★Otis Clay Will Be Coming To Japan September
【オーティス・クレイ9月に来日】
代打満塁本塁打。
日本でも人気の高い、ブルーズ、R&B系シンガー、オーティス・クレイが9月に来日、ビルボード東京と大阪で各1日ずつライヴを行う。オーティスの来日は、2006年7月以来2年2ヶ月ぶり。1978年4月の初来日以来9度目。
1978年4月の初来日は、元々は同じくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトの来日が急遽キャンセルになりそのピンチヒッターとして来日。ところが、そのライヴがあまりに素晴らしかったことから急遽ライヴ・レコーディングまで行われ、以来、オーティス・クレイは日本で人気のソウル・シンガーとなった。また、オーティス自身も自分のことを愛してくれる日本のファン、日本のことがことのほか気に入り、以後もコンスタントに来日を重ねるようになった。日本では、オーティス・クレイのレコードやライヴから、ソウル・ミュージックの素晴らしさを知ったという人も多かった。そのライヴ・アルバムは、当時のソウル・レコードとしては異例のセールスを記録した。
オーティスは、極東の地、日本などでまさか自分のレコードがリリースされ支持されているなどとは夢にも思わず、初来日のときの関係者の手厚いもてなしぶりと日本人観客の熱い反応に感激し、以後日本を「第二の故郷」と呼んだりする。大変義理人情に厚い人物で、それまでに受けた恩は決して忘れないそうだ。
オーティスは1983年の来日時、再度ライヴ・アルバムをレコーディング。ここにサザンオールスターズの「いとしのエリー」の英語ヴァージョンが録音された。レイ・チャールズが録音するよりも、先にレコーディングしていた。
思い返せば、このピンチヒッター(代打)は、日本のソウル・シーンに満塁ホームランを放ったことになる。
+++++
義理人情。
最近、ソウル・イラストレーター江守藹氏と彼の単行本『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)をめぐっていろいろな話をしているときにも、オーティス・クレイについての話題が出た。
江守さんは1978年、赤坂に「ブーツィー」というレストラン・ディスコをオープンする。ちょうど『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響でディスコが大ブームになり始めたころで、江守さんは他店と差別化するために「レストラン・ディスコ」というコンセプトを打ち出す。ちゃんとしたイタリアンを食べられて、いいソウルで踊れる、で、時には食事をしながらライヴを見て楽しめる大人のスペース、という店だ。いまなら、ブルーノートだ、ビルボードだといくらでも食事をしながらライヴを見せる店があるが、当時はほとんどなかった。
そこで、江守さんはこの「ブーツィー」の杮落としとして、オーティス・クレイのライヴをプロモーターから一日買い上げてやることにしたのだ。もちろん、キャパ(収容人数)と値段から考えて満員になっても赤字。だが、店を広める最初の宣伝費と割り切ってオーティス・クレイのディナー・ショウを行い、大成功を収めた。
この日は、オーティスを最初から熱心に支持しサポートしてきた桜井ユタカ氏も一番前の席を買い求め応援した。そんなわけで、オーティスは自分のレコードが出たか出ないかもわからない日本で、こんなディナー・ショウが開かれたこと自体に驚き、感動した、という。これ以来、江守さんはオーティス・クレイと親しくなっていく。
それから24年の月日が流れた2002年。江守さんが渋谷で行われたオーティス・クレイのライヴに足を運んだ。ステージで、オーティスは「今、自分がこうして日本の地に来られるのは2人の男のおかげだ。それは桜井ユタカと江守藹だ」と静かに語った。そんなところで、そんな風に名前を言われるとは思ってもみなかった江守さんが大いに感激したのは言うまでもない。
オーティスは義理人情に厚いのだ。
■ オーティス・クレイ来日
2008年9月20日(土曜)ビルボード・ライヴ東京19時、21時半
2008年9月22日(月曜)ビルボード・ライヴ大阪19時、21時半
詳細はビルボード・ライヴへ
http://www.billboard-live.com/index_h.html
■ オーティス・クレイ来日履歴 (他にありましたら・ebs@st.rim.or.jpまで
お知らせください)
初来日 1978年4月11日、13日他、虎ノ門ホール
2回目 1979年3月9日他 虎ノ門久保講堂
3回目?
