☆【元モータウン社長、ジェリー・バズビー氏死去】
元社長。
伝統的なソウル・レーベル、モータウン・レコードの1988年から1995年まで社長を務めた音楽エグゼクティヴ、ジェリー・バズビーが2008年11月4日、カリフォルニア州マリブの自宅のバスタブで死去しているのが発見された。59歳だった。
ロスアンジェルス郡検死オフィースのエド・ウィンターは、「事故か自然死だろう」と述べている。一応、検死にかけられる。
バズビーは1949年(昭和24年)5月5日ロスアンジェルス生まれ。サウスセントラル地区に育った。ロング・ビーチ・ステート・カレッジに入学、2年で中退後、「バービー人形」を生み出したことで有名なマテル・トイズという玩具会社に就職。1970年代に入り、メンフィスのスタックス・レコードのウェスト・コースト宣伝部入り。スタックスが1976年までに倒産すると、カサブランカ、アトランティック、CBS、A&Mなどのレーベルで宣伝などを担当。多くのヒットをてがけた。カサブランカ時代にはドナ・サマーや多くのディスコヒットを生み出した音楽業界人として頭角を現した。
1984年、MCAレコードのブラック・ミュージック部門のヘッド(社長)に就任、ここでブラック・ミュージックに力を入れ始めたMCAを「ブラック王国」にする。生まれたヒットは、パティー・ラベール、グラディス・ナイト、ジョディー・ワトリー、ニュー・エディション、そこから派生するボビー・ブラウン、ラルフ・トレスヴァント、ベル・ビヴ・デヴォー、ジェッツ、さらに新しい波「ニュー・ジャック・スウィング」のテディー・ライリー&ガイなど多数にのぼる。
1988年、モータウン・レコードの創始者、ベリー・ゴーディーがモータウンをMCAとボストン・ヴェンチャー社グループに6100万ドルで売却。このとき、MCAからモータウン・レーベルの社長に就任した。この時、バズビーは「アメリカのブラック・ミュージック史上において、これ以上(モータウン社長になること)の喜びはない」と興奮をコメントしていた。
ここでバズビーは、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーらに再度脚光をあびさせたり、ダイアナ・ロスを呼び戻したり、新人アーティストのボーイズ・トゥ・メン、ジョニー・ギルなどでヒットを生み出した。1990年にはR&Bチャートのベスト5をモータウン勢が独占したこともある。
1993年、MCAグループはモータウンを3億100万ドルでユニヴァーサル・グループへ売却するが、バズビーはモータウン社長の座にとどまった。
1995年、バズビーはモータウンと契約でもめ、退社。1998年、ドリームワークス入り、2001年退社。2004年にはデフ・ソウル・クラシック社長、再結成のラベル、アイズレー・ブラザースなどと契約している。その後、プロデューサーのマイク・シティー氏とともにアンブレラ・レコードを設立、ここでリリースしたカール・トーマスのCDは2007年日本でも発売された。
バズビーは1998年にカリフォルニアにおける初の黒人所有の銀行、ファンダーズ・ナショナル・バンクの有力株主となり、死去まで別のワン・ユナイテッド・バンクの役員をしていた。
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バズビーというと、やはりMCAブラックの最大の立役者。本当に多くのヒットが出た。そして、その後モータウンへ。モータウンの社長は以後もいろいろ変わるが、それでも彼が在籍していた時期にボーイズ・トゥ・メンなどがブレイクしたのだから、レコードマンとしては超優秀といっていい。
ご冥福をお祈りする。
ENT>OBITUARY>Busby, Jheryl (5/5/1949 – 11/4/2008=59)
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