにすべて勢いで走ってきた。だが、それ以降はそれまでと違った空気で運営されていくようになる。 (この項・続く) 「スタックス・レコード・スペシャル」は、『ソウル・ブレンズ』(日曜午後1時から5時、インターFM76.1mhz)内「ソウル・サーチン」のコーナー(午後2時から2時半)で4週間にわたってお送りします。 |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |