Norman Whitfield Dies At 67
【モータウン・サウンドの立役者、ノーマン・ホイットフィールド死去】
訃報。
モータウンで多くのヒットを放ち、プロデューサーとして一世を風靡したノーマン・ホイットフィールドが2008年9月16日午後3時半頃、ロス・アンジェルスのシーダース・サイナイ病院で糖尿病のため死去した。EURweb(電子版)などが報じた。67歳だった。(65歳説もある)
ノーマン・ジェシー・ホイットフィールドは、1941年5月12日ニューヨーク・ハーレム生まれ。(1943年説もある=この場合65歳) 家族で、カリフォルニアで行われた親類の葬式から陸路ニューヨークに戻るときに、車がデトロイトで壊れ、そのままデトロイトに住み着いたという。1960年代初期から、ノーマンはデトロイトのローカル・インディ・レーベル、セルマ・レコードに出入りするようになり、ここでリチャード・ストリートのシングルなどをプロデュース。さらに、同じ頃デトロイトのモータウン・レコードにも出入りするようになった。当初はモータウン・レコードのスタジオの雑用などから始まり、当時モータウンでバレット・ストロングの「マネー」(1960年)のバックコーラスなども録音したという。続いてA&Rマン、ミッキー・スティーヴンスのアシスタントへ。最初のきっかけは、ミッキーと共同で作った「プライド・アンド・ジョイ」(マーヴィン・ゲイの歌でヒット=1963年6月)だった。独特のサウンドで多くのアーティストをプロデュースし、社内で注目されるようになる。
その後、1966年、テンプテーションズの「エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ」をプロデュース、これが大ヒットしたことによって、以後、テンプス作品を次々とプロデュースするようになった。「テンプス=ホイットフィールド・チーム」が生み出したヒットは、「ビューティー・イズ・オンリー・スキン・ディープ」「(アイ・ノウ)アイム・ルージング・ユー」「アイ・ウィッシュ・イット・ウド・レイン」「クラウド・ナイン」「ランナウェイ・チャイルド、ランニング・ワイルド」「サイケデリック・シャック」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」など多数。彼が作り出したサウンドは、当時のロック・サウンドとも関連し、独特の「サイケデリック・ファンク」などとも呼ばれたファンキーなもの。特にテンプスのリード・シンガー、当初はデイヴィッド・ラッフィン、続いて、デニス・エドワーズの迫力ある声とあいまって、新時代のモータウン・サウンドの牽引車となった。だが、テンプスのメンバーは、ノーマンのサウンド優先の強引な録音の仕方に徐々に反発、1970年代中ごろまでに、両者は袂を分かつことになる。
1967年、彼はマーヴィン・ゲイで録音した自信作「アイ・ハード・イット・スルー・ザ・グレイプヴァイン(悲しい噂)」を録音し、モータウンの有名な「金曜日の会議」(翌週リリースするシングル盤をどれにするかを決める会議)に出すが、会議で却下され失望。しかし、同曲を改めてグラディス・ナイト&ピップスで再録音、これはなんとか会議を通過、全米リリースされると1967年10月からヒット、ソウル・チャートで6週間1位になった。だがこの曲のマーヴィン・ヴァージョンに固執したノーマンは、シングル・リリースが却下されたマーヴィンの「悲しい噂」をマーヴィンのアルバム中の1曲として入れてくれるよう懇願、1968年その望みを果たす。すると、全米のDJたちが、マーヴィンの「悲しい噂」をアルバムから「アルバム・カット」として頻繁にプレイ、ついに一般人気からモータウンはシングル・カットを余儀なくされリリース、1968年11月からヒット、ソウル・チャートではグラディス・ヴァージョンを超える7週間1位、ポップ・チャートでもマーヴィンにとって初のナンバー・ワン・ヒットとなった。
その後、レア・アース、アンディスピューテッド・トゥルース、エドウィン・スター(「ウォー」)などをてがけ、1975年、モータウンから独立、1976年、MCAで映画『カー・ウォッシュ』のサウンドトラックをてがけ、大ヒットを送り、さらに1977年、自身のレーベル、ホイットフィールド・レーベルをワーナー・ブラザース傘下で設立。もともとエドウィン・スターのバック・バンドだったローズ・ロイス、スターゲートなどのアーティストでヒットを送り出した。
しかし、モータウンを離れてからは、『カー・ウォッシュ』の大ヒット以外、主だったヒットは生まれなかった。1983年3月、カリフォルニア・パサディナでモータウン・レコード25周年記念イヴェントが行われ、テンプスやフォー・トップス、マーヴィン・ゲイらが元気なステージを見せ、さらにマイケル・ジャクソンがジャクソン5との再結成、ソロとして「ビリー・ジーン」を見せ、大きな話題を集めた。しかし、モータウン・サウンドの貢献者のひとりノーマンはここに招待されず、人知れずチケットを買い、ライヴを見ていたという。
マーヴィン・ゲイの「悲しい噂」は、2001年、グラミー賞ホール・オブ・フェイムを獲得した。また、2005年1月、ノーマンは脱税で起訴されたが、健康問題を理由に、服役せず25000ドルの罰金と半年の自宅拘束となった。近年は糖尿病を患っていた、という。
ノーマン・ホイットフィールドがてがけた主なヒット。(EURwebより)
1963: "Pride & Joy" – Marvin Gaye
1964: "Too Many Fish in the Sea" – The Marvelettes
1964: "Needle in a Haystack" – The Velvelettes
1964: "He Was Really Sayin’ Somethin’" – The Velvelettes
1964: "Girl (Why You Wanna Make Me Blue)" – The Temptations
1966: "Ain’t Too Proud to Beg" – The Temptations
1966: "Beauty Is Only Skin Deep" – The Temptations
1966: "(I Know) I’m Losing You" – The Temptations
1967: "I Heard It Through the Grapevine" – Gladys Knight & the Pips, also recorded by Marvin Gaye and Creedence Clearwater Revival
1967: "You’re My Everything" – The Temptations
