(ネタばれにならないように配慮して書きますが、これからご覧になる方は十分ご注意ください)
⊿ 【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
さよなら。
「ここを壊すということは、カーネギー・ホールを壊すようなものだ。ばかだ」と声高に主張した山下達郎さんの、その思い入れたっぷりの大阪フェスティヴァル・ホールでの最後のライヴが2008年12月28日(日)行われた。僕は、ここでライヴを見るのは初めてで、最後になる。
足を踏み入れて感じたことは、やはり、木を基調にした「いい気」のある素晴らしいホールだということ。とても品のある格調が感じられた。過去50年分の歴史の一部が廊下などに写真として貼られたりして、ホールのさよなら気分を盛り上げる。
そんな中、カラヤンとワグナー演奏会写真の間に、山下達郎・前回のライヴ写真が堂々と飾られていた。この並びを考えたのは、達郎さんライヴを初期からてがけてきた一人ソーゴーの源野さん。それぞれのミュージシャンとスタッフ、そして観客がこのフェスティヴァル・ホールに思い入れを持ち、その思い入れの塊がこの夜のライヴに乗り移ったようだった。ライヴ前にはドゥ・ワップのレコードが流れていた。
達郎さんは、アンコールの前に「小さなお願いがあります。最近はインターネットやブログですぐ情報がでますが、まだツアーも始まってまだ5分の1も終わっていません。そこのところ御配慮をお願いします」と述べた。なので、セットリストは本ツアー終了(2009年4月25日)までお預けということにする。そこでこの日だけのこと、また全体的な感想文を少し書いてみたい。
達郎さんが、このフェスティヴァル・ホールに初めて出たのが1980年5月27日のこと。以来この日で47回目の出場になった、という。ほかに大先輩方には、200回を超える人もいるとのことだが、それでも47回はかなりの数。奇しくも今回のツアーは全47本、そして、この日は9本目。
今回6年ぶりにツアーを始めた理由のひとつに、このフェスティヴァル・ホールがなくなるということがあった、という。また、もうひとつの理由として、自分のバンドのメンバーが他のミュージシャンのツアーにでていて、なかなかこちらに回ってこなかったためしびれをきらした、ということもあった。そこでドラムに24歳の小笠原拓海さん、第二キーボードに柴田俊文さんが入り新バンドが出来上がった。小笠原さんは、約2年かけて探していてやっと見つけた人材だという。「このバンドは、今までやってきた中で一番好きかもしれない」と達郎さんは言う。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード2、コーラス3、サックスという9人のバックバンドに達郎さん本人、10人がオンステージ。
一言でいえば、3時間半超のライヴを行えるそのミュージシャン力にひたすらひれ伏すという感じだ。しかも、ミディアム調、アップテンポ、スロー・バラードでさえもしっかりとしたグルーヴがある。
今回僕が一番感じたことは、歌声の力強さはさることながら、ミュージシャンを含めステージ全体を掌握するバンド・マスター、プロデューサーとしての山下達郎の姿だ。特に各ミュージシャンにそれぞれのソロ・パートを存分に与え、それぞれのミュージシャンが応えるあたり、完全にバンド・ユニットとして機能している。おそらくリハーサルでは各ミュージシャンへ細かい指示がたくさん出ているのだろう。バンドは、ニューヨークのユニット、スタッフを思わせるようなタイトさ。そしてそれを仕切る達郎さんは、まるで、プロデューサー指揮者クインシー・ジョーンズ、しかも、歌うクインシー・ジョーンズというイメージを持った。達郎さんはクインシーは好きではないかもしれないが。(笑)
また、いくら曲が進んでも、やる側も聴く側も集中が切れないところがすばらしい。実際アンコールに入るまでの2時間40分があっという間に過ぎた。
達郎ツアーに大抜擢された小笠原さん。山下洋輔バンドなどで活躍してきた彼だが、ライヴ後、一瞬話す機会がありひとつだけ質問した。「20曲以上ある曲で、どの曲が一番難しいですか」「いやあ、(その質問は)難しいなあ。全部、難しいですよ。どれも簡単ではありません。何度も聞いて覚えて、必死です」「では(ライヴを)9本やってみて、最初よりこの部分は自分はうまくできた瞬間とかあります?」「う~ん、そこまではまだ言えないですが、他の(ミュージシャンの)音が聞こえるときは、自分もうまくプレイできるような気がします。でも、まだまだです」 いやいや、スター・ドラマーの誕生だ。
達郎さんはフェスティヴァル・ホールの思い出もいくつか語ったが、「ここを始めた頃は、新年のライヴがあって、2日~4日がジュリー(沢田研二)、5と6が僕で、7~9が杉良太郎さんとなってて、その3人が並んだポスターがあったんですが、(今僕のところに)ないんですよねえ」(笑)というのがおもしろかった。
