【『チョコレート・バターミルク』ストーリー】
ご縁
27歳OLのK子は、39歳外資系サラリーマンT男に連れられてそのライヴハウスにやってきた。その日のアーティストについては何も聴かされていなかった。ライヴハウスは超満員だった。
「ものすごい人気アーティストなのね」
「ほんとだ。2年前に一度見たんだけど、そのときもこんなだったかなあ。こんなに立ち見がいるとは、席予約しておいてよかったよ」
出演者の中にK子が知っている名前はなかった。飲み物が運ばれてくると、すぐに店内は暗転し、ミュージシャンたちがステージに進んでいった。そして演奏が始まった。知らない曲だった。ステージにはところ狭しとばかりに12人がのっている。
アメリカのファンク・グループ、クール&ザ・ギャングの曲ばかりを日本人アーティストがカヴァーするという企画のライヴだった。のりのいい曲から始まり2曲目になった。
「あれ、この曲、知ってる! これ、なんていう曲だっけ?」
「え? なんで知ってるの、こんなマニアックな曲。これはたしか『チョコレート…なんとか』だよ」
セカンドセットの最後のほうになってやっと何曲か聴いたことがある曲があった。アンコールの最後の「セレブレーション」では、客は総立ちになり、踊り、腕を上げ、振りかざしていた。
「いやあ、盛り上がったねえ」
「楽しかったわ。誘ってくれて、ありがとう」 彼女は言った。
ライヴが終わって、二人は恵比寿のワインバーに赴いた。
「思い出した。『チョコレート・バターミルク』だ!」 T男は、赤ワインに口をつけた瞬間叫んだ。「ほら、2曲目でK子が、『これ、なに』って訊いた曲名さ」
「ああ、そうなんだ。それって茶色のケーキみたいなジャケットのアルバムでしょ」
「茶色は覚えてるけど、ケーキだったけな。で、なんでこの曲、知ってるの?」
「話すと長くなるわ」
「時間はたっぷりあるよ」と言いながら、ワインボトルを指差した。
「ブログのネタにしないでよね(笑)」 おもむろに彼女は話始めた。
「実はね、私が昔つきあってた人がDJやっててね、その曲のアナログ盤をずっと探してたのよ。彼はCDは、何かのコンピに入ってて持ってたのよ。でも、イヴェントでDJをやるんでどうしてもこの曲の入ったアルバムが欲しかったのね。で、この曲、覚えろ、って、CDで耳にたこができるくらい聴かされて、タイトルを覚えさせられたわ。それで渋谷中のレコード屋に一緒に行って、この曲が入ったアルバムを探した。ジャケットは、なにかの本かなんかで見てたのかな。ジャケットのデザインと曲名を覚えて、ひたすら、レコード屋で、こうやってレコードを漁ってたの」 彼女はレコードの箱から、レコードを上へひっぱりあげるしぐさをした。
「いや、でも、あれ、クールのファーストでしょ。確か、すごい高いんじゃなかったかな。あんまりないし」 昼間は外資系金融関係でばりばりに働く彼もイヴェントや誰かの誕生パーティーなどでちょっとしたDJをするので、けっこう音楽に詳しい。
「そうなの、それで何軒も行ったあとに、ファイアー通りの近くにあるレコード屋でいつものように2人で手分けしてレコードを漁ってた。で、ほとんどのレコード箱を漁って、『今日もなかったわね』って言って帰ろうとレジの前を通ろうとしたら、レジ横にどーんとこのジャケットが陳列されてたのよ。『なんだ、ここにあるじゃん』って笑った。でも、値札見てね、彼は躊躇した。確か、8800円ってついてた。忘れもしないわ。彼はDJは、やっていたけど、どんなに高くてもアナログ1枚に5000円以上は出せないっていうポリシーだったのね。それで、レジ前で呆然としてたわ。結局、その日は買わずに1日悩むことにしたのよ」
「えええっ、もしその日に売れちゃったらどうすんの? 悔やんでも悔やめないよ~~。僕だったら買っちゃうな。そこまで欲しいレコードだったら」