1967: "I Wish It Would Rain" – The Temptations
1968: "I Could Never Love Another (After Loving You) – The Temptations
1968: "The End Of Our Road" – Gladys Knight & The Pips
1968: "Cloud Nine" – The Temptations
1969: "Friendship Train" – Gladys Knight & the Pips
1969: "Runaway Child, Running Wild" – The Temptations
1969: "Too Busy Thinking About My Baby" – Marvin Gaye
1969: "I Can’t Get Next to You" – The Temptations
1969: "Don’t Let The Joneses Get You Down" – The Temptations
1970: "You Need Love Like I Do (Don’t You)" – Gladys Knight & The Pips, also recorded by The Temptations
1970: "Psychedelic Shack" – The Temptations
1970: "Hum Along and Dance" – The Temptations (later covered by Rare Earth and The Jackson 5)
1970: "Ball of Confusion (That’s What the World Is Today)" – The Temptations
1970: "War" – Edwin Starr
1971: "Smiling Faces Sometimes" – The Undisputed Truth, originally recorded by The Temptations
1971: "Just My Imagination (Running Away with Me)" – The Temptations
1972: "Papa Was a Rollin’ Stone" – The Temptations
1973: "Masterpiece" – The Temptations
1973: "Let Your Hair Down" – The Temptations
1976: "Car Wash" – Rose Royce
1976: "I’m Going Down" – Rose Royce
1976: "I Wanna Get Next to You" – Rose Royce
1977: "Ooh Boy" – Rose Royce
1977: "Wishing on a Star" – Rose Royce
1978: "Love Don’t Live Here Anymore" – Rose Royce
EURweb:
http://www.eurweb.com/story/eur47128.cfm
ご冥福をお祈りしたい。
■ 関連書籍
『モータウン、わが愛と夢』(ベリー・ゴーディ著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492488068X/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『モータウン・ミュージック』(ネルソン・ジョージ著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152033398/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Whitfield, Norman (May 12 1941 – September 16, 2008, 67)
その後、1966年、テンプテーションズの「エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ」をプロデュース、これが大ヒットしたことによって、以後、テンプス作品を次々とプロデュースするようになった。「テンプス=ホイットフィールド・チーム」が生み出したヒットは、「ビューティー・イズ・オンリー・スキン・ディープ」「(アイ・ノウ)アイム・ルージング・ユー」「アイ・ウィッシュ・イット・ウド・レイン」「クラウド・ナイン」「ランナウェイ・チャイルド、ランニング・ワイルド」「サイケデリック・シャック」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」など多数。彼が作り出したサウンドは、当時のロック・サウンドとも関連し、独特の「サイケデリック・ファンク」などとも呼ばれたファンキーなもの。特にテンプスのリード・シンガー、当初はデイヴィッド・ラッフィン、続いて、デニス・エドワーズの迫力ある声とあいまって、新時代のモータウン・サウンドの牽引車となった。だが、テンプスのメンバーは、ノーマンのサウンド優先の強引な録音の仕方に徐々に反発、1970年代中ごろまでに、両者は袂を分かつことになる。
1967年、彼はマーヴィン・ゲイで録音した自信作「アイ・ハード・イット・スルー・ザ・グレイプヴァイン(悲しい噂)」を録音し、モータウンの有名な「金曜日の会議」(翌週リリースするシングル盤をどれにするかを決める会議)に出すが、会議で却下され失望。しかし、同曲を改めてグラディス・ナイト&ピップスで再録音、これはなんとか会議を通過、全米リリースされると1967年10月からヒット、ソウル・チャートで6週間1位になった。だがこの曲のマーヴィン・ヴァージョンに固執したノーマンは、シングル・リリースが却下されたマーヴィンの「悲しい噂」をマーヴィンのアルバム中の1曲として入れてくれるよう懇願、1968年その望みを果たす。すると、全米のDJたちが、マーヴィンの「悲しい噂」をアルバムから「アルバム・カット」として頻繁にプレイ、ついに一般人気からモータウンはシングル・カットを余儀なくされリリース、1968年11月からヒット、ソウル・チャートではグラディス・ヴァージョンを超える7週間1位、ポップ・チャートでもマーヴィンにとって初のナンバー・ワン・ヒットとなった。
