【ジェー ス・ブラウン去・続 ~3日前までチャリティーに出】
最期。
ジェー ス・ブラウンは、亡くなる3日前の金曜、地元オーガスタでの供たちにおもちゃをクリスマス・プレゼントとしてあげるチャリティー・イヴェントに参 していた。その 像が、地元テレビ局のニュースなどで じられている。ブラウンは、過去15年、毎年このイヴェントに参 していた。そこには、息やダニー・レイなどの姿も っていた。またブラウンは入院する前日に、医者に行き、の治療を受けたが、そのとき、かなり咳き込んでいたと担当の科医が証言している。
た 、この時点で翌週のライヴもあり、また年末にはBBングのハウス・オブ・ブルースでのライヴが控えていて、そこでう予定になっていた。日曜に入院した時点で、医者とブラウンは、週半ばの2回のコンサートはャンセルするが、週末土曜日(30日)のライヴと、31日のニューヨーク・マンハッタンのBBングのライヴハウスでのライヴは行うつもり った。入院先で、ブラウンはマネージャーのフランク・コップサイダに31日の大晦日のライヴについて「俺は行くよ、なにしろ、ショービジネス界で一番の働き者 からな」と言っていた。
フランク・コップサイダは記者会見で、ブラウンの最後のオフィシャルな登 はイギリスのホール・オブ・フェイ の った、ジェー ス・ブラウンは、過去リチャード・ニクソンから現ブッシュ大統 まですべての大統 の前で演奏した、そしてそのことを誇りに思っている、などとも述べた。
40年来の友人でもあるチャールズ・バビットは、ブラウンと最期の言葉を交わした人物。記者会見でその模様を述べた。ベッドサイドで、ブラウンはバビットに「今夜、私は旅立つよ(I’m going away, tonight)」と言ったという。バビットは「そんなばかな、信じないよ」とえた。その後、ブラウンは目を閉じ、亡くなった。
バビットは語った。「きっと、ミスター・ブラウンは天国でこう言ってるに違いありません。メリー・クリスマス、あなたの左隣の人に『アイ・ラヴ・ユー』と言いなさい、そして、右隣の人に『アイ・ラヴ・ユー』と言いなさい。私は、みんなを愛してるよ、メリー・クリスマス! と」
すでに各界から弔辞が届いている。
「ジェー ス・ブラウンが音楽界、ソウルとヒップヒップ、ラップ、あらゆるものに対して成し遂げたことは、クラシック・ミュージックの世界でバッハが成し遂げたことと同のものがある。この人物はまさに文通り、音楽界を変えた人物 。あらゆる人間をあらゆるビート、違ったタイプの音楽の上に載せた。彼はまさにその点においてパイオニア 」(アル・シャープトン師)
「彼はイノヴェーターであり、解放者であり、オリジネーターであった。ラップにしろなんにしろ、すべてのものはジェー ス・ブラウンから始まっている」(リトル・リチャード)
「傷ついている。俺のゴッドファーザー った。俺のソウルのインスピレーション った。あらゆる時代を超えて、ショービジネス界の最大の働き者 った。彼はいなくなったが、彼の音楽やレガシーはずっと自分のに留まる。あらゆる点において。ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン、寂しいよ、ジェー ス・ブラウン」(スヌープ・ドッグ)
「彼はエネルギーと確さの旋風のような人物 った。彼はストーンズの初期の時代から僕にはいつも親切 った。パフォーマーとして、またバンド・リーダーとして彼を常に尊敬していた。彼の去は音楽界にとって大きな喪失 」(ミック・ジャガー)
「あらゆるタイプの人生をみ、様々なバックグラウンドを持つ人々をファンとするアメリカのオリジナル。ジェー ス・ブラウンのファミリーと友人たちは私たちの心のにいます。クリスマスにお祈りを」(ブッシュ大統 )
「人々は彼の史は知っているでしょう。私がここで申しあげたいのは、彼はステージからいつも愛を説いていたということです。彼は常々言っていました。『私は嫌いな人間には会ったことがないん 』 彼は真の人道主義者で、母国を愛していました」 (チャールズ・バビット=最期を看取った40年来の友人)
Quotes about the death of James Brown
http://news.yahoo.com/s/ap/20061226/ap_on_en_mu/james_brown_quotes_3
+++++
Shocked To Death
衝撃。
あまりの衝撃に、言葉もない。ま 自分の言葉で語れるほどすべてが整理ができていない。入ってくる外電をまとめる けでいっぱいいっぱい 。過去記事をとりあえず、まとめてピックアップしておきたい。98年12月のブリッツでのライヴレポート、「ジェー ス・ブラウンとチンを食べた!(パート1&パート2)」、そして「来日は最後か」の記事は、自分でもみ返して胸を熱くしてしまった。ジェー ス・ブラウン関連記事はま 続きます。自分の言葉で語るジェー ス・ブラウンについてはしばらくお時間をく さい。また、25日当日、メールやお電話をいた いた方、ありがとうございます。すべてにお返事ができていないかもしれませんが、もうしわけありません。しばらくブグのコメント欄に書き込みができるようにしておきます。
ジェー ス・ブラウン過去関連記事~ジェー ス・ブラウンの思い出を
FM FAN誌JB来日レポート(完全版)(’99/5/30)(98年12月赤坂ブリッツでのライヴ詳細レポートがJB愛好家佐藤氏のウェッブに掲載されています)
http://jb-escape.web.infoseek.co.jp/jbinfo/19990530.html
2003/10/02 (Thu)
James Brown Live @ News Station: Show Me Your Foot
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200310/diary20031002.html
2003/10/03 (Fri)
James Brown Live At Budoukan: Papa’s Got A Brand New Stick (3年前の来日)
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200310/diary20031003.html
2003/10/04 (Sat)
James Brown Live At Budoukan, Day 2: “A” Sign Song
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200310/diary20031004.html
2003/10/06 (Mon)
I Ate Chicken With James Brown (Part 1)
ジェー ス・ブラウンとチンを食べた! 最高の思い出のひとつ
https://www.soulsearchin.com//entertainment/music/interview/diary20031006.html
2003/10/07 (Tue)
I Ate Chicken With James Brown (Part 2)
https://www.soulsearchin.com//entertainment/music/interview/diary20031007.html
March 05, 2006
James Brown: After Technical Difficulties, Godfather Thanked For Engineers
【ジェー ス・ブラウン・ライヴ】 (最後の来日、2006年3月)
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_05.html
March 06, 2006
James Brown: ”I Love You, I Love You, And I Love Me”
【ジェー ス・ブラウン・ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_03_06.html
March 12, 2006
Was This James Brown’s Final Japanese Tour?
【ジェー ス・ブラウンの今回の日本ツアーは最後 ったのか】 (明かされた衝撃の新事実。これが現実になってしまいました)
https://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_12.html
ENT>OBITUARY>Brown, James 1933.5.3 – 2006.12.25 (73)
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