「そうしたら、それは縁がなかったってあきらめる、っていうのね。(笑)で、一晩中彼、悩んでたわ。『どうしよう、8800円…。高いなあ…。でも、俺が買わないと、誰か他の奴の手に渡っちゃうしなあ…』って。あんまりグチグチ言ってるんで、ちょうど12月だったから、『わたしが、クリスマス・プレゼントで買ってあげるわよ』って言ったわ。ものすごく、彼、喜んでね。それで翌日、そのレコード・ショップに行ったのよ。一目散にレジ前に行った。そうしたら、昨日飾ってあったジャケットがなくて、別のレコードが飾ってあったの。二人とも、が~~んって、ひざが抜けた感じになった。お店の人に聴くと、昨日閉店間際に売れちゃったそうなの。それで、また『チョコレート・バターミルク』を探す旅が始まったわけ」
「縁がなかったって、あきらめるんじゃないの(笑)」
「逆に燃えたみたい。矛盾してるわよね。もう、絶対に何が何でも手に入れてやるみたいな(笑) それで、その日も前に行った店なんかも何軒も回った。何日かして、彼がDJをやるイヴェントの前日になっちゃったのね。で、またレコード屋めぐりしてて、そうしたら3軒目かな、もうかなりくたくたになってたんだけど、あったのよ、奇跡的に。でも、10500円! 痛かったけど、もう迷わずに買ってあげたわ(笑)」
「それはおめでとう、というべきか…」
「そうね、おめでたいわね~。で、翌日、喜び勇んで骨董通りのそのクラブに行った。確か10時すぎだったかな。まだお客はいなかった。私は翌日学校があったんで12時までしかいられなかったんだけど、彼は最初にかけてくれたわ。それで私は言った。『もっとお客さんがいるところで、かければいいじゃない』って。そうしたら、彼は『お前のためにかけたんだよ~』って言ってくれた。本当は、お客さんがたくさんいるところでかけたかったんだろうけどね。…もう7年も前の話よ」
「そうかあ、クールのファーストね、僕も持ってるよ。どこで買ったかなあ」
食事の後、2人でT男の家に行くと、彼はさっそくクールのファーストを探し始めた。「あったあ! これだ、これ。茶色の…」
「ケーキじゃない?」
「ケーキじゃないよ」
「あら? 値札がまだついてる! やばっ、まじで~~?!」
そこには「8800円」という値段とその渋谷のレコード・ショップの名前が小さく刷り込まれたシールが貼られていた。
音楽は天下の回りもの…。
(この物語はフィクションです)
ENT>ARTIST.>Kool & The Gang
ENT>ESSAY
ご縁
27歳OLのK子は、39歳外資系サラリーマンT男に連れられてそのライヴハウスにやってきた。その日のアーティストについては何も聴かされていなかった。ライヴハウスは超満員だった。
「ものすごい人気アーティストなのね」
「ほんとだ。2年前に一度見たんだけど、そのときもこんなだったかなあ。こんなに立ち見がいるとは、席予約しておいてよかったよ」
出演者の中にK子が知っている名前はなかった。飲み物が運ばれてくると、すぐに店内は暗転し、ミュージシャンたちがステージに進んでいった。そして演奏が始まった。知らない曲だった。ステージにはところ狭しとばかりに12人がのっている。
アメリカのファンク・グループ、クール&ザ・ギャングの曲ばかりを日本人アーティストがカヴァーするという企画のライヴだった。のりのいい曲から始まり2曲目になった。
「あれ、この曲、知ってる! これ、なんていう曲だっけ?」
「え? なんで知ってるの、こんなマニアックな曲。これはたしか『チョコレート…なんとか』だよ」
セカンドセットの最後のほうになってやっと何曲か聴いたことがある曲があった。アンコールの最後の「セレブレーション」では、客は総立ちになり、踊り、腕を上げ、振りかざしていた。
「いやあ、盛り上がったねえ」
「楽しかったわ。誘ってくれて、ありがとう」 彼女は言った。
ライヴが終わって、二人は恵比寿のワインバーに赴いた。
「思い出した。『チョコレート・バターミルク』だ!」 T男は、赤ワインに口をつけた瞬間叫んだ。「ほら、2曲目でK子が、『これ、なに』って訊いた曲名さ」
「ああ、そうなんだ。それって茶色のケーキみたいなジャケットのアルバムでしょ」
「茶色は覚えてるけど、ケーキだったけな。で、なんでこの曲、知ってるの?」
「話すと長くなるわ」
「時間はたっぷりあるよ」と言いながら、ワインボトルを指差した。
「ブログのネタにしないでよね(笑)」 おもむろに彼女は話始めた。
