【ドン勝本氏、57で去~ング・オブ・ソウル、ダンステリア・オウナー、プデューサー】
ング。
アメリカのR&Bシンガー、「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ことジェー ス・ブラウンと30年以上にわたる親交を結び、日本のソウル・ミュージックの発展に大きく寄与し、ソウル・ミュージック、ソウル・ダンスステップの情 発信地でもある白金「ダンステリア」のオウナーであり、自らダンサー、振付師、音楽プデューサーとして活躍したドン勝本氏(本名・勝本謙次)が2007年4月19日(木曜)、午後7時08分ごろ、広尾の日赤病院で大腸がんのため去した。57 った。葬儀は、4月26日(木曜)午前11時から臨海斎 (東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は長男・勝本有輝氏。
勝本氏は、1949年(和24年)5月20日岐阜生まれ。国士舘大在から新宿のディスコなどに出入りするようになり、そこでかかっているジェー ス・ブラウンを始めとするR&B、ソウル・ミュージックにせられた。1970年 、本木のディスコ「大使館」に参 、さらに、これが店名を「エンバシー」と変更した72年 から店長に。
1973年2月、初来日したジェー ス・ブラウンのライヴを見た後、本人に会いに行き、意気投合。この時、勝本氏が当時日本でソウル・ミュージックが広まっていないと嘆いたところ、ジェー ス・ブラウンから「俺はアメリカでがんばるから、おまえは日本で(ソウル・ミュージックの普及に)がんばれ」と言われ、感動。以来、ブラウンを師、神と仰ぎ、日本でのソウル・ミュージックの普及に尽力した。
1973年に初めて渡米。アメリカでのソウル・ミュージック、ディスコ・シーンを視察、それを受け、1974年、当時横のネットワークがまったくなかった日本の全国のディスコティックを組織化。「全国ディスコ協会」を立、会長に就任した。ディスコ協会では全国にDJを派遣したり、全国規模の「ダンスコンテスト」などを多数行い、ディスコ・ヒット、ソウル・ミュージックの浸透に力を添えた。1978年、赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープン。このオウナーは細木数氏 った。同年、日本で初めてのディスコ情 誌「エクスプージョン」を発刊、ディスコからの情 を発信した。
さらにこの までに何度か渡米。アメリカにおけるソウル・シーン、ディスコ・シーンを見聞し、日本でのディスコ会を企画。1979年8月、帝国ホテルで『全国ディスコ・フォーラ (Japan Disco Forum)』を開催、アメリカから著名ディスコDJ(リッチー・リヴェラなど)を招聘し、日本におけるディスコ発展の一翼を担った。
自らダンサーとしても活躍、また、オリジナルのソウルステップなども考案、コレオグラファー(振付師)としても森高千里、つんく、モーニング娘など多くの日本人シンガーの振り付けを担当した。自らが育てたって踊れるグループ、リフ・ラフ(1984年デビュー)には、SA(のちのTRF)や、現在勝本氏の右腕として現在も多方面で活躍している矢作幸裕氏も在籍していた。
1984年、白金にディスコ「ダンステリア」をオープン。現在も営を続ける「ダンステリア」は、ソウル・ステップの総本山的在になっており、「チャ・チャ・」「ソウルCC」などのソウル・ステップをびたければ、まず、「ダンステリア」へ行け、というほどにまでなっている。「ダンステリア」では後身の指導にあたる一方、古くから伝わるソウルダンス、ソウルステップの史の生き証人として、ニック岡井氏とともに、そうしたダンスを教えている。
1990年、ドン勝本氏は、マイケル鶴岡氏、ニック岡井氏とともにダンス・ユニット「ング・オブ・ソウル」を結成。って、踊れるグループとしてメジャー・デビュー。そのライヴの模様を した 像を、ジェー ス・ブラウン本人の前で見せると、ブラウンも大喜びした。
1995年、それまでに何度も会っているジェー ス・ブラウンをオーガスタに訪た時には、ブラウン自らにブラウンゆかりの地を案内され、自宅に招かれた。その後、1996年1月のブラウンの当時の妻エイドリアンの葬儀に出、この時もジョージア州オーガスタ郊外の自宅に招かれた。
テレビ出演も「ソウル・トンネルズ」「ダンス・ダンス・ダンス」など多数。また 画『ゲッパ』(2003年)では、ダンス指導、またング・オブ・ソウルとしても出演している。
最近では、大人気となったシンガーAI(アイ)を発掘、メジャーデビューさせた。
2006年、それまでのソウル、ディスコ、ダンスの史を一冊の本にまとめ「オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス」(メディアミル、星雲社・発売)として発表している。
2006年3月、ジェー ス・ブラウンが来日した際、東京でのライヴ・ステージでブラウンに呼び出され1曲踊ったのが、奇しくも、ブラウンのそして、勝本氏の最後のステージとなってしまった。ジェー ス・ブラウンは、彼のことを「ング・オブ・ソウル、ドン勝本、35年来の友人」と人々に紹介する。
2006年12月31日、勝本氏はインターF『ソウル・ブレンズ』でジェー ス・ブラウン(2006年12月25日去)の追悼特集をしたときにゲストで登 。ブラウンについて多くを語った。これも最後のラジオ出演となった。
2週間ほど前から体調が悪くなり広尾の病院に入院。火曜日(17日)個室に移り、木曜(19日)に容態が急変し、19日午後7時過ぎ、家族、多くの仲間に看取られながら息を引き取った。
ご冥福をお祈りする。
(あまりに近い仲間である勝本さんについての個人的な思い出は後日、ゆっくり書きます。しばらく時間をく さい=吉岡晴)
訃 記事(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070420-00000003-mai-peo
ドン勝本氏関連サイト。ダンステリアのウェッブ
http://www1.ocn.ne.jp/~danteri/main.htm
July 16, 2006
“All About Soul Disco Dance”: Book Is Released
【ソウル・ステップ・ダンスの踊り方教則本・発売】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001144.html
ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 – 2007.4.19 (57)
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