Music: Between The Lines Of Time And Place
“First Class Ticket To Burbank”
電撃。
1982年10月、ロス郊外バーバンク、トルーカ・レイク。
その朝、ロスの大学に留学していた彼女は、トルーカ・レイクという静かな住宅街にある一軒家のキッチンにおいてあったラジカセをいつものようにつけた。ダイニング・テーブルの上に置いたラジカセの反対側には、大きな窓があり、そこからは外の木々や隣家の垣根が見えた。彼女が姉とロスに住んだ6年間で一番気に入った家がここだった。
あわただしく学校に行く準備をしていると、その曲がラジオから流れてきた。「まさに、体の中に電流が走った感じ。体に雷が落ちたような、そんな感じだった。もっとも雷が落ちた経験はないんだけどね」と彼女は振り返る。鳥肌が立ち、涙目になり、ちょっとしたパニック状態になった。彼女はしばし、「一体これはなんなの?」という面持ちで、その小さなラジカセに見入ってしまった。
初めて聴く曲だったにもかかわらず、あたかもデジャヴーの如く、昔、どこかで聴いたことがあるように無性に懐かしく感じられた。その曲を長い間ずっと待ち焦がれていたような錯覚にさえ襲われた。本当はもう学校に行かなければならない時刻だったが、曲名とアーティスト名を聞き逃すわけにはいかなかった。DJの曲紹介が待ちきれなかった。
曲がフェードアウトされDJが言った。「『セクシュアル・ヒーリング』、マーヴィン・ゲイの新曲です!」
彼女にとっては衝撃だった。「ホワッツ・ゴーイン・オン」は知っていたが、そのマーヴィンとこの歌手が同一とは思えなかったのだ。彼女は心の中でつぶやいた。「お帰りなさい! 待ってたよ!」
遅れそうな学校に飛んでいった彼女はクラスメートに、開口一番興奮しながら尋ねた。「ねえ、聴いた? 今朝のマーヴィンの新曲?」 以後、彼女はこの曲を聴くたびに、胸がキュンと締め付けられるような思いになった。何か特別なものがあるのか、まるで黙示録の如く。
1982年10月、東京・市ヶ谷。
その曲をどこで初めて聴いたのか。それを思い出せる曲は限られる。しかし、いくつかの曲は、その曲を聴いた場所、情景を思い出すことができる。
マーヴィン・ゲイの「セクシュアル・ヒーリング」を僕が初めて聴いたのは、82年10月、市ヶ谷のCBSソニーのオフィースだった。たぶん、そのときのマーヴィンの担当者のところに行ったときに、カセットか7インチ・シングルで聞かされたのだと思う。1メートル40センチくらいの高さのロッカーの上に、普通のステレオコンポがあって、そこでプレイされた。初めて聴いたときは、「これ、デモ・テープ?」って思った。あまりに音がチープだったからだ。「いや、本物のマスターですよ」というような返事がきたと記憶する。だが、その声は紛れもなく、マーヴィンの声だった。すでに、同曲はビルボードのソウル・チャートを急上昇中だった。たぶん、登場1週目か2週目だった。瞬く間にナンバー・ワンになった。
1984年4月1日。ロスアンジェルス。
運命の日。マーヴィン、父親の銃弾に倒れ死去。享年44歳。翌日が45歳の誕生日だった。
彼女は、今、この「セクシュアル・ヒーリング」を聴くとき、嬉しさと同時に悲しさも感じる。彼女は言う。「マーヴィンには極めて世俗的な世界と、神聖な世界の狭間で苦しんだ人というイメージを持ってしまうの。そして、まちがいなく宇宙規模的な天才ね」。彼女は、マーヴィンのあの空虚な目を見つめていると、「自分の死をずっと昔から見据えていたのかな」とも思ってしまう。
マーヴィンがこの曲を歌うとき、彼女は映画『グレン・ミラー物語』のラスト・シーンと同じように、いつも感動するという。そして、マーヴィンの「ゲッタップ・ゲッタップ…」という歌声が、ラジオからでも、歩道からでも、どこかの店からでも流れてくると、今だにバーバンクの家のあの朝の情景が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。マーヴィンのこの歌声は、彼女をいつどんなときでも、瞬時にバーバンクへ旅させることができるファースト・クラスのチケットなのだ。そのチケットはまた、彼女を1982年という年にも連れていく。
音楽は時と場所の架け橋。
Music: Between The Lines Of Time And Place.