「実はね、私が昔つきあってた人がDJやっててね、その曲のアナログ盤をずっと探してたのよ。彼はCDは、何かのコンピに入ってて持ってたのよ。でも、イヴェントでDJをやるんでどうしてもこの曲の入ったアルバムが欲しかったのね。で、この曲、覚えろ、って、CDで耳にたこができるくらい聴かされて、タイトルを覚えさせられたわ。それで渋谷中のレコード屋に一緒に行って、この曲が入ったアルバムを探した。ジャケットは、なにかの本かなんかで見てたのかな。ジャケットのデザインと曲名を覚えて、ひたすら、レコード屋で、こうやってレコードを漁ってたの」 彼女はレコードの箱から、レコードを上へひっぱりあげるしぐさをした。
「いや、でも、あれ、クールのファーストでしょ。確か、すごい高いんじゃなかったかな。あんまりないし」 昼間は外資系金融関係でばりばりに働く彼もイヴェントや誰かの誕生パーティーなどでちょっとしたDJをするので、けっこう音楽に詳しい。
「そうなの、それで何軒も行ったあとに、ファイアー通りの近くにあるレコード屋でいつものように2人で手分けしてレコードを漁ってた。で、ほとんどのレコード箱を漁って、『今日もなかったわね』って言って帰ろうとレジの前を通ろうとしたら、レジ横にどーんとこのジャケットが陳列されてたのよ。『なんだ、ここにあるじゃん』って笑った。でも、値札見てね、彼は躊躇した。確か、8800円ってついてた。忘れもしないわ。彼はDJは、やっていたけど、どんなに高くてもアナログ1枚に5000円以上は出せないっていうポリシーだったのね。それで、レジ前で呆然としてたわ。結局、その日は買わずに1日悩むことにしたのよ」
「えええっ、もしその日に売れちゃったらどうすんの? 悔やんでも悔やめないよ~~。僕だったら買っちゃうな。そこまで欲しいレコードだったら」
「そうしたら、それは縁がなかったってあきらめる、っていうのね。(笑)で、一晩中彼、悩んでたわ。『どうしよう、8800円…。高いなあ…。でも、俺が買わないと、誰か他の奴の手に渡っちゃうしなあ…』って。あんまりグチグチ言ってるんで、ちょうど12月だったから、『わたしが、クリスマス・プレゼントで買ってあげるわよ』って言ったわ。ものすごく、彼、喜んでね。それで翌日、そのレコード・ショップに行ったのよ。一目散にレジ前に行った。そうしたら、昨日飾ってあったジャケットがなくて、別のレコードが飾ってあったの。二人とも、が~~んって、ひざが抜けた感じになった。お店の人に聴くと、昨日閉店間際に売れちゃったそうなの。それで、また『チョコレート・バターミルク』を探す旅が始まったわけ」
「縁がなかったって、あきらめるんじゃないの(笑)」
「逆に燃えたみたい。矛盾してるわよね。もう、絶対に何が何でも手に入れてやるみたいな(笑) それで、その日も前に行った店なんかも何軒も回った。何日かして、彼がDJをやるイヴェントの前日になっちゃったのね。で、またレコード屋めぐりしてて、そうしたら3軒目かな、もうかなりくたくたになってたんだけど、あったのよ、奇跡的に。でも、10500円! 痛かったけど、もう迷わずに買ってあげたわ(笑)」
「それはおめでとう、というべきか…」
「そうね、おめでたいわね~。で、翌日、喜び勇んで骨董通りのそのクラブに行った。確か10時すぎだったかな。まだお客はいなかった。私は翌日学校があったんで12時までしかいられなかったんだけど、彼は最初にかけてくれたわ。それで私は言った。『もっとお客さんがいるところで、かければいいじゃない』って。そうしたら、彼は『お前のためにかけたんだよ~』って言ってくれた。本当は、お客さんがたくさんいるところでかけたかったんだろうけどね。…もう7年も前の話よ」
「そうかあ、クールのファーストね、僕も持ってるよ。どこで買ったかなあ」
食事の後、2人でT男の家に行くと、彼はさっそくクールのファーストを探し始めた。「あったあ! これだ、これ。茶色の…」
「ケーキじゃない?」
「ケーキじゃないよ」
「あら? 値札がまだついてる! やばっ、まじで~~?!」
そこには「8800円」という値段とその渋谷のレコード・ショップの名前が小さく刷り込まれたシールが貼られていた。
音楽は天下の回りもの…。
(この物語はフィクションです)
ENT>ARTIST.>Kool & The Gang
ENT>ESSAY