Erma Franklin's birthday

誕生年。

フランクリンといえば、アレサですね。アレサ・フランクリン。クイーン・オブ・ソウル。ソウルの女王です。60年代からたくさんのヒットを放って、大変な人気を獲得しました。グラミーの常連でもあります。

そんなアレサは、これまで3人姉妹のひとりで、長女と言われていました。アレサは1942年生まれ。そして、彼女には43年生まれのアーマと、44年生まれのキャロリンがいたというのが、一般的に知られている情報でした。

先日来、この日記で書いている「レディー・シングス・ザ・ブルーズ」のアーティストのちょっとした解説原稿を執筆したのですが、そこに、アーマとアレサが入ってるんです。アレサの生年月日はどれも同じなのですが、アーマを調べると43年以外にいろいろでてきたんです。39年説、38年説です。

これは一大事です。というのは、アーマが38年か39年だったら、アレサより年上になってしまう。アレサ3姉妹長女説が、いっぺんに覆されてしまうわけです。で、いろいろ調べました。

43年説は、ジョエル・ウイットバーンの本などでも使われていて、おそらく、これが一般的なのでしょう。誕生日までは書いてありません。次にオールミュージックガイドに行きました。これが、おもしろい。一番上の生年のところは1943と書いてあるのですが、下の本文では1939年3月13日と書いてあるのです。たぶん、本文を書き換えたか、後から調査して39年としたのでしょう。本文内では、アレサを妹と書いています。まあ、これだけでも、大発見ということなのですが。43年生まれか39年生まれか、どちらか確認しなければなりません。アーマは以下のページです。

http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=SEARCH&sql=B1kqog4attv4z

ところが、ここで得た情報はそれ以上に大変貴重なものでした。実は僕も知らなかったのですが、彼女は今年9月7日に逝去されていたのです。

そこでアーマ・フランクリンを検索してみると、いくつか死亡記事がでてきました。すると、そこに64歳で死去と出ている記事がありました。おや・・・。となると、38年生まれじゃないか・・・。いくつか記事を読み、クレディビリティ(信頼性)を精査してみると、どうも1938年生まれで、2002年に64歳で死去というのが正しい、ということになったのです。

ただ誕生日について、一紙は1月1日生まれとしていて、3月13日生まれと整合性がないのですが、1月1日生まれというのがどうも怪しいので、僕は38年3月13日生まれを採用することにしました。

そんな、他人の誕生日なんてどうだっていいじゃないか、って。いやいやいや、歴史ですから、これも、それも。歴史は正しく後世に伝えなければなりません。(笑)

では、なぜ、アーマは1938年生まれなのに1943年生まれになったのか。ひとつ考えられるのが、アレサを長女にしたいという思惑ではなかったのでしょうか。38年生まれを、音楽業界の常識である2年若くする方式で行けば、40年生まれになります。しかし、アレサが42年生まれであれば、どうしても、アレサは妹になる、なので、43年にしちゃえ、と。

アーマが初ヒット「ピーセス・オブ・マイ・ハート」を出したのは1967年。もうすでにアレサはスターになっていました。そんな時、アレサの姉がデビューする、ではかっこ悪かったのでしょう。妹なら話題性も集められる。そこで、アレサが42年なら、アーマは43年、アレサの妹でということになったのではないでしょうか。

ちなみに、その「ピーセス・・・」は後にジャニス・ジョプリンが録音してヒットさせ、ジャニスの代表曲のひとつになります。

フランクリン3姉妹では、末っ子のキャロリンは88年にわずか43歳で死去しています。今ではアレサしか残っていません。

アーマのアルバム『ソウル・シスター』は昨年ビクターからCD化されて発売されています。アーマに神のご加護を!
God Bless Erma!

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