Musical "Big River" Portrays Huck & Jim's Soul Searchin'

(ミュージカル『ビッグ・リバー』のライヴ評です。若干ネタばれがあります–Live Review of Musical “Big River”; Read It At Your Own Risk)

大河。

「ビッグ・リヴァー」とは、まさに文字通り大きな河のこと。ここで言う大河は、アメリカのほぼ中央を南北に走るミシシッピー川だ。この河を冒険する二人の男。一人は白人、一人は黒人。彼らが河を進む中で深める友情と、波乱万丈の物語。それがブロードウェイ・ミュージカル『ビッグ・リバー』だ。

アメリカの文豪マーク・トゥエインの人気小説『ハックルベリー・フィンの冒険』を元に書かれたもので、ミュージカル自体は85年に初演が行われた。そして、その通常版とは違い、聾者(ろうしゃ)と聴覚健常者からなる制作陣で作られているのが、今回日本にやってきたヴァージョンである。これはデフ・ウェスト・シアター・ヴァージョンの『ビッグ・リバー』で、アメリカでは2003年夏にブロードウェイで公開され高い評価を得たもの。(アメリカでは2001年に一度デフ・ウェスト・シアターで公開されたが、今回来日したのは2003年ヴァージョン)

舞台は、まだ黒人奴隷制度があった南北戦争前の1850年頃。父親の暴力から逃れるためにビッグ・リヴァーをいかだで旅しようという白人少年ハックルベリー。ハックは以前からの知り合いである黒人奴隷のジムと再会するが、彼は売りに出されてしまった妻子を取り戻しに行こうと考えていた。そこで二人でビッグ・リヴァーを下る冒険にでることにする。ジムは逃亡奴隷と間違われると大変なので、ハックの奴隷ということにしなければならない。

ハックは、暴力父親、また窮屈な養子家庭からの自由を求め、一方、ジムは奴隷制度からの自由を求めていた。二人ともにそれぞれの自由を求めての旅だった。その旅の過程でハックとジムの間に芽生えていく友情。そこにからんでくるペテン師の二人。一体どうなるのか。

舞台は作家マーク・トゥエインがナレーターとなって、自分が書き上げた小説を観客に紹介していくスタイルで語られていく。バックの大道具は本を模した形になっていて観客はあたかも絵本を見ているかのように、芝居の進展を見守ることになる。しかも、彼らはセリフを言いながら、すべて手話(英語)でも同じセリフを表現する。これには驚かされた。主人公ハックは、実際に聾者である役者タイロン・ジョルダーノが演じる。ただし彼の声はマーク・トゥエイン役のダニエル・ジェンキンスが演じている。

二部構成の物語はひじょうにわかりやすく、途中で歌われるゴスペル調の歌にも感銘を受けた。特に一部の後半で、別の逃亡した奴隷が捕らえられた時にしっとりと歌われた「ザ・クロッシング(川を渡る)」という曲は、二人の黒人シンガーが歌いすばらしかった。

また、それまで十数人で歌っていた歓喜の歌の音が一瞬消え、同じ歌詞が一瞬手話だけになり、会場に静寂が訪れたときには、ひじょうに熱いものを感じた。ミュージカルで音をなくして、感動させるなどという演出は思いもよらなかった。ハイライト・シーンのひとつだ。

歌われる楽曲に歌詞の訳がでるため、これもわかりやすく、物語にとけこんでいける。そして、いくつかの歌がとても印象に残る。ただし、字幕の位置が舞台の左右ぎりぎりにあるために、ちょっと字幕に集中してしまうと、演技を見逃してしまうことがある。ほんのもう少しでいいので舞台中側にもってくるか、あるいは、文字をもう一回り大きくできないだろうか。じゃまになるのかな。このあたりは、検討課題だと思う。

このハックルベリー・フィンは、アメリカではある種の定番中の定番の物語なのだろう。まさに古典中の古典という感じがした。アメリカ人誰もが「常識」として知っているような物語。そして、古典が持つ、永続性、継続の力に改めて感銘を受けた。

ここに語られる物語の本質は、150年を経た今も変わらない。それはジムの、ハックの自由を求める旅だ。そして、それは正しくソウル・サーチンの旅でもある。

この日は、皇室の紀子さまが観劇されていた。

ミュージカル『ビッグ・リバー』
9月28日から10月24日まで、青山劇場
http://www.big-river.jp
http://www.horipro.co.jp/ticket/kouen.cgi?Detail=44

(2004年9月28日火曜、ミュージカル『ビッグ・リバー』)

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