4回目 1983年10月、11月5日など
5回目 1991年4月15日他 川崎クラブチッタなど
6回目 1999年7月23日他 渋谷オンエアーなど (ジミー・ジョンソンらと)
7回目 2002年7月14日他 渋谷アックスなど (ビリー・ブランチ、デボラ・コールマンらと)
8回目 2006年7月23日他 ジャパン・ブルーズ&ソウル・カーニヴァル (複数アーティストとのライヴ)
9回目 2008年9月20日(土) ビルボード東京
2008年9月22日(月) ビルボード大阪
■ オーティス・クレイ過去記事
July 24, 2006
Otis Clay Live: Here Comes The Deep Soul Singer
http://blog.soulsearchin.com/archives/001159.html
前回来日ライヴ評。これがちょうど70分程度のライヴだったので、ビルボードでもこのサイズになる可能性が高い。
2002/12/18 (Wed)
Otis Clay: Soul Hero In Japan
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021218.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Clay, Otis
ENT>MUSIC>ARSTIS>Clay, Otis
代打満塁本塁打。
日本でも人気の高い、ブルーズ、R&B系シンガー、オーティス・クレイが9月に来日、ビルボード東京と大阪で各1日ずつライヴを行う。オーティスの来日は、2006年7月以来2年2ヶ月ぶり。1978年4月の初来日以来9度目。
1978年4月の初来日は、元々は同じくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトの来日が急遽キャンセルになりそのピンチヒッターとして来日。ところが、そのライヴがあまりに素晴らしかったことから急遽ライヴ・レコーディングまで行われ、以来、オーティス・クレイは日本で人気のソウル・シンガーとなった。また、オーティス自身も自分のことを愛してくれる日本のファン、日本のことがことのほか気に入り、以後もコンスタントに来日を重ねるようになった。日本では、オーティス・クレイのレコードやライヴから、ソウル・ミュージックの素晴らしさを知ったという人も多かった。そのライヴ・アルバムは、当時のソウル・レコードとしては異例のセールスを記録した。
オーティスは、極東の地、日本などでまさか自分のレコードがリリースされ支持されているなどとは夢にも思わず、初来日のときの関係者の手厚いもてなしぶりと日本人観客の熱い反応に感激し、以後日本を「第二の故郷」と呼んだりする。大変義理人情に厚い人物で、それまでに受けた恩は決して忘れないそうだ。
オーティスは1983年の来日時、再度ライヴ・アルバムをレコーディング。ここにサザンオールスターズの「いとしのエリー」の英語ヴァージョンが録音された。レイ・チャールズが録音するよりも、先にレコーディングしていた。
思い返せば、このピンチヒッター(代打)は、日本のソウル・シーンに満塁ホームランを放ったことになる。
+++++
義理人情。
最近、ソウル・イラストレーター江守藹氏と彼の単行本『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)をめぐっていろいろな話をしているときにも、オーティス・クレイについての話題が出た。
江守さんは1978年、赤坂に「ブーツィー」というレストラン・ディスコをオープンする。ちょうど『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響でディスコが大ブームになり始めたころで、江守さんは他店と差別化するために「レストラン・ディスコ」というコンセプトを打ち出す。ちゃんとしたイタリアンを食べられて、いいソウルで踊れる、で、時には食事をしながらライヴを見て楽しめる大人のスペース、という店だ。いまなら、ブルーノートだ、ビルボードだといくらでも食事をしながらライヴを見せる店があるが、当時はほとんどなかった。
そこで、江守さんはこの「ブーツィー」の杮落としとして、オーティス・クレイのライヴをプロモーターから一日買い上げてやることにしたのだ。もちろん、キャパ(収容人数)と値段から考えて満員になっても赤字。だが、店を広める最初の宣伝費と割り切ってオーティス・クレイのディナー・ショウを行い、大成功を収めた。
この日は、オーティスを最初から熱心に支持しサポートしてきた桜井ユタカ氏も一番前の席を買い求め応援した。そんなわけで、オーティスは自分のレコードが出たか出ないかもわからない日本で、こんなディナー・ショウが開かれたこと自体に驚き、感動した、という。これ以来、江守さんはオーティス・クレイと親しくなっていく。
それから24年の月日が流れた2002年。江守さんが渋谷で行われたオーティス・クレイのライヴに足を運んだ。ステージで、オーティスは「今、自分がこうして日本の地に来られるのは2人の男のおかげだ。それは桜井ユタカと江守藹だ」と静かに語った。そんなところで、そんな風に名前を言われるとは思ってもみなかった江守さんが大いに感激したのは言うまでもない。
オーティスは義理人情に厚いのだ。
■ オーティス・クレイ来日
2008年9月20日(土曜)ビルボード・ライヴ東京19時、21時半
2008年9月22日(月曜)ビルボード・ライヴ大阪19時、21時半
詳細はビルボード・ライヴへ
http://www.billboard-live.com/index_h.html
■ オーティス・クレイ来日履歴 (他にありましたら・ebs@st.rim.or.jpまで
お知らせください)
初来日 1978年4月11日、13日他、虎ノ門ホール
2回目 1979年3月9日他 虎ノ門久保講堂
3回目?
4回目 1983年10月、11月5日など
5回目 1991年4月15日他 川崎クラブチッタなど
6回目 1999年7月23日他 渋谷オンエアーなど (ジミー・ジョンソンらと)
7回目 2002年7月14日他 渋谷アックスなど (ビリー・ブランチ、デボラ・コールマンらと)
8回目 2006年7月23日他 ジャパン・ブルーズ&ソウル・カーニヴァル (複数アーティストとのライヴ)
9回目 2008年9月20日(土) ビルボード東京
2008年9月22日(月) ビルボード大阪
■ オーティス・クレイ過去記事
July 24, 2006
Otis Clay Live: Here Comes The Deep Soul Singer
http://blog.soulsearchin.com/archives/001159.html
前回来日ライヴ評。これがちょうど70分程度のライヴだったので、ビルボードでもこのサイズになる可能性が高い。
2002/12/18 (Wed)
Otis Clay: Soul Hero In Japan
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021218.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Clay, Otis
ENT>MUSIC>ARSTIS>Clay, Otis