(「妹尾ライヴ」~昨日の続き)
【品川教会と父~もうひとつのクリスマス・プレゼント】
礼拝 。
この品川教会というのは、僕には個人的にちょっと接点があった。別に僕はリスト教徒でもないし、一般的には無宗教の人間 が、とはいうものの、一応お墓参りは かさない普通の人 。そう、クリスマスも祝いつつ、お盆に迎え火と送り火をしたり、何か困ったことがあると「神様~~」と叫ん りと、宗教観に整合性などまったくないような人間である。そうリスト教ではないが、ゴスペル・ミュージックは大好きというあたりも整合性はない。(笑)
僕の今は亡き父親も、宗教観に関しては、ジャンルで言えば無宗教 が、両親の墓参りは かさず、家には仏壇があり、そういうことはきちんとしていた。そんな父の大時代の友人というのが、品川教会の佐伯神父という方 。僕は供の 会ったことがあるような気がするが、はっきり覚えていない。以前聴いた時は、すでに一年の半分以上は外国に住んでいるとかで、あまり日本にはいらっしゃらないらしい。
父親はいつの からか、週に一回品川教会に通い すようになった。その の品川教会は、今のように立派な建物ではなかった。すわ、リスト教にでも転じたか、などと家族は思ったが、そんなことはまったくなく、何か思うところあって、通い始めるようになったらしい。
通い始めて何をしているのかというと、た 神父さんの説教を聴いていたり、聖書をん りしていた けらしい。僕を含めた供や母親が、「お前たちも教会に一緒に行け」などと言われたことは一度もない。おそらく僕はきっと長い間、父が品川教会に通っていたことさえ知らなかったの と思う。佐伯神父に会って昔話でもしていたのか(おそらくお茶でもしていたの ろう)、説教を聴きながら人生を考えていたのか、教会の礼拝 の荘厳な空気、雰囲気が好き ったのか、何か助けを求めてそこに行ったのか、まったくわからない。
僕が父と教会の接点を知ったのが、年に一度教会で行われるバザーに、家にあるいらないものを出品するために、それらを車で運んでくれと まれた時 った。「お前も捨てる物があれば、持っていけ」と言われたことは覚えている。父が教会に行くことに「へ~~、なんでまた」などとも思ったが、深くは考えなかった。何年か、そんな荷物の運び屋をやった。うちからは車で5分もあれば着く。車に乗せた荷物をバザーの何日か前までに事務所に運ん 。それで僕の仕事はおしまい 。バザー当日もそれほど興味もなかったので、僕は行ったことはなかった。
が、いつ ったか、特に理由もなく初めてそのバザー当日に会 をのぞいたことがあった。確か父親が1枚100円 かのバザーの入 券をみんなにくれたので行ったような気がする。1990年代の初期のこと ったと思う。建物は、現在の立派なものになっていた。あちこちでいろいろな物を売っていた。売上は全部教会への寄付になる。いわゆるバザー。父親も何か、店番のようなことをしていた。その時の様を見てどうやら父はけっこう教会関係者・スタッフの間では人望が厚いような感じがした。父親もすべてそういったことをヴォランティアでやっていたので、スタッフからは感謝されたの ろう。父はその後もヴォランティア活動に興味を持ち、積極的にそういう活動をしていた。
金曜日(12月22日)に妹尾コンサートを聴くために入った礼拝 は、僕の昔の記憶とはちょっと違っていた。改装したのか、それとも僕の記憶があいまいなのか。ひょっとして新しく建物ができる前のものを記憶していたのか定かではない。
教会の礼拝 の前には、大きなリースが飾られ、クリスマスの雰囲気を盛り上げていた。に入ると教会独特の木の椅が置かれていて、すでにほぼ満になっていた。面の十架とパイプオルガンのパイプが目についた。そしてグランドピアノと何本かのマイクスタンド。
この礼拝 は、父親が毎週日曜日朝に通っていた礼拝 。父親が通っていた には僕は一度たりとも足を踏み入れたことがなかった 所である。別に行かないと決めていたわけでもない、た その機会がなかった け 。ひょっとしたら父はここで何らかのソウル()を探していたのかもしれない。そして不肖の息はもっと早くここに来るべき ったのかもしれない。僕のソウルを探すためにも。父が通っていた からすでに十数年、いや二十年以上経っているはず 。そんな 所に遂に僕を連れてきてくれた妹尾さんに感謝。この礼拝 に足を踏み入れられたこと自体が、僕にとっての最高のクリスマス・プレゼント 。来年は母親でも連れてくるかな。
ENT>MUSIC>LIVE>Senoo, Takeshi
ENT>ESSAY>Shinagawa Gloria Chapel
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