△オリト死去

△Orito Dies At 43

【オリト死去】
急逝。
ソウル・シンガー、オリト(アーティスト表記=ORITO=本名・折戸都志郎)が2008年2月23日(土)、ツアー先の大阪のホテルで死去した。43歳だった。死因は急性心不全。
オリトは、1964年6月1日、名古屋出身。商社マンとしてサラリーマンを経験したあと、自分が好きだったソウル・ミュージックを歌いたいということで、1990年代に単身メンフィスの名門スタジオ、ハイ・レコードのロイヤル・スタジオに出向き、アル・グリーンの育ての親、ウィリー・ミッチェルに直談判。自費で3曲のデモ・テープを録音。そのデモ・テープが日本のレコード会社、ビクターの目にとまり、同社と契約。残りの作品を再びメンフィスに渡り、レコーディング、1995年6月21日、満を持してアルバム『ソウル・ジョイント』デビュー。ソウル・ファンの間でも大いに話題になった。
その後1997年5月、2作目『ソウル・フード』、1999年3作目『ロスト・アンド・ファウンド』を発表。最近はインディで活躍していた。
2008年2月22日金曜、大阪・梅田の「サード・ストーン」というお店でギタリスト、星川薫さんと元ヒューマン・ソウルのサシー・トモさんとのライヴを敢行、ライヴ後軽く食事をした後ホテルに戻り、その後他界した。23日正午からミーティングの予定があったが、待ち合わせ場所にやってこなかったため、事務所社長がホテルの部屋に確認に行ったところ、すでに死去していた、という。23日土曜は、大阪・難波の「マーヴィン」でライヴの予定があった。
すでに通夜、葬儀はそれぞれ24日(日)、25日(月)大阪で執り行った。
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追悼。
シンガー、オリトのプロジェクトは当時ビクターのディレクターで、現在渋谷でソウル・バー「モリゲン」を経営する森元さんが力を注いでデビューにいたった。そのときは、テレビの『ニュース・ステーション』でも特集され、そこではウィリー・ミッチェルのコメントも紹介されていた。1995年のことだ。そのファースト・アルバムはウィリー・ミッチェル・プロデュース、全編英語で「レッツ・ステイ・トゥゲザー」なども入っていてちょっとした衝撃だった。
最近では、NHK-FMの尾臺さんの番組『ソウル・ミュージック』のライヴなどにも出演、フル・ショウとしては2004年8月にブルース・アレーで見た。しかしなんと言っても印象的だったのは、青山のソウル・バー、OAが閉店するときのパーティーでのことだ。彼がやってきて、2-3曲歌った。そのとき、彼は泣いていた。2006年3月のことだった。(そのときの様子↓)
March 13, 2006
OA Farewell Party
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_13.html
それにしても、43歳で急逝とは。マーヴィン・ゲイ(44歳で死去)より若いではないか。ご冥福をお祈りしたい。また、ソウル関係の番組で今後追悼特集などが予定されるはずだ。
ENT>OBITUARY>Orito, 06/01/1964 – 2/23/2008, 43
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