その後、レア・アース、アンディスピューテッド・トゥルース、エドウィン・スター(「ウォー」)などをてがけ、1975年、モータウンから独立、1976年、MCAで映画『カー・ウォッシュ』のサウンドトラックをてがけ、大ヒットを送り、さらに1977年、自身のレーベル、ホイットフィールド・レーベルをワーナー・ブラザース傘下で設立。もともとエドウィン・スターのバック・バンドだったローズ・ロイス、スターゲートなどのアーティストでヒットを送り出した。
しかし、モータウンを離れてからは、『カー・ウォッシュ』の大ヒット以外、主だったヒットは生まれなかった。1983年3月、カリフォルニア・パサディナでモータウン・レコード25周年記念イヴェントが行われ、テンプスやフォー・トップス、マーヴィン・ゲイらが元気なステージを見せ、さらにマイケル・ジャクソンがジャクソン5との再結成、ソロとして「ビリー・ジーン」を見せ、大きな話題を集めた。しかし、モータウン・サウンドの貢献者のひとりノーマンはここに招待されず、人知れずチケットを買い、ライヴを見ていたという。
マーヴィン・ゲイの「悲しい噂」は、2001年、グラミー賞ホール・オブ・フェイムを獲得した。また、2005年1月、ノーマンは脱税で起訴されたが、健康問題を理由に、服役せず25000ドルの罰金と半年の自宅拘束となった。近年は糖尿病を患っていた、という。
ノーマン・ホイットフィールドがてがけた主なヒット。(EURwebより)
1963: "Pride & Joy" – Marvin Gaye
1964: "Too Many Fish in the Sea" – The Marvelettes
1964: "Needle in a Haystack" – The Velvelettes
1964: "He Was Really Sayin’ Somethin’" – The Velvelettes
1964: "Girl (Why You Wanna Make Me Blue)" – The Temptations
1966: "Ain’t Too Proud to Beg" – The Temptations
1966: "Beauty Is Only Skin Deep" – The Temptations
1966: "(I Know) I’m Losing You" – The Temptations
1967: "I Heard It Through the Grapevine" – Gladys Knight & the Pips, also recorded by Marvin Gaye and Creedence Clearwater Revival
1967: "You’re My Everything" – The Temptations
1967: "I Wish It Would Rain" – The Temptations
1968: "I Could Never Love Another (After Loving You) – The Temptations
1968: "The End Of Our Road" – Gladys Knight & The Pips
1968: "Cloud Nine" – The Temptations
1969: "Friendship Train" – Gladys Knight & the Pips
1969: "Runaway Child, Running Wild" – The Temptations
1969: "Too Busy Thinking About My Baby" – Marvin Gaye
1969: "I Can’t Get Next to You" – The Temptations
1969: "Don’t Let The Joneses Get You Down" – The Temptations
1970: "You Need Love Like I Do (Don’t You)" – Gladys Knight & The Pips, also recorded by The Temptations
1970: "Psychedelic Shack" – The Temptations
1970: "Hum Along and Dance" – The Temptations (later covered by Rare Earth and The Jackson 5)
1970: "Ball of Confusion (That’s What the World Is Today)" – The Temptations
1970: "War" – Edwin Starr
1971: "Smiling Faces Sometimes" – The Undisputed Truth, originally recorded by The Temptations
1971: "Just My Imagination (Running Away with Me)" – The Temptations
1972: "Papa Was a Rollin’ Stone" – The Temptations
1973: "Masterpiece" – The Temptations
1973: "Let Your Hair Down" – The Temptations
1976: "Car Wash" – Rose Royce
1976: "I’m Going Down" – Rose Royce
1976: "I Wanna Get Next to You" – Rose Royce
1977: "Ooh Boy" – Rose Royce
1977: "Wishing on a Star" – Rose Royce
1978: "Love Don’t Live Here Anymore" – Rose Royce
EURweb:
http://www.eurweb.com/story/eur47128.cfm
ご冥福をお祈りしたい。
■ 関連書籍
『モータウン、わが愛と夢』(ベリー・ゴーディ著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492488068X/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『モータウン・ミュージック』(ネルソン・ジョージ著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152033398/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Whitfield, Norman (May 12 1941 – September 16, 2008, 67)