4日あったフェスの最後ということで、竹内まりやさんが登場し、フェスでの思い出を語った後、「人生の扉」と「セプテンバー」を歌い大喝采を浴びた。さらにアンコール中も2曲ほど予定にない曲が歌われ、アンコール最後の1人アカペラ曲が終り、客電がつき、「ザッツ・マイ・デザイア」が流れた。しかし、観客のスタンディング・オヴェーションは止まらず、結局達郎さんもう一度ステージに。「あんたたち、俺を殺す気か(笑)」と言って、まりやさんを伴い二人で「本当に最後の1曲」を歌った。そして、再び、「ザッツ・マイ・デザイアー」。「こんなことは、20数年前にあったくらいだ」という。18時06分に始まったライヴが本当に終わったのは21時37分だった。
達郎さんは、この日何回「フェスティヴァル・ホールの神様」と言ったことだろう。本当に、このようなホールには音楽の神様がいると思う。ニューヨークのアポロ劇場、シカゴのリーガル劇場、フィラデルフィアのアップタウン劇場、それぞれの街にある、その地のアーティストたちの血と汗と魂(ソウル)が染みついた会場。そうした会場は、ただのハコではない。そこで歌ってきた、演奏してきた何千人あるいは何万人というアーティストたちの魂のかけらがそこに一粒ずつ落ちているのだ。このフェスティヴァル・ホールもそうだろう。
50年前に当時35億円をかけて作ったホール。今ならその10倍か20倍以上の貨幣価値になるかもしれない。ホール自体の周りに隙間があることによって、ホール自体が鳴るように設計されているそうだ。現在の建築基準法ではこの建て方では建てられないという。だったらなおさら壊すな、だろう。
達郎さんもミュージシャンも、観客もこの日ほどライヴが終わらなければいいのに、と思ったことはないにちがいない。
この日、ポピュラー系アーティストのトリを飾った山下達郎。フェスティヴァル・ホールの支配人がライヴを見て、「掛け値なく今まで見たライヴの中で最高のものでした」と言ったそうだ。
さよなら、フェスティヴァル・ホールの日~
しかし、山下達郎のツアーは、あと38本続く~
⊿ 【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
さよなら。
「ここを壊すということは、カーネギー・ホールを壊すようなものだ。ばかだ」と声高に主張した山下達郎さんの、その思い入れたっぷりの大阪フェスティヴァル・ホールでの最後のライヴが2008年12月28日(日)行われた。僕は、ここでライヴを見るのは初めてで、最後になる。
足を踏み入れて感じたことは、やはり、木を基調にした「いい気」のある素晴らしいホールだということ。とても品のある格調が感じられた。過去50年分の歴史の一部が廊下などに写真として貼られたりして、ホールのさよなら気分を盛り上げる。
そんな中、カラヤンとワグナー演奏会写真の間に、山下達郎・前回のライヴ写真が堂々と飾られていた。この並びを考えたのは、達郎さんライヴを初期からてがけてきた一人ソーゴーの源野さん。それぞれのミュージシャンとスタッフ、そして観客がこのフェスティヴァル・ホールに思い入れを持ち、その思い入れの塊がこの夜のライヴに乗り移ったようだった。ライヴ前にはドゥ・ワップのレコードが流れていた。
達郎さんは、アンコールの前に「小さなお願いがあります。最近はインターネットやブログですぐ情報がでますが、まだツアーも始まってまだ5分の1も終わっていません。そこのところ御配慮をお願いします」と述べた。なので、セットリストは本ツアー終了(2009年4月25日)までお預けということにする。そこでこの日だけのこと、また全体的な感想文を少し書いてみたい。
達郎さんが、このフェスティヴァル・ホールに初めて出たのが1980年5月27日のこと。以来この日で47回目の出場になった、という。ほかに大先輩方には、200回を超える人もいるとのことだが、それでも47回はかなりの数。奇しくも今回のツアーは全47本、そして、この日は9本目。
今回6年ぶりにツアーを始めた理由のひとつに、このフェスティヴァル・ホールがなくなるということがあった、という。また、もうひとつの理由として、自分のバンドのメンバーが他のミュージシャンのツアーにでていて、なかなかこちらに回ってこなかったためしびれをきらした、ということもあった。そこでドラムに24歳の小笠原拓海さん、第二キーボードに柴田俊文さんが入り新バンドが出来上がった。小笠原さんは、約2年かけて探していてやっと見つけた人材だという。「このバンドは、今までやってきた中で一番好きかもしれない」と達郎さんは言う。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード2、コーラス3、サックスという9人のバックバンドに達郎さん本人、10人がオンステージ。
一言でいえば、3時間半超のライヴを行えるそのミュージシャン力にひたすらひれ伏すという感じだ。しかも、ミディアム調、アップテンポ、スロー・バラードでさえもしっかりとしたグルーヴがある。
今回僕が一番感じたことは、歌声の力強さはさることながら、ミュージシャンを含めステージ全体を掌握するバンド・マスター、プロデューサーとしての山下達郎の姿だ。特に各ミュージシャンにそれぞれのソロ・パートを存分に与え、それぞれのミュージシャンが応えるあたり、完全にバンド・ユニットとして機能している。おそらくリハーサルでは各ミュージシャンへ細かい指示がたくさん出ているのだろう。バンドは、ニューヨークのユニット、スタッフを思わせるようなタイトさ。そしてそれを仕切る達郎さんは、まるで、プロデューサー指揮者クインシー・ジョーンズ、しかも、歌うクインシー・ジョーンズというイメージを持った。達郎さんはクインシーは好きではないかもしれないが。(笑)
