(映画『アバウト・シュミット』についての感想文です。それほど大々的ではありませんが、若干、ネタばれがありますので、これからご覧になる方で、中身を絶対に知りたくないかたは、充分ご注意ください)
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孤独。
66歳の男が一流の保険会社で定年を迎えた。細かい点では気に入らないこともあるが妻もいて、娘もいる一見幸せそうな男。だが、ひとたび定年になると、自分で何をしていいかわからない。主人公はジャック・ニコルソン演じるウォーレン・シュミット。会社に行っても、邪魔者扱いされ、家でも小言を言われ尊敬されず、結婚間近の娘からも煙たがられる。八方塞のシュミットは、そんなとき、テレビの宣伝で知ったフォスターペアレンツ(毎月一定の額を支払い、孤児の親代わりになるというシステム)になることを決意する。
淡々と進む日常で、妻が急死。自らの定年、妻との別れ、娘の結婚という激動が襲う中、彼は大型トレーラーで自分を見つめ直す旅にでる。妻の死後、遺品の中からシュミットの親友だった男と妻が20年以上前のことだったが、関係を持っていたことを知り激怒、待ち伏せしてパンチを食らわす。旅の途中、公衆電話からその親友のもとに電話をかけるが、相手は留守番電話だった。
シュミットはテープに吹き込む。「いろんなことがあって、今、私はソウル・サーチンの旅にでているんだ。あの件は、もう許すよ。20年以上も昔のことだからな。じゃあ、元気でな」
字幕では「いろいろ考えているんだ」というような雰囲気だったと思うが、ニコルソンの口から「ソウル・サーチン」の言葉がでてきたときには、驚いた。それまで映画のストーリーを追っているときに、「ああー、これもソウル・サーチンだなあ、まさに」と思っていたところだったので、どんぴしゃのタイミングだった。
シュミットが、養子にした子供へ手紙を出しに行く途中、ファーストフードの店にはいるシーンがある。注文をするときに、バックで流れていたのが、ホット・チョコレートの「ユー・セクシー・シング」。ほんの数十秒で、しかも、バックにかすかだったが、聞きとれた。
娘が結婚する男の母親役にキャシー・ベイツ。これがまた、個性的。
この映画『アバウト・シュミット』は、66歳の定年後、妻と死別後、娘が結婚し離れていくというあらゆる点で孤独になっていく男のソウル・サーチンの物語だ。後半じわっときて、後に深い味わいが残る映画だ。エンディング・シーンも見事にうまくまとめた。
アメリカ人は、ソウル・サーチンの意味を知っている。日本ではまだなじみがない。なんとか広めたい。でも、この言葉に「自分探し」という訳がつくのは、死ぬほどいやだ。近いニュアンスなんだが、どうも、その響きがねえ。「ソウル・サーチン」は、「ソウル・サーチン」でその意味を知ってもらいたい。
(2003年5月から全国東宝洋画系にてロードショウ)