NO.778 |
2004/09/16 (Thu) |
Soul Shaking Performance: Michel Camilo Live |
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それにしても半端ではない。久々にライヴで圧倒された。何度か見ているミッシェル・カミロ。今回はベースにチャールス・フローレス、ドラムスにクリフ・アーモンドを従えたトリオ。毎回、素晴らしい演奏を聞かせ、見せてくれるが、今回はことのほかよかった。 前回はこの3月だったから、約半年ぶり。 http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200403/diary20040330.html それにしても、あの集中力はどこまで持続するのだろうか。例えば、一週間一日2回で、この週で12回のステージをするわけだが、そのすべてがこうなのだろうか。それとも、めりはりがあるのか。 舞台向かって右手にドラムスというリズム楽器がいる。中央にアコースティック・ベースというパーカッションがいる。そして、左手にピアノという打楽器がいた。カミロの手は、ドラムのスティックと同じだ。ピアノがいつのまにか打楽器になっていた。弾けるベース、爆発するドラムス、そして、大噴火するピアノ。鍵盤の上は嵐だけではない。雷が落ち、大地震が起き、活火山がマグマをどろどろと噴出しながら大爆発している。 カミロもほとんど鍵盤を見ない。彼は常にベース奏者とドラマーの方を見ている。目を見て演奏する様はまさにミュージシャンシップのスパークだ。 アップテンポの曲とスローの曲がほぼ交互に演奏される。ドラマーもベースもカミロとともに見事にひとつのイメージを共有している。激しく鍵盤を叩く時、手が何本にも見える極限のピアノプレイに極限のベースプレイ、そして、極限のドラムプレイ。3人がそれぞれの持ち場で息もつかせぬ究極のプレイを繰り広げる。 一曲終えるごとに、カミロは両手を合わせてお辞儀をする。彼らは楽器を演奏しているところを見せているのだが、そこに終始せず、しっかり楽曲も聴かせる。そのあたりが、見事だ。 それにしても、こんな演奏を目前で見せられたら、ピアノをたしなむ人はピアノを人前で弾けなくなってしまうのではないだろうか。キャッチフレーズができた。カミロが弾くと、普通のピアニストが引く(引っ込む)。 やはり、ステージの上に立つ人は、普通の人と同じではいけない。ずば抜けた何かを持ち、絶対に凡人では到達できないような境地にいなければならない。そして、そうした才能があふれるほんの一握りの人しかできないものに対して、真の拍手をすべきなのだ。それがステージの上に立つということなのだ。 これこそ、人からお金をとって見せられるパフォーマンスだ。久々にピアノ・トリオで魂を揺さぶられた。 ブルーノートのウェッブ http://www.bluenote.co.jp/art/20040913.html ミッシェル・カミロ・ライヴ評、2000年10月19日 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/michelle20001019.html (2004年9月15日水曜セカンド、ミッシェル・カミロ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Camilo, Michel/2004.9.15 |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |