NO.616 |
2004/04/18 (Sun) |
Frank McComb Has Memories Of When He Was 2-Year-Old |
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すっかりこの週末はフランク・マッコム・ウィークになっています。夕方フランクにインタヴューしてきました。時間はやはり30分ほどだったのですが、ひじょうにおもしろかった。この模様は、毎日新聞にライヴ評とともに書きます。 とはいうものの、インタヴューの内容は紙面ではほとんど書ききれないのでここで少しご紹介しましょう。彼の好きな作品は、例えばスティーヴィー・ワンダーの 『ファースト・フィナーレ』 、ロバータ・フラックの「キリング・ミー・ソフトリー」、ビリー・プレストンの「ナッシン・フロム・ナッシン」などなどです。でも、ちょっとまってください。彼は1970年生まれで、これらがヒットした頃というと、 『ファースト・フィナーレ』 は74年の作品で彼が4歳の時のものです。 ところが彼はそれを十代になってから、後から聞いたのではないというのです。「その時、聞いてたんだよ。僕は2歳の時からの記憶があるんだ! ほんとだよ。母親がスティーヴィーの『ファースト・フィナーレ』のアルバム、もちろん、ヴァイナルだよ、それを買ってきて、うちのレコードプレイヤーで何度も何度もかけていたのを覚えているんだ。おもしろかったのは、っていうか、今だから笑い話なんだけどね。4歳の僕は、そのレコードが回転しているのをずっと見ていた。そして、音が出てくるスピーカーの前でずっとその音楽を聴いていた。で、その歌手(スティーヴィー)は、そのスピーカーの中にいるとずっと思っていた。(笑) で、祖母に『スピーカーから彼を出してよ』なんてことを言ってたんだよ。彼女は笑っていた」 彼がダニーの声、スティーヴィーの声に似ているというのは、もはや動かしがたい事実です。では、例えば、ダニーの曲を歌うとき、彼は何を思っているのでしょうか。フランクはしばらく考えてこう答えました。「昔は、たくさんのカヴァー曲をやっていたからね。ダニーの曲を歌うとき、僕の心にあるのは、彼が僕のヴァージョンをアプリシエート(感謝、評価、理解)してくれればという希望だけだ。ダニーは34歳を迎えることができずに、33歳で死んだ。今、僕はその33歳で、今年34歳になる。(歌う時)思うんだ。彼は聴いているだろうか、ってね。そして、おもしろいことに、僕は今、そのダニーの娘であるレイラと仲がいい」 「かつて、ロックンロール・ホール・オブ・フェイム(ロックンロール殿堂)のライヴで一度レイラとダニーの作品を歌った。『ユーヴ・ガット・ア・フレンド』だ。ただ、5月に何を歌うかはまったく決まっていない。レイラが決めるからね」 さてインタヴューの最後、いつもの定番の質問をしました。「最近最後に、あなたが泣かされた曲はなんですか」 彼はしばらく考えて、「一月ほど前に、家でこの曲を聴いていて、あの頃を思い出し、泣いた」と告白したのです。それがなんと、スティーヴィーの曲だったのです。あまりの偶然にびっくりしてしまいました。そこで、その模様は木曜の『ソウル・サーチン・トーキング』でご紹介することにしました。お楽しみに。 インタヴューが終ると、彼はリハーサルに向かいました。その様子を見学することができました。彼がバンドメンバーと練習した曲は、なんとダニー・ハザウェイの「リトル・ゲットー・ボーイ」です。そう、彼が土曜に歌うと言っていた曲です。彼はドラムセットのところに行くと、こう叩くんだと、ドラマーのコーラに指示をだしました。フランクがドラムを叩くとは。それがまたけっこう、重い感じでかなりよかったのです。そして、コーラはそれをなぞる。ギターはほぼできていて、ベースとドラマーとともに、小節のきっかけのところを練習しています。何度か途中までやったり、とめたりして、徐々にその曲ができあがっていきます。 20分程度やっていたでしょうか。フランクが「じゃあ、頭から」と言ってバンドが演奏を始めました。それはまぎれもない「リトル・ゲットー・ボーイ」でした。思わず、聞き入ってしまいました。たまたま店のスタッフもおらず、一曲が終ったとき、僕とレコード会社の担当ディレクターの二人だけで大きな拍手を送りました。ミュージシャン4人が観客2人の前で演奏してみせたのです。フランクが言いました。「おお、たった二人からの拍手だ(笑)」 僕は土曜日のセットは仕事の都合で見られなかったのですが、おそらくセカンドでやったのでしょう。そして、日曜のセカンドセットでもやってくれるはずです。今度は、もっともっと多くの観客から、きっとスタンディング・オヴェーションを受けることになるでしょう。 ENT>MUSIC>INTERVIEW>McComb, Frank PS: これまで今回のライヴでは「ホワッツ・ゴーイン・オン」はやっていないようです。 |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |