(昨日の続き)
余韻。
ショウが始まる前スティーヴィーの兄ミルトンが、アリーナ左側にある車椅子の人たちの所へ近寄って一言、二言言葉をかわしていた。何を話したかはわからないが、なんとなくそのときの雰囲気から彼が「あなたはスティーヴィーの音楽が好きなのか」と尋ね、座っている人が「もちろん、大好きです」と答えているかのようにみえた。ただ単にeverything’s alright?(すべては大丈夫ですか)と訊いていたのかもしれない。あるいはその人たちが通訳の人を介して、彼がスティーヴィーの兄であることを知って驚いていたのかもしれない。
さいたまアリーナは、車椅子にやさしい作りになっている。確かに武道館などではあまり見かけないほどの数の車椅子が右へ左へ動いていたのが印象的だった。そして今回は観客の年齢層が多岐にわたっているのが大きな特徴だ。それこそ小学生から50代、白髪の60代までいる。コンビニエンスストアampmが冠についている影響もあるのかもしれない。
ソウルメイトSは、この一年いいこともあれば、辛いこともあったが、最後の最後をスティーヴィーのライヴで締めることができて本当によかった、と言った。すべてを洗い流すことができ、そして、新たなる一年への勇気と力をもらった。それはスティーヴィーからの少しだけ遅れてやってきた最高のクリスマスプレゼントだったのかもしれない。
アース・ファンを自認するソウルメイトLは、「アイ・ジャスト・コール・・・」は嫌いだけど、やはりこれだけのライヴを見せ付けられてしまっては改めてスティーヴィーはすばらしいと言わざるを得ない、と告白した。やはり、一曲目の「ゴールデン・レディー」には「お~~」となったと振り返る。
斜め前に10歳くらいの男の子が両親にはさまれて座っていた。後姿を見ていると、まるでスティーヴィーのように首を動かし、リズムをとる。リズム感がいい。ダンサブルな曲になると、彼は立ち上がって踊る。けっこういろいろなスティーヴィーの曲を覚えていて、一緒に歌っている。だが、「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」になると、その彼は一字一句を覚えていて、スティーヴィーと一緒に歌う。ただそれだけではない、彼の独特の節回しまでをそっくりに歌ったのだ。おそらく両親の影響でスティーヴィーが大好きになったファンの一人なのだろう。
ちょっとした時にその少年が後ろを振り返った。すると思わぬ事実を知った。彼は盲目だったのだ。彼がいつから失明しているのかは知らない。だが、スティーヴィーと同じように首を振っているのを見て改めて愕然とする。目が見えないとリズムの取り方が似てくるのか。だが、そんなことより、ひとつ確実にいえることは、スティーヴィーの音楽がまちがいなくこの少年に勇気を与えている、ということだ。
スティーヴィー・ワンダーという人物は、その音楽を通して愛と勇気を与えている。その愛は車椅子に乗る人々にも、盲目の少年にも、人生に行き詰まっている大人にも、あるいは行き詰まっていない人々にも、誰にでも平等に注がれる。あなたの愛を大事な人におくりなさい、と彼は歌う。愛は愛そのものを必要としていると歌う。その姿は一貫し変わらない。
そして、僕はこうしてライヴを思い出しながら作文を書いているだけで、その感動に再びひたることができる。彼からもらった愛の残り香ゆえだ。愛の余韻はできるだけ長く楽しみたい。
(2003年12月27日土曜=埼玉スーパーアリーナ=スティーヴィー・ワンダー・ライヴ)
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