NO.600 |
2004/04/02 (Fri) |
Marvin Would Be 65 Today If He'd Lived |
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4月1日は、マーヴィン・ゲイの命日です。そして4月2日はマーヴィン・ゲイの誕生日。誕生日は、1939年4月2日、命日は1984年4月1日です。今年、もし彼が生きていれば65歳です。死後20周年でもあります。 マーヴィンのライヴで印象的なもののひとつは、映像で言えば、83年3月に行われた『モータウン25』におけるピアノの弾き語りで始まる「ホワッツ・ゴーイング・オン」です。彼はその後、83年7月から小規模の全米ツアーをして、 『ミッドナイト・ラヴ』 (「セクシュアル・ヒーリング」が収録された奇跡的カンバックアルバム)に続く作品のレコーディングを始めます。 しかし、そんな新作のレコーディング中の84年4月1日に、父親の銃弾に倒れるわけです。83年7月からのライヴは、様々な音源がでていて、何種類ものライヴCDがでています。どれかがずばぬけてすばらしいということはありませんが、マーヴィンのライヴの熱さというものは充分伝わってきます。 その中で83年8月、僕はロスのグリーク・シアターで彼のライヴを見ました。このライヴは、僕の長いライヴ通い人生の中でもまちがいなくベスト5にはいる思い出のライヴです。79年9月の来日ライヴも、東京の武道館は二日通いました。もちろん初めてですから、ものすごい衝撃でした。しかし、それから約4年後にみたライヴステージは、それ以上の衝撃でした。 やはり、そこはいくらライヴ嫌い、人前にでることに対して異常に恐怖心を持っているマーヴィンでさえも、ホームにおけるライヴは、リラックスしていたのでしょう。あるいは、ホームだけに周りが気心の知れた連中ばかりだったから落ち着いていたのかもしれません。ホームだから自由に自分が欲しいドラッグなども入手できてご機嫌だったのかもしれません。 いずれにせよ、そのライヴパフォーマンスは、堂々と、完璧に自信をもってやりとげていました。そして、やはりロスの観客の熱狂振りがはんぱではありません。「セクシュアル・ヒーリング」が82年10月からヒットし、さらに、83年3月収録の『モータウン25』が83年5月に全米に放送されていましたから、彼にも圧倒的な追い風が吹いていました。 しかし、僕が一番異様に思ったのが、図体の大きいボディーガードがステージ左に立って、観客を威嚇していたことでした。なぜボディーガードが観客席を監視しているのか。その時は、まったくわかりませんでした。後に、マーヴィンは、おそらくドラッグか何かで一種の被害妄想になったりして、自分が常に誰かに襲われるという恐怖を持っていたというような話を聞きました。真意はわかりませんが、でも、遠からずといったところでしょう。後にも先にも、ボディーガードが観客を威嚇しているライヴを見たのは、これだけでした。 非常に繊細な心の持ち主であったマーヴィン。人間的には、非常に弱かったということなのでしょう。その弱さゆえに、逆に男らしさ、マッチョ的強さを必要以上にだしたこともあったのかもしれません。 では、「ホワッツ・ゴーイン・オン」でも聴きましょうか。 +++++ 以下、マーヴィン・ゲイについて触れたソウル・サーチン・ダイアリーです。 The Worst April Fool's Day Ever "There's a message in the music" "First Class Ticket To Burbank" "Sexsual Healing" on "I-Spy" Marvin's Influence Finally "Jan" was heard Marvin Gaye's Live Album: Why did he hate to perform? target=_blank>Ain't Nothing But Marvin Gaye Ed Townsend Died At 74 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |