◆ 【オマー(パート3)、人生を語る】
人生。
約束の時間に迎えに行くと、彼はまだ部屋にいた。ハウスホーン(館内電話)の向こうで「今すぐに降りていくよ」という。しばらくするとロビーの向こうから手を振ってきた。前日遅くまでかなり飲んでしまったので、二日酔い気味だという。車に乗り込みいざ新宿へ。ちょうどカーステレオから流れていた音に彼が興味を示した。
「誰を聴いてるんだい?」
「ボビー・ウーマックだよ」
「彼はまだ生きてるの?」
「生きてるよ。ちょうど先月でたばっかりのベスト・アルバムなんだ。ジャケットの写真は古いけどね。映画『アクロース・ザ・110ス・ストリート(110番街交差点)』は見た? 1973年の映画」
「1973年、生まれてない…。僕は若すぎる。(笑)」
「じゃあ、『ジャッキー・ブラウン』は?」
「おお、もちろん見たよ」
「そのテーマ曲もこれだ」
ジャケットの英文ライナーノーツを彼は一生懸命読んでいる。文字が小さいせいもあるが、食い入るように読んでいる。そして、そこに書かれた文から「サム・クックは殺されたのかい?」と聞いてきた。
「そうだよ、1964年の12月に、サムはパーティーで知り合った女の子をモーテルに連れ込んだ。女の子は逃げようとして、モーテルのオフィースに助けを求めた。サムがそれに気づいて、そのオフィースにおいかけてきた。モーテルの女主人が、そんなサムに恐れをなして撃ってしまったんだ」
「わお、なんという悲劇だ…」
オマーはさらに読み進み、続けて尋ねてきた。「それで、ボビーはサムの未亡人と結婚したんだって?」
「そうなんだ。とてもスキャンダルな話だろ。不思議なんだよ。そこが。サムはボビーにとって、メントゥアー(恩人)みたいなものだからね。いろいろ複雑な事情はあったんだろうけど。ほら、ボビーの歌い方は、サムそっくりだろ」
「そうか、ボビーはサムから歌い方だけでなく、女も取ったってことか…」
「ははは、オーティス・レディングは知ってるかい?」
「ああ、もちろん、知ってる」
「彼は飛行機事故で死んだんだけど、1967年の12月10日が命日だ。サムの死から3年後にね。サムは1964年の12月11日に死んでる。オーティスもサムの影響をたくさん受けたシンガーだ」
「ウ~~ム、誰でも最後は死ぬからなあ…everybody must die」
「でも、彼らは死ぬには若すぎた。たしかサムは33歳くらいで死に、オーティスは26歳くらいで死んでる」
「本当か? おおっ…。っていうことは、逆に言えば、ボビー・ウーマックはうまく生き延びてるってことだね…」
「ははは、その通りだ。『ハリー・ヒッピー』という曲は知ってるかい? ボビーの弟のことを歌った歌だ。傑作だよ。ハリーも死んでしまった」
「なんで死んだんだ?」
「ドラッグ関係のトラブルじゃなかったかな(註:と、この場では言ってしまったのだが、家に戻って確認すると、これは間違いで、ドラッグで悩んでいたのはボビーでハリーは、当時の嫉妬深いガールフレンドにナイフで刺され殺された)」
「僕が育った1970年代には、そんなこと、あちこちであったよ。両親にもそんなトラブルがあった。父は54歳で死に、母が死んだのは35歳にもなってなかった。…(しんみり)…。だけど、人生とはおもしろいものだよ。おばあちゃんが素晴らしい人でね、彼女は86歳なんだけど、まだ元気だ。彼女には6人の子供がいた。そのうちの一人が僕の父だ。おじいちゃん、つまり、おばあちゃんの夫は心臓かなにかの病気で40代で死んだ。そこで1940年代に彼女は6人の子供を育てなければなかった。僕の父は、とてもインテリジェントで強くて、賢かった」
彼が父について語るとき、ある意味、本当に目を輝かせて話す。「彼は本当にスマート(頭がよかった)だった」
「ストリート・スマート(実生活でひじょうに賢いという意味)だったってこと?」
「いや、違う。それ以上だ。彼はものすごく読書家で、何でも知っていた。知らないことはなかった。それで、とても強く、恐いものなしだ。本当に賢かったんだ。彼は自分が手に入れたいと思ったものは、結局何でも手に入れた。金が欲しいと願えば、手に入れられた。それだけの才能があったんだ。だけど、自分で進んでホームレスにもなっていた。すごく変わった男だった」
「僕のおじさん、つまりおばあちゃんの子供の一人が、若くして死んだ。おばあちゃんはものすごく悲しんだ。だけど、おもしろいことに、そのおじさんは僕そっくりなんだ。いや、僕がおじさんにそっくりなんだよ。顔、体つき、風貌。だから、神様はおばあちゃんにもうひとり息子をプレゼントしたようなものなんだ。僕の父は、よく『お前は、俺の弟にそっくりだな』って言ってた。それが人生なんだな(That’s life…)」
「特に1970年代は黒人に厳しい時代だった。ボビーのこのCDいいねえ、(自分のショーで)使いたいな。彼の音楽は、本当に『リアル・ライフ』を歌っている。歌ってることがよくわかる。ところで、なんで君は『ソウル・サーチャー』って言うんだい?」
