【マルディ・グラからつながる自由が丘の思い出】 <br>
自由が丘。 <br>
自由が丘の駅から東横線沿いに日吉方面に右側の道をいていくと四つ角がある。左に曲がると上が東横線が走るガード。右角に雑貨屋があり、その地下に「マルディ・グラ」がある。 <br>
『ガンボズ・イアーVol.12~ソウル・サーチン・ビデオ・ナイト』でお世話になった「マルディ・グラ」は、名前から想像できるように、ニューオーリンズ気分にしてくれる音楽のある店 。壁には何枚もの1970年代のックやソウルのレコードのジャケットが額に入れて飾られている。ここで守島さんのイヴェント『ガンボズ・イアー』の第1回が行われたのが2000年10月。ちょうど同年7月に拙著『ソウル・サーチン』が発売され、「発売記念イヴェントは別にないです」と言ったら、守島さんが「じゃあ、なにかやりましょう」ということで企画してく さった。 <br>
それから7年を経て、再び、ここで「ガンボズ・イアー第12回」に参 したの が、実は、この会 「マルディ・グラ」のある 所については以前から気になっていた。 <br>
レノン・ストリート。 <br>
その昔、1970年代後半から自由が丘でよく来る店があった。それは「レノン・ストリート」という当時比較的おしゃれな店 った。それこそ田康夫氏の小説『なんとなく、クリスタル』(1980年)に出てきそうな(ひょっとしたら出てきていたかもしれない)店 。ま 「カフェ・バー」という言葉が生まれる前に、新しめの洋楽のレコードをかけていた「カフェ・バー」風の店 った。たぶん1978年か1979年あたりのこと ったの ろう。 <br>
で、7年前(2000年)に「マルディ・グラ」に来たときに、この辺に「レノン・ストリート」があったような気がおぼろげにしていた。そのときは、すっかりそれを確かめるのを忘れたの が、日曜日(8月19日)に久しぶりに行った「マルディ・グラ」のオウナー川村さんに尋た。 <br>
すると、やはり、この地はまさにかつて「レノン・ストリート」があった 所 ったの 。「レノン・ストリート」の入口は東横線沿い ったが、「マルディ・グラ」の入口がそれと直角に交わる道にあるので、ちょっとわからなかったの 。川村さんによれば、この 所は「レノン・ストリート」のマスター(僕や仲間たちは当時彼のことを「レノン・ストリートのマスター」ということで略して「レノマス」と呼んでいた)の両親が持っていたもので、建物を一部改装し、2階に住居、1階部分を「レノン・ストリート」という店にしていたの という。もちろん、「レノマス」は、ジョン・レノンが大好き ったから、この店名にした。 <br>
「レノン・ストリート」も店内はブラックを基調にしたいい店で、レコードジャケットを壁に飾っていた。ビートルズや西海岸のイーグルスや、マイケル・フランクスやら、ちょっとしたソウル系、フュージョン系のレコードをそれほど大音量ではなくかけていた。 <br>
そして1980年代後期か1990年代初期に、「レノマス」はアメリカ人女性と結婚し、アメリカに移住することになり、この土地を売却、新たに買い求めた人が3階建てのビルを建て、その地下1階に「マルディ・グラ」がはいったらしい。 <br>
「マルディ・グラ」は最初のオウナー、ミックさんが1992年にオープン。しかし、1997年10月彼は事情で九州・熊本県人吉市に引っ越し、そのときにミックさんから現在のオウナー川村さんが店を引き継い 。ミックさんは熊本でも、やはり「マルディ・グラ」のようなレコードをたくさん置いている音楽バー「ベアーズ・カフェ」という店を経営されている。ミックさんは、「マルディ・グラ」の前には青山で「サル・パラダイス」という店もやっていたというから っからのミュージック・マンのよう 。「マルディ・グラ」はオープンして15年、川村さんの代になってからでもすでにちょうど10年 。 <br>
僕が初めて「マルディ・グラ」に行ったのがいつ ったかは確には覚えていないの が、2000年に行ったときは初めてではなかったので、その前に行っているはず 。ひょっとしたら、あの近くに住んでいるFM局のディレクターをやっていたC氏に連れられて行ったのかもしれない。この店名から「音楽関係のバー」 ということはわかる。(笑) <br>
エスピガ。 <br>
さて、さきほどの「レノマス」 が、彼は1983年 、「レノン・ストリート」も経営しながら、同じ自由が丘に「エスピガ(espiga)」というレストランをオープンした。これはスペイン語で「穂」といった意味らしいが、メシコ系の食事を していた。「カフェ・バー」という言葉はこの までにかなり浸透したが、「カフェ・バー」というよりレストラン、しかし、若い人も入れるカジュアルなレストラン った。「レノン・ストリート」よりもっと広く明るい店になっていた。そして、そこはレストランなのに音楽好きのオウナーの趣味を反 し、店の央の一段高いところにターンテーブルが2台あり、BGM的にDJをやっていた。レストランでDJブースがある店など、あの時代には他にはなかった。 <br>
そこで、「レノン」時代からのつきあい った「レノマス」から、「週一でもいいからDJをしないか」と誘われた。そして、僕は週一でDJを始めたの 。オープンしてまもなく ったので、やはり1983年 のこと ろう。僕は毎週水曜に入ったが、そのとき、別の曜日に別のDJが入った。たぶん、彼は金曜あたり ったような記憶なの が、違うかもしれない。それがUKックの大家・音楽評論家の大貫憲 さん 。 <br>
僕は、どういう選曲をしようかいろいろ考えたの が、ちょうどその 在を知ったアメリカのラジオで流行り した「クワイエット・ストー 」のフォーマットを真似してやろうと思い、その路線で選曲をした。当時は「ラウンジ」などという言葉はなかったが、今から思えばまさに「ラウンジDJ」 った。 <br>
この「クワイエット・ストー 」を取り入れたのは、相当早かった。ちゃんと向こうのラジオのように、波の音とか、鳥の鳴き声とか、エアポートの音などの効果音を曲間にはさんでかけた。ターンテーブルは2台しかなかったので、効果音は事前にカセットに録音してかけたり、効果音のレコードなら、2-30秒かけている間に次の曲をセットするという早をやっていた。 <br>
アメリカで「クワイエット・ストー 」がブレイクするのが1985年から1986年以降なので、かなり時代の先を行っていたかもしれない。僕はサンフランシスコのKBLX局のテープを入手したか、誰かから話をきいたかで、「クワイエット・ストー 」のことを知った。 が「クワイエット・ストー 」の史自体を知るのは、そのずっと後のこと 。当時のソウルのスー・ジャ (そんな言葉もなかった)と若干のフュージョン系インストゥルメンタル曲に効果音。自分でいうのもなん が、けっこういけてた。たぶん、「エスピガ」でやっていたものも、何本かカセットに録音して自分でも楽しんでいたように思う。 <br>
ところで、先ほどからずっと「レノン・ストリート」のマスターのことを「レノマス」としか書いてないのには、わけがある。実は「レノマス」の本名を思い出せないのである。(笑) 当時はもちろん知っていたの が・・・。ずいぶん昔のことなので、かなり記憶がおぼろげである。情けない。(笑) <br>
(この 、続く) <br>
(明日は、なぜ大貫さんと僕がこの店でDJをすることになったか、などについてご紹介します) <br>
ENT>MUSIC>ESSAY>Jiyugaoka
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