A Drop Of Soul : Dianne Reeves Live At Blue Note

雫(しずく)。

一曲、トリオがウォームアップ用のインストゥルメンタルをプレイしてから彼女は登場した。いかにも、ジャズトリオとそのシンガーという雰囲気。僕が見た前々回(99年4月)が内省的で、前回(2002年10月)がなにか吹っ切れてという印象だったが、果たして、今回はどのようになっているか、という興味もあった。ダイアン・リーヴスの久々のライヴ。

それにしても、完璧な発声、完璧な発音(ディクション)、完璧な歌唱。三拍子というか、すべてが揃った歌手のお手本のようなシンガーだ。こういう歌だったら、何時間でも安心して聴いていられる。歌を勉強している人、歌を真剣に歌いたい人に見せてあげたいショウだ。

2曲目を終えて、ダイアンはマイクを取り話し始めた。「日本語のふたつの言葉を教わったの。ひとつは、『建前』、もうひとつは『本音』。私は、本音が好き。私はいつでも、自分自身の本当の気持ちを歌っているわ」 ベースのソロから始まる粋な曲は、実にむずかしい曲。それはメロディーの移動が非常に難しいという意味だが、それを彼女は簡単そうに歌う。プロだ。

彼女は、CDショップでは「ジャズ・ヴォーカル」のセクションに分類されているが、いよいよそうしたジャンルを飛び越えそうな時期に来ているかもしれない。確かに、ジャズだろう。しかし、そのレパートリーには、ブルージーな曲、フォーク調のスローバラード、R&B風ファンク曲などもある。6曲目の「アイ・アム・ア・ウーマン」(題名不確実)を聴いていると、テンプテーションズの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」を思い浮かべてしまった。かと思えば、「私が4-5歳の頃、大叔母が私にずいぶんと下世話なブルーズを聴かせてくれた。私は、その危ない歌詞の意味なんかわからずに、その歌をみようみまねで歌っていた」と説明してから歌った曲はブルージーな一曲。しかし、ダイアンが歌うとあまり黒くない、というかダーティーにならない。ちょっと品よくなってしまうのだ。このあたりのアンバランスがおもしろい。

ジャズやブルーズを聴いていると、そこで歌われているものは、完璧に僕たち日本人とは違う『文化』であることを痛切に感じる。そして、だからこそ、おもしろいのだ。彼女は誇らしげに言った。「私(の中)には、力強い女性たちの伝統があります。そのスピリットは決して消すことができません。べシー・スミス、ビリー・ホリデイ、カーメン・マクレイ、サラ・ヴォーン…。(いずれも過去のジャズ界の偉人たち) 力強く彼女たちが歌うストーリーは、誰も決して否定できないのです」

彼女の歌はバックのトリオとまさに一体化している。ダイアンもある時は楽器になり、ある時はストーリーを語る語り部に変貌する。アルバム『イン・ザ・モーメント』(2000年)に収録のレナード・コーエン作の「スザンヌ」はそんなストーリーテラー、ダイアンの面目躍如の一曲だった。

彼女は、時に内省的でもあったが、時に解放的でもある。堂々とした自信があふれる。どんどんスケールが大きなシンガーになっているようだ。

いつものように最後の曲におけるメンバー紹介はメロディーに乗せて、アドリブで行う。これが何度聴いても実にかっこいい。単語が音楽になる。それは、名前という単語にメロディーが宿り、命を与えられた瞬間だ。

僕の位置から見ていると、ダイアンが口を大きく開けて歌うとき、口からでるつばが霧のようになってブルーの壁をバックに照明に照らされ光っていた。ある角度からしか見えないのだが、ダイアンの口元から出る霧が本当に薄くだが、何度も何度も垣間見られた。こんなもの見たことがなかった。もちろん、シンガーが歌う時つばが飛ぶのは何度も見たことがあったが、このように霧みたいに散っているのが不思議だった。それとも汗なのか。いや、彼女は汗はそれほどかいていなかった。わかった。あれはダイアンのソウルの雫(しずく)なのだ。

(2004年2月24日火曜・東京ブルーノート=ダイアン・リーヴス・ライヴ)

ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040223.html

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