「いつも、『ソウル・ミュージック』や、ソウルがあるものを探しているからなんだ。十代の頃からラジオでアメリカのソウル・ミュージックに親しんで、すっかり好きになったんだ。アメリカ軍の放送局で、毎日2つのソウル・ショーをやっていて、それをいつも聴いていた。ドン・トレイシー・ショウとローランド・バイナム・ショウだ」
「今でもやってるのかい?」
「いや、もうやってない」
「なるほど、それが、君の人生を変えたんだね」
「そういうことだ。君のタップは、まちがいなく『ソウル』だよ」
「サンキュー…。そうだな、僕はタップ・ダンサーというより、自分でもソウル・ダンサーだと思ってるよ。僕のダンスは、僕のソウル(魂)から生まれてる。(ダンスの)テクニックからじゃない。もちろんある程度のテクニックは知っている、教えてもいる。だけど自分がタップをするときは、そのことを忘れるようにしている。テクニックだけでやりたくないんだ。僕は『ソウル・ダンサー』(魂のダンサー)でいたいんだ」
四谷から新宿へ向かう20号線のトンネルが渋滞していた。雨は続いている。
オマーは1975年ニューヨーク生まれ。彼は自分の家族のことを少し話してくれた。お父さんは、大変頭が良く、黒人で頭が良すぎたために、トラブルに巻き込まれた。54歳で亡くなり、母も35歳より前に亡くなった。10歳かそこらで、オマーは両親がいなくなり、父方の祖母に育てられた。オマーの母はアフリカのリベリア出身で、大変貧しい生活をしていて、14歳頃まで靴を履けなかった。オマーが裸足のタップをやるのは、この母親からインスピレーションを得てのものだ。
1989年、オマーが14歳のとき、グレゴリー・ハインズ主演の映画『タップ』を見て感激し、タップをやりたいと思った。そこで、オマーは従兄弟のセヴィアンがタップをしていたことを知っていたので、セヴィアンの母親に電話をする。「僕は電話帳を引っ張り出して、セヴィアンの母親の名前を探し出し、電話したんだ。『僕は、オマー・エドワーズです』 すると母親は『もちろん、お前のことは知ってるよ、タップがやりたいなら、なんとかシアターにおいで』と言ってくれた。そこに行くと、セヴィアンが出ている(ミュージカル)『ブラック・アンド・ブルー』をやっていた。僕の(将来の)奥さんもいたんだ。それ以来、タップをやりだすようになった」
オマーは2リットルのペットボトルを持ち、それを口飲みしながら話す。「水は僕のガソリンさ!」
「オマー、君にとってのメントゥアーは誰だい?」
「僕の父が死んだ後、オル・ダラー(アメリカのシンガー、ギタリスト。1941年生まれ)が僕の前に登場した。何か、問題や悩みが出てくると僕は彼に電話して相談するんだ。僕にとってのメントゥアーだな。他にも親しいミュージシャンはいるけど、ミュージシャンは僕の人生を救ってくれている。ミュージシャンたちは、(僕が)人生についていろいろ考えるための手助けをしてくれる。そして、自分自身を知るための力になってくれる。彼らは人生の中に深く入っていく。中に…。人生とは、海のようなものだ。その中で泳いでいると、ときにサメに出会ったり、ときに鯨に出会ったりする。ときに、海面に出て息をしなければならない。人生はオーシャンだよ。無限の可能性のある海だ。ミュージシャンは世界中を旅し、いろんな文化に出会い、いろんな人たちと接する。そうして、人々のことについて学ぶ、人生はいかにシンプルかを学ぶ。ミュージシャンはそうした知恵があるんだ」
「ミュージシャンは人々とコミュニケートするのがうまい。ミュージシャンは心と体(mind, soul and body)と楽器でコミュニケートするが僕は、自分の心と魂と体すべてでコミュニケートするんだ。僕はミュージシャンのように考えるタップ・ダンサーが好きだな。多くのタップ・ダンサーは、ミュージシャンのようには考えられないんだ」
「しばらく前に、(ニューヨークの)リンカーン・センターで『フライ』という舞台をやったんだ。これは(アメリカ南部の)タスキギーにある黒人ばかりのパイロットたちの人生を描いたものだ。ミュージカルではないんだが、タップをエモーション(感情表現)のひとつとして使ってエアメン(飛行士)たちの人生を描いている」
「東京も、いつもこんなに渋滞するのかい」
「そうだね、時間帯と場所によるかな。今日は雨だから、いつもより渋滞がひどいかもしれない。でももう着くよ」
「まあ、渋滞のおかげで、君は僕の人生のことを知り、僕は君の人生のことを知ったわけだな」
「そうだね。オマー、君は本を書けばいいじゃないか」
「う~む、そうだな…。昔、詩を書いていたけどね…」
そう、渋滞のおかげで素晴らしい話が聞けた。車を駐車場にいれ、傘を取り出し、ビームスに急いだ。
(続く)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
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