●【ジョー、ケダー・マッセンバーグをステージにあげる】
裏方。
ちょうど、ステージ袖にちょっとピーボ・ブライソン似の小柄な男性がいた。なんと、彼が1997年から2004年までの約6年モータウン・レコード社長の座にいた人物、ケダー・マッセンバーグだった。日曜日に東京入りしたそうで、この日は自身のレーベルの所属アーティスト、ジョーのライヴを見に来ていた。ジョーはライヴ最後のところで、「今日はスペシャルな人物が来ています。彼は『ネオ・ソウル』という言葉を生み出し、世に広めた人です。そして、ディアンジェロやエリカ・バドゥーといったアーティストをスターにした人です」と言ってケダーをオーディエンスに紹介した。ちょっと照れながら彼はステージにあがった。
ケダーは現在ジョーとともに自身のインディ・レーベル、「563ミュージック」を設立、ジョーの新作はアメリカではこのレーベルからインディ作品として発売されている。昨年、ジョーのオープニングを担当したアルジェブラも同レーベル所属だ。
ライヴ後少しだけケダーに会った。「いや、僕はステージに上って、踊ったりする人間じゃないんだ。(笑) 言ってみれば裏方の人間だからね。日本にはディアンジェロと一緒に初めてやってきたよ」 比較的早口で、ひじょうにスマートな印象だ。いろいろなインタヴューを見ると、ケダーのアーティスト育成に関するポリシーはなかなか素晴らしい。
曰く「アーティストは、世間に出せるまでトレーニングして、一挙に世間に出す。いい音楽を作るだけでなく、メディア・トレーニングもする。それだけではない、会計のコンサルタント、音楽ビジネスのことも教える。我々はアーティストをストリート・レベルで通用するのと同時に、レコード会社の役員会などでも通用するような人間に育てるんだ。だが、今ではそういうことはメジャーのレコード会社ではほとんどできない。なぜなら、メジャーはすべて4半期ごと(3ヶ月毎)に数字が上がらないとだめだからだ」
ブルックリンに1963年ごろ生まれたケダーは、地元のハイスクールを出た後、オハイオの大学、ノース・キャロライナ大学などで学び、後者で弁護士資格を獲得。卒業後一度はペプシコ社に就職。その後1991年、大学時代からステッツアソニックのダディー・オーと組んで会社を作ったりして、音楽業界に入ってきた。1995年、ディアンジェロ、さらに1997年、エリカ・バドゥーを世に送り出し、一躍注目のミュージック・マンとなり、その後モータウン社長へ。ディアンジェロ、エリカを売り出すときに、「ネオ・ソウル」という言葉・定義を生み出し、大成功した。
ほんの瞬間、ジョーにも会えた。間近で会うジョーは実にかっこよかった。同行松尾さんが、かつてジョーと一緒に六本木のしゃぶしゃぶを食べに行ったときのことを話すと、「ああ、覚えてる、覚えてる。でも、僕はしゃぶしゃぶは食べなかったんだ」 「で、そのあと、ケンタッキー・フライド・チキンを食べたんですよね(笑)」と松尾さん。「そうそう、KFC頼んだよ(笑)」 「日本に来た回数はもうわからないな。1995年に初めて来て、年に2度くらい来ることもあるので、最低15回は下らないと思う」
ジョーにひとつだけ質問した。「あなたは、もうゴスペルは歌わないのですか。あるいは、ゴスペルの曲をレコーディングしたりはしないのですか」 すると、「僕の両親は教会で歌ってる。実は自分のレーベルでゴスペルのアーティストと契約したんだ。だからゴスペルはやるよ! たぶん来年くらいに出る」 今もアトランタに住んでいるのかと思ったら、「アトランタは20年前に出て、ずっとニュージャージーに住んでるよ。今、みんなアトランタ、アトランタだからね。その中で一緒になりたくないんだ(笑)」
October 20, 2008
Joe : More Hug & Kiss At Joe’s Live; Something In Common With Peabo Bryson
http://blog.soulsearchin.com/archives/002708.html
ジョー・今回来日・ライヴ評、セットリスト、過去記事一覧も。
ENT>MUSIC>LIVE>Joe
ENT>MUSIC>PERSON>Massenburg, Kedar
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