また、いくら曲が進んでも、やる側も聴く側も集中が切れないところがすばらしい。実際アンコールに入るまでの2時間40分があっという間に過ぎた。
達郎ツアーに大抜擢された小笠原さん。山下洋輔バンドなどで活躍してきた彼だが、ライヴ後、一瞬話す機会がありひとつだけ質問した。「20曲以上ある曲で、どの曲が一番難しいですか」「いやあ、(その質問は)難しいなあ。全部、難しいですよ。どれも簡単ではありません。何度も聞いて覚えて、必死です」「では(ライヴを)9本やってみて、最初よりこの部分は自分はうまくできた瞬間とかあります?」「う~ん、そこまではまだ言えないですが、他の(ミュージシャンの)音が聞こえるときは、自分もうまくプレイできるような気がします。でも、まだまだです」 いやいや、スター・ドラマーの誕生だ。
達郎さんはフェスティヴァル・ホールの思い出もいくつか語ったが、「ここを始めた頃は、新年のライヴがあって、2日~4日がジュリー(沢田研二)、5と6が僕で、7~9が杉良太郎さんとなってて、その3人が並んだポスターがあったんですが、(今僕のところに)ないんですよねえ」(笑)というのがおもしろかった。
4日あったフェスの最後ということで、竹内まりやさんが登場し、フェスでの思い出を語った後、「人生の扉」と「セプテンバー」を歌い大喝采を浴びた。さらにアンコール中も2曲ほど予定にない曲が歌われ、アンコール最後の1人アカペラ曲が終り、客電がつき、「ザッツ・マイ・デザイア」が流れた。しかし、観客のスタンディング・オヴェーションは止まらず、結局達郎さんもう一度ステージに。「あんたたち、俺を殺す気か(笑)」と言って、まりやさんを伴い二人で「本当に最後の1曲」を歌った。そして、再び、「ザッツ・マイ・デザイアー」。「こんなことは、20数年前にあったくらいだ」という。18時06分に始まったライヴが本当に終わったのは21時37分だった。
達郎さんは、この日何回「フェスティヴァル・ホールの神様」と言ったことだろう。本当に、このようなホールには音楽の神様がいると思う。ニューヨークのアポロ劇場、シカゴのリーガル劇場、フィラデルフィアのアップタウン劇場、それぞれの街にある、その地のアーティストたちの血と汗と魂(ソウル)が染みついた会場。そうした会場は、ただのハコではない。そこで歌ってきた、演奏してきた何千人あるいは何万人というアーティストたちの魂のかけらがそこに一粒ずつ落ちているのだ。このフェスティヴァル・ホールもそうだろう。
50年前に当時35億円をかけて作ったホール。今ならその10倍か20倍以上の貨幣価値になるかもしれない。ホール自体の周りに隙間があることによって、ホール自体が鳴るように設計されているそうだ。現在の建築基準法ではこの建て方では建てられないという。だったらなおさら壊すな、だろう。
達郎さんもミュージシャンも、観客もこの日ほどライヴが終わらなければいいのに、と思ったことはないにちがいない。
この日、ポピュラー系アーティストのトリを飾った山下達郎。フェスティヴァル・ホールの支配人がライヴを見て、「掛け値なく今まで見たライヴの中で最高のものでした」と言ったそうだ。
さよなら、フェスティヴァル・ホールの日~
しかし、山下達郎のツアーは、あと38本続く~
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Yamashita Tatsuro Live At Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎~素晴らしき人生】
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May 11, 2008
Yamashita Tatsuro Acoustic Mini Live @ Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎・アコースティック・ミニ・ライヴ・セットリスト】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_11.html
(2008年5月アコースティック・ミニ・ライヴ記事)
■メンバー 山下達郎2008~2009
山下達郎 (歌、ギター)
伊藤広規 (ベース)
難波弘之 (ピアノ、ローズ)
柴田俊文 (キーボード)
佐橋佳幸 (ギター)
土岐英史 (サックス)
小笠原拓海 (ドラムス)
国分友里恵 (バックヴォーカル)
佐々木久美 (バックヴォーカル)
三谷泰弘 (バックヴォーカル)
(2008年12月28日日曜、大阪フェスティヴァル・ホール=山下達郎・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yamashita, Tatsuro
2008-210
May 07, 2008
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2008-210