●【アーサ・キット、デラニー・ブラムレット死去】
訃報。
ブロードウェイなどで活躍した黒人シンガー、エンタテイナー、アーサ・キットが2008年12月25日、コネチカット州の病院で大腸がんのため死去した。81歳だった。
彼女は「セックス・キットゥン」(セクシーな子猫ちゃん)の愛称を持って、親しまれた。芸名のキットと子猫を意味するキットゥンをかけている。
アーサ・キットは1927年1月17日サウスキャロライナ州生まれ。母はチェロキーと黒人のハーフ、父はイギリスとオランダのハーフということで、さまざまな血が入った人物。また彼女は、自身がレイプされたことによって誕生したと自伝などで明かしている。1950年代から歌手として徐々に頭角を出し、いくつかのヒットを放った。その後ブロードウェイ、映画界にも進出、エンタテイナーとして知られるようになった。1960年代のテレビ映画『バットマン』第3シリーズでのキャット・ウーマンの役でも知られる。
レコード面では、1953年の「ウスカ・ダラ~ア・ターキッシュ・テール」がポップ・チャートで23位、他に「セッシ・ボン」(1953年)、「サンタ・ベイビー」(1953年=4位)などのヒットがある。また、1983年にニューヨークのストリートワイズ・レーベルからディスコ・ヒット「ホエア・イズ・マイ・マン」を出し、これがディスコ・チャートで7位を記録している。
彼女のターニング・ポイントは、1968年に当時のヴェトナム戦争に反対し、その声明をホワイトハウスの昼食会で宣言し、大きな論争を巻き起こしたとき。そのために、彼女はアメリカに居辛くなり、海外を拠点にするようになった。約10年を経て、1978年、彼女はブロードウェイに戻る。
12月25日の命日は、ご存知の通り、ジェームス・ブラウンと同じである。
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デラニー・ブラムレット死去
ロック・ギタリストで多くの作品を残してきたデラニー・ブラムレットが2008年12月27日午前5時前、ロスアンジェルスの病院で死去した。胆嚢(たんのう)の手術をした後だった。妻によるとこの7ヶ月闘病していたという。
デラニーは、1939年7月1日ミシシッピー州ポントトック生まれ。南部のR&Bに根ざしたサザンロック系のアーティストとして活動。特にデラニー&ボニーとして活躍しヒットもある。テレビの音楽番組『シンディグ』のハウス・バンドの一員となり、その頃からJJケール、レオン・ラッセルらと音楽活動をするようになる。彼がかかわった作品では、レオン・ラッセルが歌った「スーパースター」(後に、カーペンターズ、ルーサー・ヴァンドロスなどの歌でも有名)、エリック・クラプトンが録音した「レット・イット・レイン」などがある。エリック・クラプトンは、元々デラニー、ボニー&フレンズに参加し、デラニーがクラプトンのファースト・アルバムを共同プロデュースしている。その他にも、エタ・ジェームス、エルヴィン・ビショップ、ドロシー・モリソン、ステイプル・シンガーズなどの作品もプロデュースしている。
ENT>OBITUARY>Kitt, Eartha (January 17, 1927 – December 25, 2008, 81)
ENT>OBITUARY>Bramlett, Delaney (July 1, 1939 – December 27, 2008. 69)
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