NO.269
2003/05/27 (Tue)
The Song That Changed His Life
鳥肌。

DJマーヴィンが尋ねます。「なぜ、この曲を選んだんですか」 ニックが答えます。「この曲、リアルタイムで聴いてたんですよ。向こう(アメリカ)ではやっていた頃。やっぱりね、僕は、これ聴いて何十年とここまでやってきたような感じなんでね。この曲だけは、お墓に入るときもこの曲を流して欲しいな、って思って。(笑) それくらい好きです!」

『ソウル・ブレンズ』でのニックさんセレクションの2曲目は、彼のこのコメントとともに紹介されたテンプテーションズの「マイ・ガール」でした。アメリカでは1965年1月からヒットし始めたので、1947年9月29日生まれのニック岡井は、その時17歳でした。まだ青山あたりで遊んでいる頃のことでした。

そして、その曲を聴いて、ソウル、ダンスの魅力にとりつかれたニックは、大学を一年で辞め、どっぷりこちら側の世界に足を踏み入れました。以来、38年、ニックは今日まで踊り続けています。生涯一ダンサー、生涯一ソウルブラザーです。まさに「マイ・ガール」はニックの人生を変えた一曲ということになります。

ある一曲をDJなり、ラジオのパーソナリティーが紹介するとき、そこに選曲の必然性があれば、そのプレイされる曲には「かけられる意味」が生まれます。その曲は、プレイする人にとってどんな意味があるのか、あるいは、それを歌うシンガーにとってどんな意味を持った曲なのか、それを解説してプレイすれば、聞く人々もその曲をよりよく理解することができ、ときには感動することもできるのです。

今まで何千回と聞いてきた同じ曲が、それをかけるDJの一言によって、あるいは紹介されるエピソードによって、まったく違った輝きを放つことにもなるのです。そして、そのエピソードを聞いてリスナーがその曲をより好きになったとすれば、それは曲を紹介する側としても大いなる意義があるわけです。DJや音楽を紹介する者は、本来そうしたことにもっと力を注ぐべきなのですが、最近はとてもそんなことをする人が少なくなりました。それはとりもなおさず、DJたちが音楽の魅力を、リスナーに伝えていないということなのです。

だから、音楽の力が弱くなり、まあ、コピーでいいか、MP3でいいか、CD焼けばいいか、ということにつながっていくのです。もちろん、音楽の力が弱くなっているのはDJだけのせいではありません。ミュージシャン自身も弱くなっているのでしょう。

「これを聴いて、何十年とここまでやってきた」 大ヴェテラン、ニック岡井の歴史的記念すべき第一歩がテンプテーションズの「マイ・ガール」だったわけです。そして、そのエピソードを披露した彼は、見事に「マイ・ガール」にゴールドの輝きを与えたのです。

テンプテーションズの「マイ・ガール」に、その瞬間、特別な意味が付加されました。だからラジオの前の人の鳥肌が立つのも当然なのです。


Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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