NO.316 |
2003/07/11 (Fri) |
A Shared Imagination |
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ひとりで何かをするのではなく、何人かが共同で何かをする場合、ひとつの成果を得ようとすると、どうしても、そのみんながひとつの方向性に向かって、一丸とならないといけない。 それは、スポーツの世界でもそうだろうし、仕事でもそうだろうし、音楽を作るときもそうだろう。たとえば、テニスの場合、シングルスの試合はひたすら技術と自分と相手との戦いだが、ひとたびダブルスの試合になったら、パートナーとひとつのイメージを共有しなければならない。自分がこうでたら、パートナーはこう動く、パートナーがこう動いたら、自分はこう動く。敵がこうきたら、パートナーはこう動くので、自分はこう動く。そのイメージの共有は最大の課題だ。 テニスのダブルスは二人だが、サッカーなどは、もっともっとイメージの共有が重要だ。僕はJリーグが開幕してから、ずっと、サッカーの強い国のチームと弱いチームの差がなんなのか、わからないでいた。AというチームとBというチームが戦っていて、どっちが押しているかぐらいはわかるが、どっちが本当に強いチームなのか、というのは見ているだけではわからない。サッカーに詳しい友人にきいても、いい選手が多いと強いんじゃないの、となかなか納得できる説明はしてもらえないでいた。 だが、昨年のワールドカップで、ふと、イメージの共有度合いが強いチームが、本当に強いチームなのかな、と思った。もちろん、個人個人のレベルでうまい下手はそこそこわかる。ドリブルがうまいか下手か、パスがうまいか下手か。でも、ワールドカップクラスの選手ってみんなうまいでしょう。個人レヴェルでは。じゃあ、チームとして何が違うのだろう、って思ったとき、やはりイメージの共有度合いかな、と。 で、じゃあ、これはどうやって培えばいいのか。そこが監督の手腕なんだろう。いかに戦略を選手にわからせ、どうすればいいのか、イメージの広がりを考えさせる。まさに、ユーズ・ユア・イマジネーションの世界だ。選手たちにイメージを共有させることができれば、その監督の仕事は半分は成功だ。 そして、それはミュージシャンたちの集合体であるグループに関してもまったく同じことが言えるのだ。ブラスセクション4人を加え、ギター、ベース、ドラムス、キーボードの8人が繰り広げる音。その音楽的方向性は、音楽的イメージを共有しなければ、いいものはできない。楽器奏者であれ、ヴォーカルグループであれ、ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループであれ、それはみな同じだ。 ラリー・カールトンは、その8人の中で、じつにのびのびと楽しそうにプレイしていた。ブラスがはいることによって、よりファンキーになり、ラリーのギタープレイもブルージーさが増したような気がした。そして、なによりも8人のグループとしてのグルーヴ感が素敵だった。これは、8人がみなひとつのイメージを共有することに見事に成功していたからに他ならない。 彼がかつてクルセイダーズの一員として共有したイメージとも違い、彼がフォープレイの一員として共有したイメージとも違う。この日、この夜のメンバーたちと共有したイメージ、それがここに表現されたのだ。そして、それはサファイアの輝きだった。 【2003年7月3日木曜セカンド・東京ブルーノート】 【2003年6月30日〜7月5日東京ブルーノート】 【2003年7月17日〜7月19日横浜モーションブルー】 ラリー・カールトン&サファイア・ブルーズ・バンド http://www.bluenote.co.jp/art/20030630.html ENT>MUSIC>LIVE>CARLTON, LARRY |
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA |