▽【押阪忍氏アナウンサー生活50周年記念感謝の集い】
錚々。
まさにテレビ、アナウンサー業界の超ヴェテラン、押阪忍さんのアナウンサー生活50周年を祝う感謝の集いが2008年12月1日、新宿の京王プラザホテルで行われた。元々現在のテレビ朝日の局アナから独立。民放からのフリーアナへの第一号となり、以後在京各局で多数のレギュラー番組の司会を担当してきた。
さすがにマイクを握って50年だと集まられる方々が錚々たるメンバーばかりだ。途中で後輩、先輩らのアナウンサーが17人ほどステージに上ったが、これは圧巻。これほどのアナウンサーが一堂に会することなどめったにないだろう。壇上には左から五十音順でアナウンサーが並んだ。朝岡聡さん、生島ヒロシさん、大沢悠里さん、小倉智昭さん、梶原しげるさん、岸ユキさん、草野仁さん、佐々木信也さん、東海林のり子さん、鈴木史朗さん、鈴木治彦さん、鈴木文弥さん、高嶋秀武さん、露木茂さん、徳光和夫さん、福留功男さん、南美希子さん。そして古館さんは最初の挨拶だけで帰られたが、アナウンサー・フーズフーの様相を呈していた。みなさんお話が上手で、しかも、それぞれが押阪さんとの直接の思い出を語られるから、すぐに時が過ぎ、気がつけば、予定の進行からあっという間の30分押し。
途中で、押阪さんが登場したテレビ番組のアーカイブがスクリーンに映し出されたが、これがみなよく残っているというくらいのお宝映像が次々と出てくる。この中には1976年に押阪夫妻とそのお子さん二人(つまり、オッシーと智彦さんだ!)が登場するものや、NHKの『お笑いオンステージ』(1972年4月から1982年4月まで放送)の「減点パパ(減点ファミリー)」のコーナーなどじっくり見てみたいものが多数あった。
進行役、司会の大役はオッシーが満を持して臨んだ。ひょっとしてここ数日緊張で、胃にアナでもあいたんじゃないだろうか。心配だ。宴会場は、時間が経つにつれ超満員。人であふれた。
+++++
種。
お土産の袋の中に、押阪さんが書かれた最新の本『身につけたい美しさ~ことばしぐさ』(KKロングセラーズ)が入っていた。その中で印象に残った話があった。押阪さんはTBS系お昼のクイズ番組『ベルトクイズQ&Q』(1969年6月から1980年2月まで放送)を長く担当していたが、そこで年3回「子供大会」をやっていた。子供たちは、賞品の天体望遠鏡や自転車、テレビ、ラジカセなどを獲得するために一生懸命クイズに答える。番組が終わるとみんなで記念写真を撮り、それを出演者全員に送るというのが慣わしだった。
それから約20年後、押阪さんが講演で地方都市に行ったとき、口ひげを生やした30歳代の男の人が楽屋を訪ねてきた。するとその彼は天体望遠鏡を持った子供が写っている写真を取り出し押阪さんに見せた。「子供のころ、この番組に出たくて出たくて…、この写真は僕の最高の思い出なんです」と言ったそうだ。
テレビなどの仕事を長くされていると、本人が意識しないところで、多くの視聴者にたくさんの思い出を残しているものだ。言ってみれば知らず知らずのうちに「種を蒔き」、そうした「蒔かれた種は思い出の花を咲かせている」のだ。それはラジオでも同じだろうし、また本なども同じ。人に何かを発信するということは、常に何がしかの種を蒔いているということ。この著作を拝見し、それを50年にわたってされ続けている押阪さんは、きっとまだ本人さえ知らないたくさんの思い出の花を咲かせているに違いないと思った。
押阪さん、奥様・栗原さん、ご夫妻でこんごのさらなるご活躍をお祈りしています。
PARTY>Oshizaka, Shinobu
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