エドウィン・スター死去
(2003年4月3日、ロンドン=東京)
AP、ロイター電などによると、「ウォー(邦題、黒い戦争)」などのヒットで知られるソウル・シンガー、エドウィン・スターが2日(水曜)、イギリス・ノッティンガムの自宅で心臓発作のため死去した。61歳だった。エドウィン・スターは前週末、ドイツでテレビ番組用収録のライヴを行ったばかりだった。
エドウィン・スターは、1942年1月21日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。本名チャールズ・ハッチャー。弟のロジャー・ハッチャーもソウル・シンガー。57年、自己のグループ、フューチャー・トーンズを結成、その後、3年間の兵役後、65年本拠をデトロイトに移し、同地のインディ・レーベル、リック・ティックと契約。リック・ティックから65年に発売された「エージェント・ダブル・オー・ソウル」がソウル・チャートで8位を記録するヒットになり、一躍人気ソウル・シンガーの仲間入りを果たした。(「エージェント・ダブル・オー・ソウル」は、「エージェント・ダブル・オー・セヴン(007のこと)」のもじり)
その後、リック・ティックがベリー・ゴーディーのモータウン・レコードに買収され、自動的にモータウン入り。69年「トゥエンティー・ファイヴ・マイルス」がソウルで6位を記録。いずれも、パンチのある男性的な歌唱で人気を集めた。
ヴェトナム戦争真っ只中の70年、モータウンのプロデューサー、ノーマン・ウィットフィールドとバレット・ストロングが書いた作品「ウォー」が全米ポップチャートでナンバー・ワンを記録。これは彼の代表曲となるだけでなく、数ある反戦歌の中でももっとも象徴的な作品になった。この曲は元々は、テンプテーションズ用に書かれ、提供されたが、その反戦的な内容がソフト路線を目指すグループに適さないとのレコード会社の判断で、エドウィン・スターにまわされた。その後もノーマンが推し進めるファンク路線の作品を歌った。
75年インディのグラナイト・レーベルに移籍、さらに、77年20世紀レーベルへ移籍。ここではディスコ路線になり、「コンタクト」(79年)、「ハッピー・レイディオ」(79年)などのヒットを放った。最近では、オールディーズを歌うショウなどに登場、また、イギリス、ヨーロッパで人気が高かったため、イギリスに本拠をおいていた。70年代に一度来日している。
また、彼の「ウォー」は、85年9月、ブルース・スプリングスティーンがライヴでカヴァーし、翌86年にヒットを記録。スプリングスティーンは今回の開戦後に行われたライヴで、この曲をコンサートの一曲目に歌った。
(吉岡正晴)
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