福田一郎さん死去。
音楽評論家・福田一郎さんが9月4日都内の病院で死去した。78歳。6月に腸閉塞の手術をし、その後回復したが、このところ体調不良のため入院していた。
福田氏は1925年(大正14年)2月16日東京深川生まれ。日本大学在学中から洋楽に傾注し昭和30年代から雑誌、ラジオなどで音楽評論活動を始めた。海外取材の回数も多数で、現在もオリジナルコンフィデンス誌で毎週のコラムを執筆していた。1970年代にはTBS「パック・イン・ミュージック」、さらにFMが開局してからは、インターFM、FM横浜などでも番組を持っていた。著書に「ロックの巨人たち」「世界のロックグループ」などがある。
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ご冥福。
朝刊(5日付け)を開いてびっくりした。福田先生が昨日(9月4日)お亡くなりになったという。非常に長く活躍された方なので、誰しも福田先生の思い出のひとつやふたつはお持ちだろう。最後にお会いしたのは、数ヶ月前、インターFMの廊下あたりでばったり遭遇した。福田先生は毎週日曜の深夜に「ロック・ザ・イチロー」という番組をもたれていて、その収録でいらしていた。そのときは、元気そうに見えた。今回のニュースで6月に手術をなさったということを知ったが、お会いしたのはそれより前だったのだろう。
今年3月のグラミー賞もニューヨークからの生中継をピーター・バラカンさんと担当されていた。「ノラ・ジョーンズの大量受賞は当然だ」というようなコメントをされていた。僕も今年のノラに関しては同じように感じていたので、我が意を得たりといった感じだった。
僕が個人的によく覚えているのが、モータウンのベリー・ゴーディーの自伝『モータウン我が愛と夢』を96年に翻訳出版したときに、ポリドール(当時)のモータウン担当の高橋さんと一緒にご挨拶がてら青山でランチをしたときのことだ。福田さんは60年代にデトロイトのモータウンに行かれたときの話をしてくださった。60年代にモータウンに行ってるというのにまず驚かされた。そのとき、先生も本を書いているとおっしゃっていた。
それから4年ほどして、僕の『ソウル・サーチン』がでるときに、「おまえのほうが(本をだすのが)はやかったな」と言っていただいた。で、結局福田先生の本は未完のまま幻となるのだろうか。
福田さんは最近ライナーノーツなどをあまりお書きにならなかったが、昔のアルバムのライナーで時々先生の文章に遭遇することがある。かなり情報量があるライナーだ。よく覚えているのは、スティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』が76年に出たときのライナー、アースの『オール・ン・オール(太陽神)』が最初にでたときのライナーなど。頻繁に海外に行かれて情報収集されていたのでリアルタイムの情報をたくさんお持ちだった。
ご冥福をお祈りしたい。
ENT>OBITUARY>FUKUDA, ICHIRO