NO.343 |
2003/08/04 (Mon) |
Whitney Will Turn 40 |
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今日のWBLSの「サンデイ・クラシック」(107.5Mhz-New York=http://www.wbls.com/)では、さかんにホイットニー・ヒューストンがかかっている。と思ったら、そう、ホイットニーは8月9日が誕生日なんですね。ちなみに生まれは1963年、昭和で言えば38年、ということはウサギ年です。 ホイットニーはデビュー前から注目されてました。83年、ポール・ジャバラ(今は亡き)のアルバムで、一曲「エターナティー」という曲をフィーチャード・シンガーとして歌うんですが、これがけっこういい曲でした。そのポールのライナーを書いたので、よく覚えてるんです。そのあと、当時の先鋭的なジャズ・ファンク・グループ、マテリアルでも一曲歌ってました。そして、翌年84年、テディー・ペンダグラスとのデュエット「ホールド・ミー」のヒットです。 84年7月に彼女に会いました。デビュー前です。ニューヨークのお隣コネチカット州にあるプロデューサー、カシーフの家に遊びに行ったときにたまたま彼女が来てたんですね。そのとき彼女が「私、日本に行ったことあるのよ。なにかの音楽祭で母親について」というのでびっくりしました。それが、ヤマハの音楽祭ですね。シシーのバックで、当時16歳のホイットニーが来ていたわけです。 この時期になると、アメリカの業界内ではかなり話題になってましたね。そして、85年2月、満を持してデビューですね。これは衝撃的でした。だけど、日本ではぜんぜん注目されなかったんですよ。日本盤が85年5月くらいにでたのかな。発売当初は。確か、デビュー・アルバムの初回出荷は2000枚程度だったはずです。 その日本盤のジャケットは、アメリカ盤と違っています。84年暮れに日本の雑誌マリークレールがいち早く現地取材をしたのですが、そのときに撮影した水着の写真をジャケットにしました。この頃、よくアメリカ盤ジャケットと日本盤のそれを変更することがありましたから、その流れですね。アメリカ盤のがホイットニーの顔のアップであんまり日本人受けしないと思ったのでしょう。 最初のシングル「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ」は、日本ではぜんぜん話題にならず、そして、続く「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ」がアメリカで大ヒットしたあたりから火が徐々につき始めました。そして、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」で完全に大ブレイクですね。 その後は、もはや歴史です。85年夏、ホイットニーのライヴをニューヘヴンだったかで見ました。ジェフリー・オズボーンの前座でした。短かったですが、まあ、よかったです。その後、ライヴ・ショウはどんどんよくなっていきますね。先の「エタニティー」という曲、彼女の初来日時にはステージで歌っていました。 ちょっと最近のホイットニーは、見るのが辛いですねえ。先日ドラッグから立ち直ったっていう告白をしたそうですが、はやく元気のいいディーヴァに戻って欲しいものです。ホイットニー今年の誕生日で、ちょうど40歳。まだ、40歳なんですからもう一花もふた花も咲かせてください。 |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |