Memories Of Mr. Brown And Mr. Katsumoto: Visiting Brown's House (Part 1)

【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート1】
自宅訪問。
勝本さんとは、ジェー ス・ブラウンが来ると必ずブラウンを追っかけて、あちこちに行った。 が、「勝本・ブラウン話」で僕にとって一番思い出深いのは、日本ではない。1996年1月、ジェー ス・ブラウンの当時の奥さん ったエイドリアンさんが亡くなった時に、勝本さんと二人で葬儀に出­するためにはるばるオーガスタまで行った時のこと 。ミスター・ブラウン­去の時に書こうと思っていたが、この機会に記憶を整理して書いてみることにする。
奥さんが亡くなってすぐに勝本さんが「吉岡くん、一緒に行こう」と言って、有無を言わさずあっという間に航空券やホテルなどを手配した。たぶん、­去を知って翌日か2日後くらいにオーガスタ行きを決めていた、と思う。あの時、葬儀の日程などどうやって調べたん ろう。僕がダニー・レイかなんかに国際電話でもしたのかな。よく覚えていない。
成田→­スアンジェルス→アトランタ→オーガスタ。けっこう時間がかかる。オーガスタと言えば、ゴルフのマスターズが有名 が、東京からは いの 。
アトランタからオーガスタは、20人も乗れないようなすごく小さな飛行機 ったと記憶する。オーガスタの飛行 はとても小さく、着陸した地点からメインビルまで普通に­いた。LAには朝に着いたが、オーガスタに着いたのは時差がLAとは3時間あるが、夜遅くなっていた。
そこからシェラトン・ホテルにチェックインするが、ここはミスター・ブラウンのオフィースのすぐ隣で、ブラウン関係者もよく打ちあわせなどで訪れる。そして、メインのレストランの一角には、ジェー ス・ブラウン専用の­があった。いつも彼はここに来ると、必ずここに座るという。他の人は座れないらしい。で、メニューにはジェー ス・ブラウンの大好物のサラダ(たぶん、シーザー・サラダみたいなもの ったと思う)があった。メニューに「ジェー ス・ブラウン・サラダ」と書いてあったかどうかは、ちょっとはっきりしない。メニューには「シーザー・サラダ」と書いてあり、通称が「ジェー ス・ブラウン・サラダ」 ったか、はっきりしない。その日は、ぐったり疲れたので、即就寝した。
葬儀は到着した翌日に、市の公会 のようなところで行われたが、ずっとダニー・レイが僕たちふたりの面倒を見てくれた。葬儀会 に行くのも、ダニーがホテルまで迎えに来てくれ、つれていってくれた。この会 には一般の人も入れた。ゴスペルのシンガーたちが何曲も­ったり、スピーチがされたりしていた。ミスター・ブラウンはずっと棺のそばに立っていた。僕たちも に従って献花した。この会 で、ハリー・ワインガー(ジェー ス・ブラウンのボックスセットを作ったポリグラ ・レコードのディレクター)とばったり会い、このためにわざわざ日本から来たというと彼はあきれたように驚いていた。
約1時間半 ろうか、その儀式が終わると遺体の入ったカスケット(棺)が外の車に乗せられ、墓地に向かった。その車列は何十台も連なっていた。その連なり方が 画のようで壮観 った。墓地につくと、また儀式があって、お祈りや­があった。そして、牧師の声とともにその棺が地­に下ろされた。アメリカでは荼毘( び)にふすということをしないらしい。このあたりで、ボビー・バードや、マーヴァ・ホイットニー、マーサ・ハイ、フレッド・トーマスらJBズの面々に会った。みな、カラフルなスーツを着ていてドレスアップしている。
僕はアメリカでの葬儀というのに初めて出­したが、日本のように黒一色ではないのが自然らしい。お別れというより、神の元への旅立ち、セレブレーション という認­のほうが強いからという説明を受けた。
その後、シェラトンに戻り、ミスター・ブラウンが関係者に食事を振舞った。70-100人くらいはいたのではない ろうか。広いレストランがブラウン関係者で埋め尽くされた。このレストランに戻ってきた にはブラウンもかなり元気になっていた。おそらく古い仲間と再会できたことがうれしかったの ろう。
ミスター・ブラウンは、まめにあちこちのテーブルに出向き、挨拶をしていた。そして、勝本さんのところに来て、ブラウンが「今日はごたごたしてゆっくり話せない。明日、時間はあるのか。私のうちに来なさい」というようなことを言った。勝本さんは、その前年、一度ブラウンの自宅に招かれていたので、今度が二度目になるが、僕はまったくの初めて。恐れ多かった。
そして、その翌日、勝本さんと僕がミスター・ブラウンの自宅に招かれたの 。ホテルに迎えに来てくれたのは、もちろんダニー・レイ った。
ホテルからミスター・ブラウンのうちまでは、約20分。シェラトンから広い国道か州道を走っていく。まもなく、大きな川があり、そこの大きな橋を渡ると、ジョージア州がサウス・­ャ­ライナ州になった。川が州境 ったの 。サウス・­ャ­ライナはこんなに近かったん 、と思った。
「そうか、たったこれ けの距離でも、州境を越えたカーチェースをすれば、管轄は地元­察ではなく、FBI(連邦­察)になるん 。きっとミスター・ブラウンは、この橋でも渡ったんじゃない ろうか」などと考えてしまった。
ほとんど対向車もなく、しばらく行くと、ダニーが横道に入っていった。横道といっても、­くない。そして、ちょっとした一角に車を進めた。ちょうど、扉のない大きな門柱のようなものの横を通って­に入ったの 。そこからジェー ス・ブラウン邸の敷地内にはいったの 。
(この 続く)
ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 – 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 – 2006.12.25

カテゴリー: OBITUARY パーマリンク