コンサルタント。
今年一番の気温を記録したそうだ。暑い初夏の土曜日。前日に、ふと飲みの席でとあるディレクターより「ちょっときいてみてください。明日、インストアもあるんで、よかったらどうぞ」と何気なく一枚のCDを渡された。奥山みなこというシンガー。インディのフラワーレコードからでている7曲入りのミニアルバム。
聴いてみると、スティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」をカヴァーしている。ヴァイオリンをいれたシンプルなアレンジ。声は落ち着いたトーン。黒さ、ソウルっぽさはない。普通に聴いたらポップスのカヴァーと思いそう。他のオリジナル曲は、なんかこう、デモテープのような素朴な感じ。
3時から来週3日(木曜)に、原宿のブルージェイウエイで行われる杉本篤彦バンドのイヴェント、「ザ・ソウル・オブ・ギター」の打ち合わせが現地であり、初めてこのお店に入った。昔ここはバスタパスタという一時期えらく流行ったイタリアンレストランだったところ。80年代初期って、今みたいに雨後のたけのこ状態であまりおしゃれな店がなかったので、このバスタパスタなんて大流行していた。そのころの面影はまったくなく、綺麗なライヴハウスになっていた。
打ち合わせは特に支障なく進んだが、ちょうどその時今日の出演者の方がリハーサルをしていた。フェビアン・レザ・パネさんというピアニスト。僕はまったく存じ上げなかったが、母が日本人、父がインドネシア人というハーフの方。担当の方に、もしよろしければ後でいかがですか、と誘われたので、ピアノ好きの僕としては7時過ぎに戻ることにした。
来週の「ソウル・オブ・ア・ギター」は、日本のデイヴィッドTウォーカーをめざす杉本篤彦さんがバンドでソウル、R&Bのヒットばかりを演奏するという企画イヴェント。僕も一部と二部の間で軽くおしゃべりで参加します。みなさんよろしければ、ぜひどうぞ。当日売りは500円高くなるそうなので、事前予約をいただけると嬉しいということです。僕自身も少しチケットを持っていますので、ご希望の方はメールでもください。アドレスはebs@st.rim.or.jpです。詳細は5月25日付け日記へ。
さて、打ち合わせが終わり、渋谷HMVに移動。6時過ぎからその奥山みなこのインストアに。途中、駐車場入りを待っていたら、そこになんと一緒にイヴェントなどもやったことがあるM氏がふらふらと歩いている。おもわず窓をあけて「Mさ~~ん」。これこれしかじか・・・。すると、M氏もHMVに登場。
インストアは、このアルバムからの曲を中心に彼女がキーボードと歌、他にベース、ギター、コーラスの3人がバックをつけていた。僕はまだ正直音楽的方向性がわからなかったが、じっくり聴いてみて、例えばこういうのはどう、という感じは思いついた。それは、マリア・モルダー、あるいは、ローラ・ニーロの路線だ。キャロル・キングではない。イギリスのケイト・ブッシュでもない。あるいは、もっと徹底したラウンジ系か。
スティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」をちょっと期待したが、それはやらず、そのかわりバカラックの「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」を歌った。ディオンヌ・ワーウィックのヒット曲でたくさんのカヴァーがある作品だ。もちろん、ソウルファンはルーサーのヴァージョンでもなじみだが、彼女はどれを聴いたのだろうか。おそらくディオンヌ・ヴァージョンだと思われる。確かに、彼女の声はおちついていてちょっと魅力的ではある。いろいろ試行錯誤して、自分にぴったしの方向性を見つけるといいだろう。
そして、ブルージェイウェイに戻り、さきほどのピアノのフェビアン・レザ・パネを聴く。一見したところのルックスは普通の日本人と変わらない。カタカナの名前と登場した人物のギャップに少しびっくり。そんなことは音楽とは関係ない。すでに到着した時は最初のところが始まっていた。
全体的には静かなピアノ・ソロ。クラシックとポピュラーの中間的雰囲気。しいていうとかつて流行ったウィンダムヒル系のピアノといったところか。癒し系でしょうか。ひじょうにやさしいタッチでピアノを弾く。ただ全曲オリジナル曲なので、彼のピアノがうまいのか、そうでないのか判断できない。しかし、とても丁寧で、几帳面で、きめ細かい。
いくつかその曲のエピソードなどを交えて演奏に入るが、そういう話をもっとするといいと思う。もうちょっと聴きたい部分があった。例えば、第二部で演奏された「夕空のエピローグ」という曲は彼が成田から札幌に行く途中の飛行機で見た夕空がものすごく美しかったので、それを曲にした、といった。夕空を見て、どう思ったか。何を感じたのか。普通夕焼けは地上から見るが、それを雲の上から見たらどうだったのか。そうした話をすると、人々の中に夕焼けのイメージが残像として残る。そして、その残像を利用して曲を演奏すれば、その曲の記憶率が高まる、というわけだ。
昨日も書いたが、あるストーリーがあって、それにインスパイアーされて書いた曲です、という話をされてから聴くと、その曲がそういう風に聴こえてくるものだ。それは、まさに言葉のマジック、言葉の力だ。インストは歌がない部分、そういう補足があってもいいと思う。もちろん、演奏者によっては聴き手のイマジネーションを限定するからそういうのは好まない、という人もいるだろうが。ただ、一般の人向けにやる場合はそういうアプローチはひとつの方法である。
これは一般論だが、彼の演奏に限らず、ミュージシャンが演奏する音楽は、その演奏者の人となりを反映する。ということは何度も書いた。今日も、それを感じる。で、その演奏者がどのような人生を生き、何に感動し、何に感動せずに、何に喜び、何に悲しみ、何に傷ついてきたか。そうした心のひだみたいなものがたくさんあればあるほど、心の振幅が大きければ大きいほど、生まれてくる作品は劇的になるはずである。それが人間に奥行きを与え、しいては、その人間が作り出す作品に深みを与えていく。そして、結局、アーティスト、演奏者に課せられた命題は、音楽で何を表現したいのか、何をメッセージとして伝えたいのか、それをどれだけ持てるかということに尽きるのだ。
別にメッセージはいらない、リチャード・クレイダーマンでいいのか。単なるBGMでいいのか。エレヴェーター・ミュージックでいいのか、ということになる。そんなBGMの音楽を、もしやりたくないのであれば、演奏者はそこになんらかの表現性を持たなければならないのだろう。
今日の演奏を聞く限り、僕にはそれほど大きな心の振幅は感じられなかった。しかしBGMで甘んじるタイプでもない。何か表現したいものはきっとあるに違いない。ただ、僕にはまだわからなかった、というだけだ。しかし、気持ちがいい、ゆったりとした気持ちになる音楽ではあった。そして、フェビアンさんがひじょうに真面目で、几帳面できっちりした人で、いい人なんだろうなということを感じた。
以上、少し本職を離れたところでやった音楽コンサルタント、ソウルサーチャーでした。
(2004年5月29日土曜、渋谷HMV=奥山みなこ・ライヴ、原宿ブルー・ジェイ・ウェイ=フェビアン・レザ・パネ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Okuyama, Minako / Pane, Febian Reza