想い出。
首都高を横浜へ向けて横浜線を走らせていると、羽田を過ぎたあたりから、いかにも「京浜工業地帯」といった趣の景色が広がる。今日は、そこがどんよりした曇り空の下で、スモッグではないが、例えば、ロンドン郊外の工業都市や、アメリカで言えば、ピッツバーグのような煙突がたくさん立ち並び煙がもくもくとでているような地域を思わせた。降り口は東神奈川。
渋滞もなく、東神奈川まで順調に進み、降りてすぐに突き当りを左折。広い道の対向車線にはひっきりなしに大型トラックが走る。なかには、「Yナンバー」の車も行き来する。そして、大きな橋が現れると「これより先は許可なき車両の進入を禁止する」の仰々しい立て看板に、行く手を阻まれる。橋とこちら側を隔てる黄色の線は、国境線。足を一歩進めれば、そこはアメリカだ。車をユーターンさせてその橋の前に止める。目的地はこの左手のふるびれたバー、国境際にあるバー、スターダスト。
『ミッドナイト・ラヴ』の次回のソウルバー探訪がこの歴史あふれるバーだ。マスター、林さんが迎えてくれる。僕も80年代、何度か来たことがある。本当に「昭和30年代」を思わせるような、時間が止まっている空間だ。数々のテレビのロケや映画の撮影にも使われた。ミュージシャンや有名人なども多数訪れた。このスターダストは、1954年(昭和29年)にオープン。今年50年を迎える。林さんのお父さんがこのバーを開いた。アメリカの兵隊向けのバーだった。現在は二代目、弟さんと一緒にやっている。最初はとなりのポールスターとこのスターダスト、もう一店パラダイスと3軒の店をやっていた。現在は、スターダストが毎日営業、ポールスターは何かのイヴェントなどの時だけあける。パラダイスはもうなくなった。正確にはソウルバーというジャンルではないが、オールディーズの音楽がかかるバーといえばいいか。
50年前の壁紙、タバコの煙で薄汚れたイタリア製のランプ、ビニールシート風の椅子。歩くときしむフローリングの床。天井からぶるさがる何本もの浮き輪。そして、その浮き輪にマジックで書かれた無名兵士たちのサインの数々。傷も、タバコの焦げ目も残るカウンター。カウンターの小さなランプに頭を乗せて半目を開けながら寝ているみなと君。みなと君は今年14歳になるこのスターダストの猫だ。スターダストの扉を開けた瞬間、誰もが30年はタイムスリップする。
ここの名物は、80枚のシングル盤が入っているジュークボックスだ。50年代から70年代にかけてのアメリカン・ポップスのシングル盤が入っている。A1には、パット・ブーンの「砂に書いたラヴレター」が入っている。マスターのお勧めは、C6に入っているテンプテーションズの「マイ・ガール」とE6に入っているルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界(ホワット・ア・ワンダフル・ワールド)」だ。L6にはオーティスの「ドック・オブ・ザ・ベイ」が、N7にはタイムスの「ソー・マッチ・イン・ラヴ」なども入っている。ジュークボックスの曲リストを見ているだけで、次々とボタンを押したくなる。ここのジュークは今は100円で4曲だ。「昔は100円で6曲だったんですけどね、ぜんぜん自分がいれた曲がかからないので、4曲にしたんです」
ジュークボックスは、もちろん、今では製造されていない。ここに置かれているのは3台目でロック・オーラ444という機種。30年ほど前に80万円以上したという。当時としては車が一台買えるような大金だった。そして、メインテナンスをしてくれるところは、もうない。「で、メインテナンスはどうされてるんですか?」 林さんが答える。「いやあ、もうどこも直してくれないんでね。簡単なのは自分で直すんですよ。針は、何本かストックがあるんですけどね。本当に壊れたら、どうしますかねえ」
ジュークボックスに入っている曲には、おそらくそれぞれの曲に様々な想い出や物語がある。そんなひとつを披露してくれた。「あるカップルがいてね。よくここに来ていたんだ。その彼が、とても好きな曲があって、そのシングル盤が他の(店の)どこにも入っていないって言って、ここに来るといつもその曲をかけていた。あるとき、その彼女が一人だけで来ていた。で、その曲を誰かがかけたんだね。そうしたら、その曲がかかった瞬間、カウンターに座っていた彼女が泣き崩れてねえ。誰もわけなんか聞かずに、その時はスタッフみんなが一旦店をでて、彼女を一人にしたんだよ。しばらくしたら、彼女が『もう大丈夫です』ってでてきてね。あとで知ったんだけど、彼とはその時もう別れていたんだ。そんなことはこっちは知らなかったからね。まあ、そんな話だったらいくらでもあるよ」
来る客も変わった。人種も変わった。だがそのジュークボックスから流れてくる音楽は、変わらない。そこから生まれる想い出は星屑の彼方に。そして、今日の訪問が明日の想い出へ。
(続く)
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